独身時代に建てた我が家、最初は母親と2人での生活でした。 でも新しく建てた家は完成して間もなく新たな家族を迎え入れ、3人での生活が始まりました。 そして長男が生まれて4人家族になり、そこから2年後には次男が生まれ5人家族に。 でも子供達が小学生の頃になると、母親は認知症の症状が出始めました。 何だかんだ言っても僕は仕事に逃げる事が出来ましたが、妻は真正面で受け止めることとなりこちらも次第に体調を崩す事に。 蕁麻疹?の症状が出始め昼夜を問わず掻きむしるようになり、合わせて以前から持っていた十二指腸潰瘍迄併発。体重は30キロ台にまで落ちてしまったところに子供達の夏休みも始まり、ここで完全にギブアップ。母親には施設に入ってもらうことで、妻迄倒れてしまう最悪の事態はなんとか回避しました。結局これが同居の終焉となりました。 妻の蕁麻疹と十二指腸潰瘍とは、病院に行った時に医師から『何かストレスがありませんか?』と聞かれました。そして体重低下も含め、母が施設に入った途端に快方に向かいました。介護がどれだけ負担になっていたのか?これがきっかけ?じゃありませんが、未だに妻に頭が上がらない出来事でした。 母が施設に入って数年後、日に日に体力も落ちて『これが母との最後のお正月』と覚悟し、一泊の予定で自宅に一時帰宅させる事に。 しかし残念ながら母にとって我が家は知らない家となってしまっていたようで、玄関をくぐった直後から『帰りたい!』と叫びだしてしまいました。 何度も『ばーば、ここがばーばの家じゃん』となだめたのですが、最後は『帰りたい』と泣き出してしまい諦めることに。母にとっての帰宅はこれが最後となり、次に玄関をくぐったのは亡くなってから。 時は巡り、2人の息子は大がに進学し、我が家は新築時と同じ2人暮らし。でも違うのは母と僕ではなく、女房殿との2人暮らし。 子供達が生まれた時から結構激しい夫婦喧嘩を繰り返してたんで、息子が居なくなったら取り返しがつかない喧嘩しそうで怖かったのですが…。 夫婦っておかしいですね、2人になった途端に喧嘩しなくなるなんて…。きっと2人とも無意識のうちに「これ以上やったらホントに拙い」と自重したんでしょうね。 さてさてまたまたそこから時は巡り、社会人となった息子達とは再び同居を始め、今に至ってます。 でもそんな生活も終わりを告げ、またまた夫婦2人の生活が始まります。 我が家の歴史を創ってくれた我が家の役目も終わりを告げる時がやって来ます。しみじみと見上げる我が家、思わず手を合わせてしまいました。 最初の時は新婚でしたが、今回は読みは同じ「しんこん」ですが、漢字にすると辛婚、な〜んちゃって…。 【追伸】 母の介護で倒れる寸前まで体調を崩した我が女房殿、それを見せつけられた経験から『介護は壮絶』との思いがあります。 一度職場で介護の愚痴を言った時に、先輩職員から『そりゃ愛情が足りん!実の母親の世話が大変だなんて言うのは拙い』みたいな趣旨のお説教をされた事があります。 その時は『あっ、綺麗事ばかり言ってる。絶対に何もして無いんだろうなぁ』と断定、以後この先輩とプライベートな話は一切しませんでした。 |