2019年04月06日(土) 

 

 

 

>■責任を追及しない日本社会

>(前略) >いくつかの出発点のひとつは、なぜ安倍政権は潰れないのかという素朴な疑問だと思います。 >安倍政権はひどい政策をずっと続けているのに、なぜか長きにわたって政権を維持している。 >ここには合理的には説明のつかない力が働いており、私たちはそれに従わされている。

 

どうもそのようですね。

 

>白井君はそこに「国体」という構造を見いだしているのだと思います。

 

国体は、序列構造になっていますね。

 

>この国体を代表するのは、戦前の日本では天皇です。

 

天皇は、序列構造の頂点に立っていますね。

 

>しかし、敗戦と占領期を経て、アメリカが国体を代表するようになる。 >『国体論』ではフルモデルチェンジという言い方がされていますが、日本がアメリカに負けたことで、国体の頂点は菊から星条旗に変わったものの、人々が国体に従うという構造に変化はなかった。>そう指摘しているわけですね。

 

そうですね。国体とは、日本人の脳裏にある序列観念のことでしょうね。わが国の序列社会の構造は、敗戦と占領期を経ても変化しなかった。

 

>白井:そうです。「戦後の国体」となった対米従属構造を維持することで、権力を保持しているのが安倍政権に代表される日本の支配層です。

 

序列観念を変えなければ、どうしても ‘支配・従属’ の関係になりますね。

 

> (中略)

>白井:戦後直後から今に至るまで、日本人はアメリカに負けたという事実から目をそらそうとしてきました。 >8月15日を「敗戦の日」ではなく、「終戦記念日」と呼んでごまかしていることから始まって、戦後の日本は「敗戦の否認」を続け、アメリカに従属していることを直視しないでいる。

 

我々は、きれいごとを多数発して、良い気分・雰囲気を得ようと努力しています。アメリカと一心同体だと思っているのかもしれませんね。

 

>でも、そうした支配を否認する日本人の心理的な構造は、戦後に始まったものではない。 >わかってしまえば、簡単なことです。

 

そうですね。わが民族の伝統ですね。

 

>戦前の日本人には、疑うことなく「国体」に付き従うというマインドがインストールされていた。

 

皇民化教育により、筋金入りの兵士が生まれました。

 

> (中略) >たとえば、特に悲惨を極めた南方戦線では、弾に当たって死んだ兵士よりも、餓死やマラリアで死んだ兵士のほうが断然多かった。

> (中略) >だからあの戦争が終わったとき、人々の間にはとてつもない解放感が広がったわけですね。

 

序列観念の重圧から解放された気持ちが強かったですね。良い気分・雰囲気でした。

 

>負けたことよりも、とにかくこんなばかげた状態が終わってうれしいということになった。 >それは要するに「国体」から解放されたということだった。

 

そうですね。国体からの解放は、我々の思い違いでしょうね。我々の序列観念は、頭の中で健在でした。

 

>■思考を奪う「国体」という病

>國分:それは別の言い方をすると、そもそも日本は戦争に勝とうとしていなかったということになりますか。 >(中略) >白井:負ければ大変なことになる、そして現実に敗色濃厚になりつつある。 >それらは自明だったわけですね。 >そうなると、もうそんな現実は見たくない、というメンタリティではないでしょうか。

 

御破算で、願いましては、、、、

 

>そういう意味では1945年の敗戦以前に「敗戦の否認」をしているのですね。 >「国体護持」を唱えながら、国を真剣に守るという思考が停止していたのです。

 

現実の内容は、頭の外にある。見ることができる。見ればわかる。

非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。見ることができない。ただの話である。話の筋を理解するためには、文章の理解が必要である。

見ることのできる内容は、’本当のこと’ である。見ることのできないものは、’嘘’ である。誰しも、見て来たような ‘嘘’ はつきたくない。だから、自分自身の考え (非現実) は、語らない。これが、思考停止の状態である。このような状態を長く続けると、思考停止と受け売りばかりが増殖して、国のかじ取りはどうにもならない。

 

>で、敗戦の事実が確定した後にも、それをだらしなく続ける。 >だから、関係者たちの責任が放置され、今日でも追及が甘い。

 

そうですね。この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。とかく、この世は無責任。

 

>(中略)

>■欧米へのコンプレックスとアジアへのレイシズム >國分:そこで白井君のビジョンを聞きたいのですが、日本国民はきちんと責任を取る近代的主体になるべきだと考えていますか。

 

責任を取る主体になるべきですね。

しかし、意思のない人間には、責任もない。そして、日本人には、意思がない。

意思は、未来時制の文章内容であるが、日本語文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制はなく、日本人には意思がない。だから、日本人は、欧米人と同列な比較の対象にはならない。

 

>(中略) >白井: 重要なのは、政治ではなく、国民が元気でいられるかどうか、です。 >国民に元気さえあれば、政治はろくでもなくても、それなりの秩序を形成できると思います。 >たとえば、中国の人たちと話をしていると、彼らの中にナショナリズムと非ナショナリズムが共存していることがわかり、すごく面白いんですね。 >彼らは「共産党なんてろくでもない」と思っている一方で、「共産党しかない」とも思っている。

 

‘分かっちゃいるけど、やめられない’ と言うことですね。

 

>それで自分は何をするのかというと、自分の商売を頑張る。こういう発想なんですね。

>これは「自民党なんていいとは思わないけど、自民党しかない」として自民党を支持している日本国民とは似て非なるものだと思います。

>日本の場合は政治に対してすごくナイーブなんですよ。

 

日本人には、世界観 (world view) がない。だから、政治家は、未来社会の建設に指導力を発揮できません。

 

>國分:いまの問題に関しては『国体論』の中に1つの答えが出ていて、白井君はそれを「奴隷」という言葉で表しています。 >ニーチェが言ったように、奴隷は自らが奴隷であることを否認し、自分の現状をすばらしいものだと思い込んでいる。 >そして、「お前は奴隷なんだぞ」と言ってくる自由人たちを誹謗中傷し、自分の惨めな境遇を押し付けようとする。 >(中略) >実際、日本はそれをうまく利用され、支配されてきました。

 

日本人は、昔から序列観念により支配し・支配されてきました。

 

>戦後の日本がアメリカの支配の中で受け取った価値観は、自由主義でも民主主義でもなく、結局のところ近隣のアジア諸国を差別する権利だったわけです。

 

そうですね。’上とみるか・下とみるか’ の価値観の復活ですね。

 

>こうしたコンプレックスの中にいるかぎり、日本の奴隷根性がなくなるはずがない。

 

そうですね。奴隷根性からの脱却は、難しいですね。

日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。’上とみるか・下とみるか’ の判断が疎かであっては、日本語の日常会話も難しいです。

人を見損なってはいけないという想いは、強迫観念の域にまで高められています。そうでなければ、我々は礼儀正しい日本人にはなれません。

日本人の礼儀作法は、序列作法になっているからです。世俗の序列順位は、日本社会の隅々にまで示されていて、コンプレックスの維持に役立っています。

 

>(中略)

>■『国体論』の先にある日本にとって重要な課題 >白井:(中略)最初の問いに戻れば、支配されているという事実、日本の状況がどんどん悪くなっているという事実から目を背けている奴隷根性が、安倍政権を支えている。

 

そうですね。日本人の自主性のなさがわが国の状況をどんどん悪くしていますね。

 

>國分:この奴隷根性から脱出することが日本にとって重要な課題であり、『国体論』のひとつの課題でもあったと思います。 >(中略) >白井:まずは「国体」のもと、支配されていることを否認するという病癖に日本人が気づくことから始めるしかないでしょう。

 

そうですね。しかし、序列人間の日本人に ‘寄らば大樹の陰’ を否定することは難しいでしょうね。

 

 

 

 

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閲覧数634 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/04/06 09:43
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