2019年07月03日(水) 

 

 

(略)

> 戦後日本の「国体」の姿は、現行憲法の前文に明白に述べられている。> 「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。>そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。>これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。>われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」

 

そうですね。

 

> 戦後日本の「国体」は、基本的な人権と自由を有する国民の意志によって国家が形成される国民主権の国家である。

 

しかし、日本人には意思がない。だから、意思決定は、無理でしょうね。そして、日本人には、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。だから、恣意決定なら可能である。

意思は、未来時制の文章内容である。しかるに、日本語文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制は存在せず、日本人には意思がない。

 

>現行憲法は「国民主権」を「人類普遍の原理」であるとし、この原則に反するいかなる法令や詔勅を排除すると規定している。

 

そうですね。しかし、日本人は、無哲学・能天気の人々である。だから、’人類普遍の原理’ は、理解されることが難しい。

非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。それは、見ることができない。ただの話に過ぎない。その内容を理解するには、文章の理解が必要になる。これは、骨が折れる仕事である。だから、これは通常やらない。忖度 (推察) でごまかしている。理詰めの話とは、受け取っていない。深刻な話とは考えていない。

見ることのできる内容は、’本当のこと’ である。見ることのできない内容は、’嘘’ である。誰しも、見て来たような嘘をつく人には、なりたくない。だから、自分自身の非現実 (考え) の内容は、語らない。そのうちに、考えそのものが停止する。これが、日本人の思考停止である。かくして、無哲学・能天気の状態は、持続する。

 

>これは、万世一系の天皇の国である「神国」を個人を越える神秘的な共同体として措定し、そこに住む国民を、天皇の「赤子」である「臣民」として国家に組み込む明治憲法下の「国体」とは、対極にある国家の形態だ。

 

そうですね。日本人は、あくまでも序列制で行きますね。

日本語には、階称・言葉遣いというものがある。上と見るか・下と見るかの判断で行かないと、日本語の会話も流暢なものにはならない。また、日本人の礼儀作法も序列作法になっているので、世俗的な上下判断が正確でないと、礼儀正しい日本人にはなれない。人を見損なってはいけないという想いが強迫観念の域に達していて、始終あたりに気配りをする状態にあります。

 

> 戦後日本の国家の形は、基本的に欧米の民主主義国家と同一であると見てよい。

 

それは、上辺ばかりのことですね。かつての鹿鳴館のようなものか。

 

>基本的人権を保証された個人としての国民が、主権を行使して形成する欧米流の「民主主義国家」なのだ。

 

そうですね。付け焼刃のようなものですね。

 

>明治国家の自己否定を前提にした戦後日本の国家の形は、これ以外の他の道を選択することは不可能な構造になっている。

 

法的には、そうでしょうね。しかし、日本人のメンタリティは、そうなっていない。人間本位の考察も必要ですね。

 

> 戦後日本の基底にある自己否定を否認し、明治国家の「国体」への復帰を目指すことは、ポツダム宣言の受諾からサンフランシスコ講和条約の調印に至る戦後日本の独立と国際社会復帰の前提を全面的に取り消し、太平洋戦争時の戦争状態に戻ることを意味する。

 

そうですね。戦争は、もうこりごりです。

 

>つまり、これを否認することは、戦後日本の独立性の根拠を否定することにしかならない。

 

そうですね。

 

>どんなに異を唱えても、これが戦後日本の現実であることを我々は知らなければならない。

 

そう言ってしまえば、身も蓋もない。我々には、理にあった解決策が必要ですね。みんなでそれを考えましょう。

 

>敗戦を否認する勢力

>だが、戦後日本に特有な問題はここから始まる。>戦後日本の形態と、戦前の明治国家の「国体」とは根本的に断絶している。>この断絶は、徳川期の日本と明治国家との断絶にも匹敵すると言っても過言ではない。>封建制の徳川幕府と国家神道の明治国家の間に不可逆的な断絶があるように、戦後日本と明治国家を連続した国家として見ることには根本的な無理がある。>国家の成立の前提が基本的に異なっているからだ。>やはりこれも、不可逆的な断絶だ。

 

そうですね。

 

>しかし戦後日本は、この事実の受け入れを拒絶する勢力によって主導されてきた。>この勢力は、敗戦という事実によって国家の形態が断絶した事実を否認し、そうすることで戦後日本の前提である主権在民と民主主義の適用を無効化、ないしは無限に遅延させることを目標にする。

 

主権在民と民主主義は、無哲学・能天気の人間には、縁がありませんね。

 

>そうした勢力こそ、現在の日本の支配層である自民党、ならびに高級官僚層、そしそれと癒着している一部産業である。>この現実を否認する態度は、病理としか呼びようがない。>この病理は、A級戦犯が祭られている靖国神社の参拝を繰り返すところに如実に現れている。

 

そうですね。理屈は通用しませんね。

 

> 先に書いたように、日本の国際社会への復帰と独立を保証したサンフランシスコ講和条約は、極東軍事裁判の判決で確定された、日本国民と天皇を戦争責任から赦免するシナリオに基づいている。>これを実現するためにこのシナリオは、すべての戦争責任を戦争指導者であるA級戦犯が負うこととした。

 

それは、政治的なことでしょうね。

 

>A級戦犯が祭られている靖国神社を参拝する閣僚や政治家が後をたたないことは、現在の日本には、日本の独立を保証したこのシナリオをかたくなに拒否する勢力が、支配層として君臨していることを現わしている。

 

言外の事柄に従って、行動しているのでしょうね。アンリーズナブル (理不尽) な行為に出てるのでしようね。

 

>そしてさらに悪いことに、いま多くの日本国民がこの否認の態度を支持し、支配層と同じメンタリティーを共有しつつある。

 

そうですね。日本人に序列メンタリティは避けられませんね。この道は、いつか来た道。

 

>このメンタリティーにこそ、現在の日本人の歪んだ深層心理が存在していることを示唆している。

 

序列は、日本語の階称 (言葉遣い) に基づいていますからね。

 

>おそらく支配層とともに多くの日本人も、このシナリオを拒否しても日本は独立を維持できると信じているのであろう。

 

そうでしょうね。民意であり、民主主義だと考えているのでしょうね。

 

>そのため、極東軍事裁判からサンフランシスコ講和条約の一連の流れのなかで形成された「日本敗戦」の歴史観を自虐史観として否定し、戦前の日本をアジアの解放者として持ち上げるなんの普遍性もない独自な歴史観に置き換え、そしてひいては「敗戦」という事実さえなかったことにしたいと思っている。

 

そうですね。カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の<”ジャパン・プロブレム”>の中で下記の段落のように述べています。

、、、、、日本の社会でいう “現実” (リアリティ) とは、客観的に観察した結果としての実際の事実というより、心情的なイメージに合わせて構築された、そうあるべき “リアリィティ” だからである。そしていうまでもなく、望ましいと想定されるイメージは、そのときその人の属するグループの利益と一致することが多い。 、、、、、 

西洋では、現実はそうやすやすと管理されたり、意のままに作り変えられたり、相談で決められたりするものとは、考えられていない。つまり、こうあるべきだという任意の考えによって左右されるものとは考えられていない。事実、西洋の哲学または西洋の常識の基礎は、人間にはつきものの自己欺瞞をおさえるには、妄想や幻想を入り込ませないようつねづねよく注意することだと教えている。ギリシャ文明以来、西洋の知の発達の歴史を貫いてつねに強調されてきた戒めが一つあるとすれば、それは、「矛盾を育むなかれ」ということである。この戒めは、論理、数学、科学の根本法則である。(引用終り)

 

(略)

 

 

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閲覧数321 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/07/03 21:22
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