2019年07月11日(木) 

 

>野田雄二 ( 53 営業 )  15/06/17 PM08 【印刷用へ】  >「考える力」で検索してみると沢山の本が出てきますが、その殆どが2012年以降。

 

そうでしょうね。最近ですね。

 

>・考える力を育てるお話366 2012年09月リンク > ・・・・・・・・> ・「自分で考える力」が育つ親子の対話術2015/3/20リンク 

 

我が国においても ‘考える力’ の大切さが理解され出したようですね。

 

> このころ何があったのか、「考える力」をキーワードに探してみると、その出発点は文部科学省の審議会のようです。 > 「予測困難な時代において生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ」2012/3/26リンク 

 

創造的な活動をする大学が求められていますね。日本人には意思がないから、’主体的’ には期待が持てませんね。

 

>抜粋するとこんな内容です。

>・新聞社の世論調査では、日本の大学は、世界に通用する人材や企業、社会が求める人材を育てているかとの質問に、6割を超える国民が否定的な回答をしている

 

残念な結果になりましたね。

 

> ・「失われた20年」とも言われる時代を経て、企業を含めた社会全体がこのような社会経済の構造的な変化に直面し、科学技術から経営、社会システムに至るパラダイム(認識や考え方の枠組み)の転換を模索しなければならない厳しい環境におかれている。 >・予測困難な時代にあって生涯学び続け、主体的に考える力を持った人材は、受動的な学修経験では育成できない。

 

そうですね。日本人には、意思がない。だから、能動的にはならずに、受動的になる。仕方のないことです。

 

>・求められる質の高い学士課程教育とは、教員と学生とが意思疎通を図りつつ、学生同士が切磋琢磨し、相互に刺激を与えながら知的に成長する課題解決型の能動的学修(アクティブ・ラーニング)によって、学生の思考力や表現力を引き出し、その知性を鍛える双方向の講義、演習、実験、実習や実技等の授業を中心とした教育である。 

 

そうですね。しかし、日本人には意思がないから、意思疎通は不可能ですね。意思 (will) は、未来時制の文章内容であるが、日本語文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には、未来時制は存在せず、日本人には意思がない。

その代わり、日本人には恣意 (私意・我儘・身勝手) があるから、恣意疎通           (阿吽の呼吸・つうかあの仲) が可能であります。

現実の内容は、頭の外にある。これは、見ることができる。見ればわかる。だから、考える必要はない。楽ちんである。無哲学・能天気でも一向に差し支えない。

非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。これは、見ることができない。ただの話である。その話の内容がわかる為には、その文章を理解しなくてはならない。全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。だから、聞き手は考えて理解しなくてはならない。これは、しんどい事である。だから、大抵の日本人は、考えることをしないで、忖度 (推察) を使って、その場を切り抜けることにしている。しかし、理解と忖度は、似て非なるものである。’理解’ は、話者に属している内容であるが、’忖度’ は、聞き手に属する内容である。だから、日本人の聴衆は、話者の内容を無視することになり、現実直視ができていない。だから、話者と聞き手の議論も成り立たない。理解の内容と忖度の内容の間に矛盾の存在すること見つけて指摘すると、忖度の人は、’だって私は、本当にそう思ったのだから仕方がないではないか’ と抗弁する。あくまでも、現実直視を拒否する立場をとる。日本人の頑迷さは、ここにある。日本人が、’理解’ の意味を理解していない事実を、外国人からも指摘されている。この理不尽は、国際相互理解の大きな障害になっている。

 

カレル・ヴァン・ウォルフレンは、<日本/権力構造の謎・上>の中で、日本語の”理解”について下記のごとく述べています。

“信念”が社会・政治的状況によって変わり、”リアリティ”も操作できるものであるとすれば、多種多様な虚構 (フィクション)を維持するのはかなり容易になる。このような虚構によってもたらされる国際的な言語表現上の混乱は、日本の評論家や官僚が “理解”ということばを口にするときの特別な意味づけによって、さらに複雑になる。”相互理解”をさらに深めることかが急務である、という表現をもって強調されることが多い。

ところが、たとえば日本語で「わかってください」というのは、「私の言っていることが客観的に正しいかどうかはともかく、当方の言うことを受け入れてください」という意味の「ご理解ください」なのである。つまりそこには、どうしても容認してほしい、あるいは我慢してほしいという意味が込められている。したがって、このように使われる場合の”日本語”の理解は、同意するという意味になる。だから、”理解”の真の意味は、その人や物事を変えるだけの力が自分にない限り、そのままで受け入れるということである。、、、、、(引用終り)

 

我が国の評論家や官僚の言う ‘ご理解ください’ は、’文章内容の理解’ の要求ではない。’自分自身の恣意の疎通を願ってやまない’ ということの表明である。身勝手な同意の要求に他ならない。だから、日本人は、国際人になることが難しい。

 

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閲覧数61 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/07/11 16:33
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