2019年05月19日(日) 

 

 

> 戦後の日本の教育内容ですが、戦中とは全く反対の内容に切り替わり、戦前の立身出世が全面的に押し出される形になりました。

 

序列志向に変わりはありませんね。

 

> GHQ(連合国軍総司令部)によってそれまでの日本の国家主義と呼べる内容は殆ど除外され、アメリカの民主主義的な教育内容に変化したのです。

 

それは、良かったですね。

 

>■日本を解体したアメリカ

>日本が敗戦後にアメリカをはじめとする連合国らに占領されたことで、それまでの学校の教育内容などは全く別物になりました。>アメリカの狙いというのは日本が再びアメリカや西洋諸国に反抗できないようにするために徹底した武装解除などを行い、日本を洗脳・支配することでした。

 

またもや、洗脳教育ですか。皇民化教育の時と同じ手法によるものですか。

 

>その中で特に注目するべきなのはそれまでの日本の国家主義教育の完全な排除でしょう。> 事実、占領後しばらくの間は日本の小学校などで使われていた教科書の中の軍事・天皇に関する部分を黒墨(くろすみ)で塗りつぶさせ、読めなくさせていたこともありました。>また、新聞や雑誌・ラジオなどのメディアにおいても厳しい報道規制がかけられることになり、原子爆弾の投下やアメリカなどの連合国を批判するような内容は徹底して禁止されていました。> 要するに欧米の植民地支配に最後の最後まで抵抗し続けたアジアの大日本帝国という存在を、もう2度と復活させないようにするための解体作業を施すのが連合国側の狙いだったのです。

 

それは、良かったですね。

 

>■教育の民主化

>では教育内容はどうなったのかと言うと、戦中の「お国の為に」という日本の合言葉はすっかり消え去りました。

 

そうですね。国がなくなったわけではないのですがね。

 

> 日本を占領したGHQが日本の教育の民主化を打ち出し、日本国民に対し「教育を受ける権利」を日本国憲法に記したのです。

 

GHQにより、我々に権利が与えられたのですね。

 

> 厳密には占領軍の代表格のアメリカの教育制度が日本にも取り入れられ、義務教育の年数や高等教育機関の年数などもアメリカと同じになりました。> 小学校6年・中学校3年・高等学校3年・大学4年という年数も、GHQの決定により決まった事なのです。

 

わかりました。わが国も、アメリカ式の教育制度になったのですね。

 

> 次に教科書の仕組みも大きく変化することになりました。 > 今までは日本の政府が教科書の内容を決めて国民に何を教えるかを独占していたのですが、日本の敗戦後は検定教科書と呼ばれる教科書に変わり、各出版社や知識人らが自由に教科書を作成できるようになったのです。

 

教科書は、為政者の都合の良い内容にはならなくなったのですね。良かったですね。

 

>そして、この教育の民主化により変化した教育制度というのが今現在の我々の受けている教育内容と言えるでしょう。> 国家主義思想というのが排除されたことにより、それまでの義務教育制度の1つの側面である個人の立身出世主義というのが全面的に表に出てきたわけです。

 

日本人の個人主義 (individualism) は、ともすれば利己主義 (egotism) と混同されがちですね。

 

> 一部の経済的富裕層や教育ブームに影響を受けている人々たちの間で流行の「お受験」や「偏差値主義」などがまさに代表的な例といえるでしょう。

 

そうですね。処世術 (conduct of life) の過熱ですね。日本人には、処世術 (現実) があって、哲学 (非現実) がない。だから、時流に流されます。

 

> 要するに、日本の義務教育の原点である学制は個人の立身出世主義を市民に植え付けることで就学率を上げてきましたが、戦時下ではそれが排除されて国家主義になり、敗戦後は完全に国家主義が排除されて元に戻ったということです。

 

そうですね。’もとの木阿弥’ にかえったのですね。

わが国は、立身出世主義が盛んですね。それは、’上とみるか・下とみるか’ の判断が盛んであるからでしょう。

どうしてそれほどわが国に序列判断が盛んであるかといえば、それは日本語に階称 (言葉遣い) があるからではありませんか。’上とみるか・下とみるか’ の判断が正しく判断できないと、日本語の日常会話にも不自由します。

わが国の礼儀作法も序列作法に基づいているために、世俗の上下判断をはっきりと心得ていないと礼儀正しい日本人にもなれません。

’人を見損なってはいけない’ という想いは強く脳裏に焼き付いていて強迫観念の域に達しています。ですから立身出世主義は国民の一人一人が望むところであり、我が国においては廃れる様子がありません。

日本人は、現実を信じる。だが、非現実 (考え) を信じない。目で見ることのできる内容は ‘本当’ のことであり、見ることのできないものは ‘嘘’ である。序列は現実の中にあり、あるべき姿の内容は、非現実の中にある。立身出世主義は序列争いであり、現実の中にある。理性的な人間は考えであり、非現実の中にある。立身出世主義と理性主義はその所在が違うので、同次元では考えられない。現実の内容と非現実の内容が想定できれば、その中庸も論ずることが可能になる。教養ある人になる。現実ばかりでは、議論はできない。唯一の正解を信じるほかなく、閉塞感がある。

英文法には、時制 (tense) というものがあり、英米人は、非現実 (考え) の内容を文章にすることが可能である。非現実の世界は独立した三世界 (過去・現在・未来) に分かれている。それぞれの世界が白紙の状態にあるので、自分自身の考えでその内容を埋めなくてはならない。だから、英米人は、思春期になって言語機能が発達してくると、’考える人’ になる。これが、高等教育を始める適齢期である。非現実の三世界があると世界観を持つことになる。すると、これを基にして現実を批判できる。かくして、批判精神の持ち主となる。

我々日本人も、日本語と英語の両言語を熱心に学び、時制の有用性を十分に理解して、自分の考えを持つべきである。さすれば、国際社会においても、信用されるようになる。そうでなければ、つかみどころのない人間にとどまる。

 

(略)

 

 

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閲覧数57 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/05/19 04:39
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