2019年06月04日(火) 

 

 (略)

> 再生可能エネルギー100%を目指すNZ [ニュージーランド]

 

ニュージーランドは、日本と同じような島国で地震国ですね。比較・検討に値しますね。

 

>再生可能エネルギー発電というのは、自然界の何らかの作用を利用して発電する方法です。>別の言い方で自然エネルギーなんて言い方もしますね。> 例えて言うなら、太陽光、風力、波力、地熱などが挙げられます。

 

わが国には、どの自然エネルギーもありますね。

 

> 逆に天然ガスや石油、石炭などを使った化石燃料や、ウランなどの地下資源を使った発電方法を枯渇性エネルギー発電と言うそうです。> 日本の場合、発電量全体の90%を枯渇性エネルギー、10%を再生可能エネルギーでまかなっています。

 

わが国は資源小国でありながら、現状は行き当たりばったりの政策でしょうね。

 

>2011年の地震の後、さまざまな企業が参入して再生可能エネルギーを増やそうとしていますが、大きく数字が逆転するほどの成果はまだ上がっていません。

 

わが国の指導者の固い決意の表明が必要ですね。

 

>ところがニュージーランドの場合、全体の74%が再生可能エネルギー発電でまかなっています。>内訳は53%が水力発電、地熱発電で13%、そして5%が風力発電です。>そして2025年までに全体の90%を再利用可能なエネルギーに置き換えると政府は2007年に発表しています。

 

彼等には、努力目標と固い決意がありますね。優柔不断・意志薄弱な人間には、真似ができません。

 

> 以上。

>ーーーーーーーー

>福島原発事故以後、原発の危険性が人々の前に曝け出した。

 

‘安全・安全’ といいながら、誰にでもわかるような想定外が存在する。現実直視ができないことによる大日本帝国の敗戦のようなものか。

 

>また、原子力発電がなく、火力や水力などの発電方法でも電力の提供には十分ということもわかったはずが、それにも関わらず、原発の使用まだ禁止さていません

 

日本人には、意思 (will) がない。意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 仕方がないので、無為無策でいる。

意思は、未来時制の文章内容である。ところが、日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制も存在しない。そして、日本人には意思がない。

英文法には時制がある。だから、英米人には意思がある。我々日本人も、日本語と英語の両言語を学んで時制の大切さを理解しよう。そして、自己の意思の表明能力を獲得しよう。さすれば、国際的にも信頼される。つかみどころのない人間よ、さようなら。

 

>本気で原発をやめたいなら、ニュージーランドのように再生可能エネルギーを普及し、再生可能エネルギーの研究が今後の課題と感じた。 

 

そうですね。日本人は、無哲学・能天気である。在るのは現実のみである。人の振り見て、我がふり直せ。だから、いつでも現実に流されている。自己の ‘あるべき姿’ は何処へやら。

あるべき姿は、非現実の内容である。非現実の内容を現実の内容に変えることができれば、それは創造力を発揮したことになる。我々に人間固有の創造力が発揮できるか。猿真似ばかりでは、立つ瀬がない。

政治には、政治哲学が必要である。我々の ‘行き着く先’ を高く掲げて、政治家も有権者も地道な努力を持続させる必要がありますね。

 

 

.

 

 

 

 

 


閲覧数557 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/06/04 05:45
公開範囲外部公開
コメント(0)
  • 次項有コメントを送信
    閉じる
    名前 E-Mail
    URL:
■プロフィール
シンちゃんさん
[一言]
明るい未来社会を築こう
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このアルバムのURL
https://e-jan.kakegawa-net.jp/blog/blog.php?key=840953