12月14日は赤穂浪士が吉良邸に討ち入りした日と伝えられています。
当時は日の出が一日の始まりだったので、現代の暦では15日の未明4時頃に発生した大事件でした。
この討ち入りは赤穂浪士の美談として伝えられていますが、私の個人的な感想としては浅野内匠守に問題ありと思っています。
城主だったら部下や家族を守らなくてはなりません。
そこが残念でなりません。
おかげで吉良様は悪役として後世まで語り継がれて来ましたが、地元では全く違います。
相良町の田沼意次も松平定信の陰謀により悪役に仕立てられてしまいました。
地元では名君と崇められています。
写真は順に吉良義央さんの墓(華蔵寺・愛知県西尾市)、浅野長矩さんの墓(泉岳寺・高輪)、大石良雄さんの墓(泉岳寺・高輪)です。