2019年01月25日(金) 

 

 

> 1、クリエイティブな発相―1

>日本人が持つ自由な発想、これが世界で注目されています。>世界の人々からすると、日本人は「世界で最もクリエイティブな人々」なのです。

 

クリエイティブにもいろいろありますけどね。日本人の注意力は物にのみ集中し、精神的なことはダメですね。

 

>これは、2012年アドビ・システム社が行った調査「最もクリエイティブな国は?」というアンケート結果によく現れています。>そこでは、「最もクリエイティブな国は日本」「最もクリエイティブな都市は東京」という結果が出ているのです。

 

それは、幸運な知らせですね。

 

>このアンケートの詳細はここでは省略しますが、世界で注目される「創造力の豊かさ」は、私たちの何気ない日常の中にも多く見ることができます。

 

日本人は、目先・手先の事柄に、神経を集中させますね。創意工夫が得意ですね。

 

>例えば100円ショップで、僅か100円出せば買える「便利グッズ」の数々、高性能な保温グッズ(ホッカイロ、特殊な素材の毛布など)、また最も外国人が驚くのが「高性能トイレ」です。

 

そうですね。

 

>これは、何も日本が寒がりゆえに無理やり生み出した、ということだけが理由ではないようです。>寒いのなら厚着をして布団を沢山かぶって寝る、というだけでは私たちは満足せず、もっと「効率」を重視する国民性があるのです。

 

創意工夫を楽しんでいますね。

 

>日本人は元からきれい好きで、整然とした美しさを好みます。

 

そうですね。

 

>無駄なものを排除するミニマリズムの精神が、「布団を沢山かぶる」のではなく、「起毛素材の温かい1枚の毛布」という発想に結びつくのだと思います。

 

物質的な日常生活が豊かになりますね。

 

>禅の精神に基づく私たちの思考する習慣は、実は効率の良さを追求し、様々なアイデアを生み出すことに繋がっているのです。

 

そうですね。

 

>クリエイティブな発想 -2

>日本人がいかに創造性に溢れているか、それを考えるときに、日本人に「宗教に縛られない自由」があることを忘れてはなりません。

 

日本人の自由の話ですね。

印欧語の文法には、時制 (tense) というものがある。時制を使うと、非現実 (考え) の内容を文章にすることができる。ヒンズー語の世界は、生死を境とする三世界 (前世・現世・来世) に分かれている。英語の三世界は、生死とは関係のない三世界 (過去・現在・未来) に分かれている。非現実の内容は考えに結び付いているから、宗教になる。日本語の文法には時制がないから、非現実の内容を文章にすることはできない。だから、内容のある宗教には結びつかない。これを自由というのであろうか。非現実が考えられないということは、思慮深くないということにもなると思いますが。

 

>私たちの歴史の中で、宗教紛争が起こったことはなく、日本に数多くある仏教寺院やキリスト教教会、或いはイスラム教徒のモスクは、全て共存の道を選んでいます。

 

日本人は、あまり宗教熱心にはなりませんね。だから、深刻な対立には至らないのでしょう。共存の道は、無視の道でもありますね。

 

>これは、「和の心」を重んじた結果であると思われます。

 

世界観に囚われないからでしょう。和の心で世界観を打ち消したとも考えられませんね。

 

>よく私たちは「日本人には宗教意識が足りない」といいますが、逆に言えば、そのことが異なる宗教の共存を可能にし、私たちの寛容さを示しているのです。

 

そうですね。宗教の共存は、世界観を否定することに寛容なのでしょうね。

 

>白無垢で結婚式を挙げたあとのホテルでのパーティーでウェディングドレスを着るという、神道とキリスト教式婚礼儀式をごちゃ混ぜにする光景は、日本人からすると、まさに「いい加減」に見えるのかも知れません。

 

これは、‘良いとこ取り’ なのでしょうね。しかし、これは上辺だけのことで、考え (世界観) の存在には注意が払われていない証でしょう。

 

>しかし、これが「斬新」にも見えるのです。

 

そうですね。風変りなのでしょうね。

 

>宗教に縛られていたら、恐らくこのような自由な結婚スタイルは実現できないでしょう。>私たちは、縦社会に則って、ある意味では個人を主張できず、抑圧された中で生活しています。

 

そういうことになりますかね。現実の内容は、頭の外にある。現実は、唯一の内容でご唱和できる世界である。現実は、見ることができる。見ればわかる。見ることのできるものは、本当のことである。見ることのできないものは、嘘である。

非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。その内容は、人さまざまである。だから、多数あるが、見ることができない。ただの話である。わかるためには、文章内容 (考え) を理解することが必要である。非現実の内容の文章は、わが国においては、見て来たような嘘になる。だから、誰も自分の考えを述べようとしない。これは、思考停止の状態である。そして、皆が他人の考えを述べる受け売り専門の道を歩むことになる。天下の秀才たちも、このようにして作られる。

 

>しかし一方で、宗教観念に囚われずに自由でいられ、オリジナリティ溢れるものを生み出しています。

 

無哲学・能天気ならば、宗教観念にとらわれることもないでしょうね。しかし、自己の判断に基準を持たない人たちは、他人から信頼されますかね。我々の努力を重ねた先の行き着くところが見えていない。これでは、偉大な社会建設には至らない。協力者が出てこない。むなしい。

 

>また、日本人は伝統的な考えに囚われつつも、世界でも無類の「新しい物好き」です。

 

日本人は、窮屈な序列社会に住んでいますね。無哲学・能天気の退屈男・退屈女が大勢いるから ‘新しい物好き’ になるのでしょう。良い気分・雰囲気の開発にいとまがないようですね。

 

>古くからあるものの中に新しいものや最新技術を取り入れ、それを自国の新しい文化に作り変えてしまう、そんな創造性にも溢れているのです。 

 

そうですね。日本人は、目先・手先のことに、神経を集中させていますね。精神的な進歩は少ないですね。

ただ今の日本は、深刻な人手不足に陥っていますね。しかし、頭脳不足であるという話は聞いたことがない。あくまでも、手足にこだわった働き方をしているのでしょう。考え直す余地がありますね。

 

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閲覧数513 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/01/25 11:24
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