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2018年11月03日(土) 
11月3日、地区区長会で慰霊祭を行いました。慰霊祭は元は遺族会で行っていたものが高齢化や遺族の減少により運営できなくなり区長会に任され行っているものです。遺族や役員で出席者は150人程でした。こんなに小さな村からも愛する国のため131人もの人達が犠牲になりました。
閲覧数1,242 カテゴリ日記 コメント7 投稿日時2018/11/03 12:59
公開範囲外部公開
コメント(7)
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  • 2018/11/03 14:04
    ちゆきさん
     こんにちは。
     当地の戦没者慰霊際は明日に山口神社で行われますが、山の上にあるため、身障者の私も高齢者の母も、行くことが出来ないです。
     麓に遥拝所を作って欲しいところです。
    次項有
  • 2018/11/03 20:48
    ちゆきさん、コメントありがとうございます。そうですね。麓にあれば楽ですね。清掃も大変でした。
    次項有
  • 2018/11/03 21:36
    shinobiさん
    私の地区では私が子どもの頃はやっていた記憶がありますが、その後まったくそんな話は聞きません。
    昔やっていたのは神社ではなくてお寺でした。
    次項有
  • 2018/11/03 23:12
    minonさん
    今も続いている所もあるのですね。忘れてはいけない人達だと思います。
    次項有
  • 2018/11/04 04:49
    shinobiさん、コメントありがとうございます。栄川学区で日坂と東山はお寺でやるので礼服は黒ネクタイですが、我が地区は神式ですので白ネクタイです。国の為犠牲になった人達ですので気の毒で止めるわけには行かないのです。
    次項有
  • 2018/11/04 05:19
    minonさん、コメントありがとうございます。実は私の叔父さんもここに祀られているのです。お袋が言ってました。20歳から28歳まで兵隊に行き戦死したのでかわいそうなので神社で祀ってくれるので遺品として帽子を出したと言うので帽子があるか探しましたがありませんでした。一度は戦地から帰り二度目の召集で豊橋駅まで家族で送って行き、駅に汽車が入ってきて乗り込む時義理の姉であるお袋が「元気で帰って来るだよ。」と言ったら叔父さんは「あの弾の中を行くんだからな。」と言って乗り込んだそうです。乗り込むとすだれが降ろされ中が見えなくなり汽車は出て行き、気の毒だったとお袋は言ってました。
    minonさんの言う通り忘れてはいけない人達です。年に一度でも祀られ平和の尊さを伝えて行かなければならないと思います。
     期間は短かったがいじめられ続けられた大正の人達の頑張りが日本を復興させ、今があると思います。
    次項有
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