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2018年12月14日(金) 

12月14日は赤穂浪士が吉良邸に討ち入りした日と伝えられています。
当時は日の出が一日の始まりだったので、現代の暦では15日の未明4時頃に発生した大事件でした。

この討ち入りは赤穂浪士の美談として伝えられていますが、私の個人的な感想としては浅野内匠守に問題ありと思っています。

城主だったら部下や家族を守らなくてはなりません。
そこが残念でなりません。

おかげで吉良様は悪役として後世まで語り継がれて来ましたが、地元では全く違います。

相良町の田沼意次も松平定信の陰謀により悪役に仕立てられてしまいました。

地元では名君と崇められています。
 
写真は順に吉良義央さんの墓(華蔵寺・愛知県西尾市)、浅野長矩さんの墓(泉岳寺・高輪)、大石良雄さんの墓(泉岳寺・高輪)です。


閲覧数1,804 カテゴリ日記 コメント4 投稿日時2018/12/14 13:06
公開範囲外部公開
コメント(4)
時系列表示返信表示日付順
  • 2018/12/16 01:20
    私も泉岳寺に行ったことがあります。私もshinobiさんの考えに賛成です。殿様が我慢すれば家臣が路頭に迷うことはなかったのにです。
    次項有
  • 2018/12/16 13:46
    鉛筆shinobiさん
    > ちょっとさん
    ありがとうございます。
    一番不名誉な目に遭ったのは後世になって完全に悪玉にされてしまった吉良さん一族ですよね。
    幕府も大迷惑だったとか言われていますが、ある説によると幕府の陰謀とも云われています。
    次項有
  • 2018/12/16 14:36
    今の時代だったら、社員家族を路頭に迷わすという事ですものね。
    お金に細かすぎたこともありですかねえ。
    赤穂は塩で潤ってたのではと思います。
    次項有
  • 2018/12/16 16:36
    鉛筆shinobiさん
    > みつちゃんさん
    ぼんぼん育ちだったからでしょうか?
    あの時代としては我慢が足りなかったと思います。
    吉良さまが悪く描かれているのは、その後の創作だと言う説があります。
    次項有
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