2018年10月08日(月) 

 

 

>町家の再生をしていると職住一体という言葉に出会います。>今の時代は職住を分けて生活をしていて、よくビジネスとプライベートは違うという言い方をします。>特に最近ではメリハリをつけてというように、あくまで仕事は仕事、私生活は私生活というように分けなければ問題になっていたりします。

 

そうですね。

 

>しかしかつての私たちの先祖はどのように暮らしてきたか、それは生活の中に仕事があり、それが分かれていたことはないとも言えます。>今のように金融を中心にした社会が形成されると暮らしや生活のみが切り離されて働くことだけになってしまうのかもしれません。

 

そうですね。人々は、金を手に入れるために働きに出かけますね。

 

>日本人はよくエコノミックアニマルと海外では称されますが、これは働くだけで暮らしをしていないという言い方をされていることです。

 

日本人は、無哲学・能天気ですからね。遠い未来の、我々の行き着く先を考えたことがありません。

 

>改めて職住一体について少し深めてみようと思います。>そもそも職住一体とは何か、昔でいえば農家や商人などは暮らしの中に仕事がありそれを分けることなどありませんでした。

 

そうですね。それは原始的な暮らしをしている人たちでも同じことですね。

 

>農家であれば土間を使って仕事をしたり、農作業を共にする馬や牛なども家の一部に一緒に住んでいました。>また商人についても、店先というのは路地側のところを開放しそこで商いを行い家の奥の方で暮らしを営んできました。>本来人は、暮らしを立てるために農を行い商を行ってきたのです。

 

そうですね。それは、原始社会でも同じですね。

 

>昔は大切な守るものがあって、それを守るために暮らしを立てていました。

 

大切な守るものは、自分と家族の生活ですね。それは、アニマルも同じです。

 

>本来の守るものとは、それまでの先人たちの生き方であってそれが暮らしを通して伝承されてきたとも言えます。

 

そうですね。それは、処世術 (現実) ですね。

 

>それが今は間違った個人主義が蔓延し、自分さえよければいい自分のことだけでいいと、守るものは自分となってしまう風潮もあります。

 

間違った個人主義は、利己主義ですね。個人固有の考えを大切にするのが、本当の個人主義 (非現実) でしょう。

 

>家というものを守るというのは、単に家系を維持すればいいのではなくその家の理念や初心を守っていくということです。>その一つ一つの暮らしの中に、その家の理念が隠れているとも言えます。

 

それは、家の制度ですね。本当の個人主義ではないですね。

 

>家を感じるとき、暮らしを見つめるとき、私たちはその先人の理念に触れているのです。

 

それは、処世術が全てですね。

 

>職住一体というのは、自他一体と同じく分かれていないところに立ってみて気づく境地でもあります。>どんな理念を築き上げて、どんな理念の実践をしていくか、それが家の定義なのです。

 

個人主義とは無縁ですね。

 

>家になるというのは、理念を実践する家族や仲間と共に暮らすということです。

 

哲学 (非現実) には、家族制度がないですね。家を中心にした考え方では、’人間皆家族’ にはなりませんね。

 

>一家の一員として、如何に理念をカタチにしていくか、生き方を見つめ働き方を改善していくか、それが職住一体ということだと私は思います。

 

それは、現実にとらわれた考え方ではないでしょうか。

 

>引き続き、家としての本命を深め新たな暮らしを温故知新するため毀すものは迷わず毀し、日々新たに創造していきたいと思います。

 

良い意味での個人主義が抹殺されていますね。

 

 

.

 

 

 

 

 


閲覧数84 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/10/08 04:44
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