2018年08月26日(日) 

 

 

>73年の歳月を経て、毎年の終戦記念日にマスコミから念仏のように繰り返される言葉・・・「かけがえのない命」「歴史を顧み」「深い反省」・・・。>これらはすべて現天皇の言葉である。>これらの言葉には、強烈な違和感を覚える。

 

そうでしょうね。日本人には意思がない。だから、加害者意識というものがない。深い反省に至らない。人生の進路を変えることもない。我々日本人は、罪の意識とは縁の遠い民族になっている。だから、贖罪のための宗教 (キリスト教) にも違和感を持っている。

加害者意識は罪の意識にまで達することが多い。だから、人は懺悔する。違和感ではなく、人々の共感を呼ぶ。

 

>数百万人が犠牲になり、一般庶民はボロボロになり生きるか死ぬかを彷徨った・・・その事実に比べた軽さ、他人事のような、うわべの表層さ加減・・・。>この違和感はものすごく深い。

 

日本人の言葉は、軽薄ですからね。深みも重みもありませんね。その主な原因は、日本語の文法の特性にあるものと考えられます。日本人は、考え (非現実) を語らないからです。

 

>このどうしょうもない違和感を言葉にしてみると以下3つぐらいに集約できると思う。>にほんブログ村 政治ブログへ

>①何のための戦争だったのか? なぜ負けるとわかっている戦争に突き進んだのか?

 

日本人には意思 (will) がない。だが、恣意 (self-will) がある。意思決定はないが、恣意決定がある。意思には意味があるが、恣意 (私意・我儘・身勝手) には意味がなく、恣意決定にはリーズン (理性・理由・適当) というものがない。だから、盲目の判断により突き進む。突入は、気分・雰囲気によるところが多い。

 

>②1945戦争終結時、軍を統括し最大の責任者であるはずの天皇の責任が問われなかったのはなぜなのか?あるいは全うな人間なら自ら退くだろう。

 

日本人には、意思がない。だから、優柔不断・意志薄弱に見える。真面目な責任追及が誰にもできない。加害者意識がない。

 

>※すべてが陸軍に背負わされた。 

 

外国で住民とのトラブルがあったからではないでしょうか。

 

>「國体護持」のための終戦

 

国体とは、わが国の序列制度のことですね。国体護持は、序列人間の精神的安定の護持ですね。序列がなくなると、日本人は日系移民のような心境になって、持てる力を発揮できません。序列による団結ができないからです。

日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあって、’上とみるか・下とみるか’ の判断なしでは、日本語会話も自由に話せません。この序列メンタリティ (考え方) が ‘国体護持’ を熱望する日本人の根源をなしているのでしょう。

 

>③明治以降の戦前・戦中の仕組みや支配体制は、表面的な制度・体制が変わっただけで、まったく変わっていないのではないか?という感覚。>支配層の精神構造(蓄財第一、属米精神、国民は支配対象)も明治以来一貫している。

 

そうですね。日本人は、何回、姿・形を変えてもそのメンタリティは不変ですね。

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)

これは、正直者の怒りである。

日本語には、時制 (tense) というものがない。だから、考え (非現実) の内容を文章にすることができない。現実ばかりを語るので、時流に流される。だから、英米人に信頼されていない。’民信なくんば立たず’ です。

現実だけを語るのは子供です。マッカーサは、1951年4月19日に上下両院の議員の前で ‘日本人12歳説’ を明らかにした。そして、日本人から不評を買った。これは、正直者がバカを見た例である。

我々日本人は、日本語と英語を学んで、現実と非現実の両方を文章にして語る技を習得しなくてはなりませんね。さすれば、国際的にも信用さる人間になれます。

 

 

 

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閲覧数29 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/08/26 21:44
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