>今回の森友学園の認可と、国有地の払い下げが、どれほど異常なスピードで進められたものであったか、作新学園の船田元議員がテレビで指摘していました。>官僚たちが、時の権力者の思いを忖度する。>そして、国家の許認可のために、一斉に動く。
忖度 (推察) は、わが国特有の習慣なのでしょうね。
>明治維新後、神聖不可侵の「天皇」の絶対権威を使って、権力者(軍部・官僚・財界)の意向を、臣民に強制した。
情けない時代でしたね。
>このときから、官僚たちの「忖度」は始まっている。
権力者の意向を忖度することは、官僚たちの出世の原動力でしたね。
>戦前の反省から始まったはずの戦後の日本国家は、主権在民のはずだったが、「忖度」は、そのまま残っていた。
日本人の言語環境は、ばらばらな単語 (片言・小言・独り言) を活用する生活の中にある。だが、すべての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。 意思は、文章内容になるが、恣意は、ならない。意思には理解で対応するが、恣意には、忖度 (推察) の対応がある。忖度は、聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。議論にならない。とかく、この世は無責任。
>このときの総理大臣が、当然、日本国家では最高権力者だったが、その人間が指示を仰ぐ人間がいれば、「忖度」は、その指示の発令者に向かっていく。
上意下達ですね。日本人には意思がないので、’上意’ の意味は、上位者の恣意 (私意・わがまま・身勝手) のことになります。
>自民党の結党時から、そこには、アメリカのCIAがいた。
CIAは、日本人の ‘あんにい’ (お兄さん) ですね。日本人の忖度の向かうところですね。
>田中角栄以後は、さらに詳細に指示を出すジャパンハンドラーがいたのだろう。
いわゆる知日派の存在ですね。
>では、民主党政権のあとの、第二次安倍政権のときに、なぜ、これが異常に膨らんだのか?
それは、民主党政権に対する警戒心からでしょう。とにかく、民主党政権にたいする国民の不信は強かった。
>しかも、メディアまで、完全に従わせた。
‘長いものには、巻かれよ’ ですね。これは、天下の法則ですね。
>「忖度」で、行政の各司(つかさ)の担当責任者が、どんどん法の枠を越えて、物事を進める。
行政の司は、無法松であるか。
>これに対するチェック機能が、全くなかった。
無哲学・能天気の国民では、’あるべき姿’ の発想は無理でしょうね。だから、チェック機能がない。
>司法も、「忖度」する側=官僚の味方だった。>そして、この日本列島には、それを正す手段がなかった。
そうですね。日本語に基づく習慣ですからね。その効果は、日本列島のすべてに及びます。
>今回、アメリカにトランプ政権ができて、ようやく露見した。
彼は、’横紙破り’ ですからね。ずけずけという。忖度はいらない。
>つまり、これまでは、皆、少しでも権力に近づくものは、この「忖度」の輪の中に入っていたのだ。
出世する者は、恣意疎通 (以心伝心・阿吽の呼吸) のグループ仲間の輪の中に入っていましたね。
>この状況を正すとすれば、それは、行政の最高権力者個人の、人間性、人格、力量に頼るしかないのか?
まず、忖度の異常に対する国民の自覚が必要でしょうね。
>この部分を、法的に、規制できないのか?
国民に不適当な事実の理解ができれば、法的に規制も可能になるでしょうね。
>少なくとも、今回の森友学園の校舎建設に関わる、3通の契約書を存在させ、それを許したままにする、国家の制度(行政のありかただけでなく、司法も含める)では、「私物国家」のそしりが、今後も続く。
そうですね。‘あるべき姿’ のない世界ですね。
>悲しいことだ。
これは、大和民族の悲劇となるか。
>中央集権化の中で、国有財産の分配のみならず、軍事行為も、エネルギー政策も、農業も、医療も、国民とは離れて、「忖度」官僚たちが制度をかってに運用し、実態を作っていく。
忖度 (推察) は、聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もありません。とかく、この世は無責任です。
>しかも、結果に対し、だれも責任をとらない。
とかく、この世は無責任。日本人には、これしかない。この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。
>こんな統治体が、世界の中心になれるはずはない。
そうですね。英文法には時制というものがあって、意思の内容を文章にすることができる。だから、英米人には、意思がある。 我々日本人も、日本語と英語の両言語を勉強して時制と意思の関係を理解しよう。さすれば、我々にも、意思の表現が可能になる。責任感のある人間もなれる。我々は、人々の信頼を得ることも可能になる。
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