2018年09月20日(木) 

 

 

 

>近年、家族内の評価が所謂「いい子ちゃん」でいると言う子が増えているように感じる。>親や家族が心配しないようにマジメに何かを答える。>心配をかけないように笑顔でいる。>自分にとってマイナスな情報なことは言わない。

 

大本営発表のようなものですね。

 

>相手のマイナス話をするのは自分が普通だと言う感覚でいたいから。

 

‘上か下か’ の相対的な問題になりますね。

 

>家族という狭い空間には味方がいないから。

 

何でもあけすけに話す人はいないでしょうね。

 

>もちろん、家族で本音をいうのは難しいことだ。

 

本音 (恣意) の発言は、本人がリーズン (理性・理由・適当) を失った証拠ですからね。不自由を常と思えば不足なし。

 

>一回言ったその評価はずっと続くし、死ぬまでその思いは変わらないと言う感覚があるのだ。

>親と話していて、子供のその想いは感じているようで「家の中では本当に自分がやりたいことを言わない。何故なんでしょうか。応援したい気持ちもあるが、想いは子供には響かないんです。」

 

恣意 (私意・我儘・身勝手) の内容では、無理でしょうね。ばらばらな単語のままで、文章にはならない。意味も無ければ、矛盾の存在も指摘できません。親からもあまり干渉されたくないからでしょう。

 

>子供たちと話していても親のまえでは絶対に「自分のことはプラスで伝える。本音は言ったことがありません。だから親が自分事をどれだけ知っているのかはわからない。」

 

本音 (恣意) の発言は良くないですね。我々は、意思の表現を学ぶ必要がありますね。意思は未来時制の文章内容で、日本語文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。だが、英文法には時制があり、英米人には意思がある。だから、我々日本人は、英米流の高等教育を受ける必要があります。

 

>一回の評価、親の表情で子供たちは本音を隠す。

 

子どもたちは、空気を読むのですね。それは親の真似ですね。

 

>ただそこで不思議なのは、週2・3回しか会わない人間には心を開いて話せるのか。>反対に言えば、家以外でしか話せないのだ。

 

そうですね。家の中では無理ですね。

 

>それは大人も一緒だと思う。>始めは緊張するが、話していく中で会わないから話せると言う感覚が出てくる。

 

‘一度は言ってみたかった’ ということか。

 

>「この人になら話しても良いかな・・・。あんまり会わないし、評価が悪くても大丈夫かな・・・」って感じになるのだと思う。>それは別に不思議なことではなく、人として当たり前の行動なのだ。

 

人には聞こえないように話すのですね。

 

>ただ、一緒にいる身としては一緒にいるのに話してくれないのは寂しいとか、分かりたい、分かってあげたいという感覚になってしまいがちいなのだ。

 

そうですね。突然自殺でもされたら困りますからね。

 

>70年前ぐらい前までは3世代ぐらいで一つ集団として住んでおり、現代と比べて少し広い人間関係の中で過ごしていた。>だから色んな意見を聞いて自分の中の味方が少なくても家の中にはいたのではないか。

 

そうでしょうね。

 

>現代は本当に狭い人間関係(家族と同世代)の中でしか生きていないので自分のプラスの評価に縋ってしまう。

 

人々は、核家族化を望んでいますね。

  

>少し遠い存在がいるだけで誰もが本当に救われると言う感じになるのは、自分の評価を気にせずに話せる人がそこにしかいないからだと思う。>子供も大人も評価を気にしすぎなのだ。

 

そうですね。日本人には、上下の評価が必要ですからね。評価は我々にとって強迫観念のようなものになっていますね。

 

>その評価という枠組みから脱出できるのか。

 

それは、非常に難しいですね。日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。ですから、’上とみるか・下とみるか’ の判断は、常に会話の中で必要となります。また、礼儀作法も序列作法になっていて、’序列なきところに礼儀なし’ です。ですから、日本人には序列関係の知識が必要です。評価の枠組みから脱出できませんね。

 

>社会を生きていくには、その評価を無視して求められる人間としてやっていくのが大事だと思う。 

 

そうですね。評価を無視するためには、英語のような階称 (言葉遣い) のない言語を使って考え方を学ぶ必要がありますね。また、’求められる人間’ といったような ‘あるべき姿’ (非現実) の内容を考える時には時制 (tense) が必要ですね。時制は英文法にあって、日本語文法にはありません。ですから、我々日本人は、日本語と英語の両方を学んで、言語機能の不足を補う必要があるでしょう。

 

 

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閲覧数580 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/09/20 20:46
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