2018年09月26日(水) 

 

 

 

 

>人間は志や目的、目標や夢の大きさによって物事の取り組み方や見え方が変わっていくものです。

 

そうですね。わが国には何でも揃っているが、ただ夢と希望がない。

 

>人それぞれ同じことをやっていたとしても、その志がどうなっているかでそのやることは変わっていきます。

 

日本語は写生画のための言語であると言われています。存在するものは絵 (文章) として表現されるし、存在しないものは内容にならない。

現実の内容は頭の外にある。だから、見ることができる。非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。だから、見ることができない。

見ることにできる内容は、’本当’ の事。見ることのできない内容は、’嘘’ ということになっている。

志 (心指し) は見ることができない。ただの話である。だから、信じることが難しい。

 

>田坂広志さんに「二人の石切り職人」という寓話の話があります。>以前、お聞きしたときには観得なかった世界が今ははっきりと私も観えてきました。>如何に志を抱かせることが大切か、何よりその人が一隅を照らしたいと願うようになるか、その発心の大切さを深く感じるようになりました。

 

それは良かったですね。

 

>改めてその話を紹介します。>「二人の石切り職人 」>「旅人が、ある町を通りかかりました。>その町では、新しい教会が建設されているところであり、建設現場では、二人の石切り職人が働いていました。>その仕事に興味を持った旅人は、一人の石切り職人に聞きました。>あなたは、何をしているのですか。>その問いに対して、石切り職人は、不愉快そうな表情を浮かべ、ぶっきらぼうに答えました。>このいまいましい石を切るために、悪戦苦闘しているのさ。

 

彼は、処世術に従って悪戦苦闘しているのですね。

 

>そこで、旅人は、もう一人の石切り職人に同じことを聞きました。>すると、その石切り職人は、表情を輝かせ、生き生きとした声で、こう答えたのです。>ええ、いま、私は、多くの人々の心の安らぎの場となる素晴らしい教会を造っているのです。

 

そうですね。偉大な社会の建設が大切ですね。

 

>どのような仕事をしているか。>それが、我々の「仕事の価値」を定めるのではありません。>その仕事の彼方に、何を見つめているか。>それが、我々の「仕事の価値」を定めるのです。」

 

我々の行き着く先の内容が仕事の価値を決めますね。

 

>これが二人の石切り職人の話です。>この話は、志の話です。

 

意思と言った方がわかりやすいのではないでしょうか。

 

>あなたの志は何かと質問されたとき、その志をどのようにその人が語るのか。>それによって仕事の価値が定まる。

 

そうですね。その人の哲学 (非現実) が大切ですね。

 

>つまりは志の中身がどうなっているのかが先で、仕事の技能や実践は後からついてくるのです。

 

見上げた志の内容が必要ですね。

 

>本来、何のためにやるのか、その人の志が育っているのなら必ずその仕事は価値があるものになっていくということです。

 

人間には世界観 (world view) が必要ですね。

 

>吉田松陰に「志を立てて、以って万事の源となす」 があります。

 

‘心指’ (心の目当てを定めること) は万事の源ですね。優柔不断・意志薄弱ではどうにもならない。

 

>その人が一生の一度の人生に何を成し遂げたいか、それさえ立てられるのならそれが全ての根本になるということです。

 

各人に哲学 (非現実) が必要である。Everyone needs a philosophy.

 

>もしその成し遂げたい志に出会わずに進むのなら、私利私欲や自我慾に負けて狭い世界で迷い惑い続けて自分の人生を歩むことを忘れてしまいます。

 

そうですね。手段となるべき処世術 (現実) に自分自身が翻弄されてしまいますね。’適当ではないが、法律違反とまでは言えない’ といった程度の低品位の生活に明け暮れることになるでしょう。

 

>そうならないためにも、初心や原点といった志をその人がまず立てることが大切なのです。>吉田松陰は「志定まれば、気盛んなり」とも言います。

 

自分の ‘あるべき姿’ (非現実) が定まれば、夢と希望のある建設的な生活になりますね。

 

>この「志を定める」ということの真価、そこに人生の全てが凝縮され方向性が決まってしまうのです。

 

‘我々はどこから来たか、我々は何者であるか、我々はどこに行くのか’ といった哲学的命題に自分自身が答えを出す機会が必要ですね。

 

>結局は、人に成るとは何か、成人の本質は志を抱く人にすることなのです。

 

そうですね。意思のある人間になることが必要ですね。つかみどころのない人間は、無哲学・能天気です。

だがしかし、日本人には意思 (will) がない。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本人には意思がない。それで、優柔不断・意志薄弱に見える。英語には時制があり、英米人には意思がある。

日本人には、意思はないが恣意 (私意・我儘・身勝手) はある。この恣意を使って動作の機敏さを得ようと日本人は考える。無意志の欠点を克服するために、’精神主義’ が必要と考えられている。すなわち、精神力の強度の集中・緊張によって物質力を支配し克服しようとする努力である。先の大戦では、精神主義が力を発揮した。これにより個人の動作の機敏さは得られるが、思慮ある人間は生まれない。

 

>私は足元にあるものに気づかず、随分と遠回りしてきました。

 

そうですね。日本人に意思のなさを気づかせるのは、大変なことですね。

 

>教育は引き出すものだということは知っていても、何が引き出すのかまでははっきりと自覚していませんでした。

 

考え (非現実) の内容を文章にして引き出すことですね。

 

>今こそ確信するのが志こそ万物万事の根源であり、その志を立てることができるようにし志を抱いて生きる手助けと手伝いをするのが私たちの伝道でもあります。

 

西洋人なら神の意思が大切ですね。万事万物の根源です。日本人の神様たちは、出雲に集まって談合ばかりしている。わが国では、神様の意思は定かにならない。

 

>子ども達に未来を譲っていくためにも、今の時代の人たちが一人でも多く自分の志に気づき、その志に生きた背中を遺していくことが世の中を今までよりもっと善くしていくことになります。

 

そうですね。各人に哲学が必要ですね。Everyone needs a philosophy. これが、人づくりの基本です。

 

>いのちを活かし使命感を持たせることは、本物の人をつくっていくことです。

 

そうですね。使命感 (sense of responsibility) は大切ですね。無意味に生きるのは良くないです。

 

>本物の人とは志を持つ人にしていくことです。

 

意思のない日本人には、英米流の高等教育が必要ですね。英語には時制があり、英米の大学では哲学を教えます。

 

>未来の子ども達のためにも、自分が何が本業かを間違えないように真摯に志を実践し弘めていきたいと思います。

 

それは良いことですね。大学で哲学を学んだ後に大学院で職業教育を受ければ、高度な職業人を育成できます。わが国にも、こうした教育制度が必要ですね。

 

 

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閲覧数55 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/09/26 20:28
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