2019年07月21日(日) 

 

 

>347747 学校教育はいつ変わるのか?1  > 道民 ( 23 会社員 )  19/07/19 PM06 【印刷用へ】 

>文部科学省では現在の学校が、将来の変化が予測できない時代に対して無抵抗でなにもなしえないことが言われている。

 

そうですね。日本人には、意思がない。だから、優柔不断・意志薄弱で無為無策の状態でいます。

 

>そこで次の手として、子供たちには現在と未来に向けて、自らが人生をどのように拓いていくのかが求められている。>新しい時代に向けて学校は準備をしなければならない。>その準備とはなんなのか?

 

それは、言語が大きな課題となるでしょうね。

 

> 国は本気で学校を変える気があるのか?

 

日本人には、意思がない。本気か、そうでないかは、問題になりませんね。本気になってもできません。

意思 (will) のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. だが、日本人には、意思がない。仕方が無いので、無為無策でいる。

日本人には、意思がない。意思は、未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから日本語の脳裏には未来時制は存在せず、日本人には意思がない。

>―――――――――――――

> URL: リンク >Web:文部科学省

> 子供たちが将来就くことになる職業の在り方についても、技術革新等の影響により大きく変化することになると予測されている。>子供たちの65%は将来、今は存在していない職業に就く(キャシー・デビッドソン氏(ニューヨーク市立大学大学院センター教授))との予測や、今後10年~20年程度で、半数近くの仕事が自動化される可能性が高い(マイケル・オズボーン氏(オックスフォード大学准教授))などの予測がある。> 新しい時代にふさわしい学校の在り方を求め、新たな学校文化を形成していく必要がある。

 

そうですね。’考える人’ を育成することが必要ですね。

 

> 予測できない未来に対応するためには、社会の変化に受け身で対処するのではなく、主体的に向き合って関わり合い、その過程を通して、一人一人が自らの可能性を最大限に発揮し、よりよい社会と幸福な人生を自ら創り出していくことが重要である。

 

そうですね。しかし、日本人には、意思がない。能動は無理なので、仕方なく受動になっている。可能性を最大限に発揮することは無理でしょうね。

 

>教育を通じて、解き方があらかじめ定まった問題を効率的に解ける力を育むだけでは不十分である。

 

そうですね。暗記力だけでは、不十分ですね。

 

>これからの子供たちには、社会の加速度的な変化の中でも、社会的・職業的に自立した人間として、伝統や文化に立脚し、高い志と意欲を持って、蓄積された知識を礎としながら、膨大な情報から何が重要かを主体的に判断し、自ら問いを立ててその解決を目指し、他者と協働(※4)しながら新たな価値を生み出していくことが求められる。

 

しかし、日本人には、意思がない。主体的な行動は無理なので、いつも後追いの行動になっていますね。

 

> 学校の場においては、子供たち一人一人の可能性を伸ばし、新しい時代に求められる資質・能力を確実に育成していくことや、そのために求められる学校の在り方を不断に探究する文化を形成していくことが、より一層重要になる。 

 

非現実 (考え) の内容は、人様々ですね。この内容を大切に保護すれば、個性的な人間が生まれます。そうでなければ、没個性の人間ばかりになります。

 

> 社会への準備段階であると同時に、学校そのものが、子供たちや教職員、保護者、地域の人々などから構成される一つの社会でもある。

 

日本人のことですから、序列社会を作らないように気をつける必要がありますね。学校で、子供たちに同次元で序列順位の争いをやめさせましょう。

 

> 子供たちは、学校も含めた社会の中で、生まれ育った環境に関わらず、また、障害の有無に関わらず、様々な人と関わりながら学び、その学びを通じて、自分の存在が認められることや、自分の活動によって何かを変えたり、社会をよりよくしたりできることなどの実感を持つことができる。

 

社会建設の体験学習ですね。

 

> 社会的意識や積極性を持った子供たちを育成する場なのである。

 

日本人には世界観が無いので、社会的意識を持つことは難しい。現在は、何処においても利己的な現実的な解決法 (処世術) に専念していますね。世界観は、非現実 (考え) の文章内容であります。非現実 (考え) の内容は、時制のある文章内容として表現されます。その内容は、独立した三世界 (過去・現在・未来) から成り立っています。各世界の文章内容は、際限なく展開が可能であります。社会の ‘あるべき姿’ は、未来時制の文章内容になります。ですから、子供は自分の内容を発表することが可能になります。しかし、日本語には時制というものがないので、日本人には世界観の表明は不可能になっています。

日本人には意思がないので、積極性を持たせることも難しいです。意思は未来時制の文章内容ですが、日本語の文法には時制というものがないので、日本語の脳裏には未来時制は存在しません。ですから、日本人には意思がありません。

 

> 子供たちに、新しい時代を切り拓(ひら)いていくために必要な資質・能力を育むためには、学校が社会や世界と接点を持ちつつ、多様な人々とつながりを保ちながら学ぶことのできる、開かれた環境となることが不可欠である。

 

子供たちを学校に閉じ込めておくことは、良くないですね。社会や世界の人々と意思の疎通を行なえると良いですね。しかし、日本人には、意思がない。ですから、我々は、相手の人と意思疎通の代わりに恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) を行って、これを得意としていますが、これは、非言語の世界であって、言語によるリーズン (理性・理由・適当) の世界ではありません。恣意 (私意・我儘・身勝手) は、文章内容にならないので説明責任が負えません。理由なき反抗のようなものになって、国際的には通用しません。日本人同士であっても、恣意は議論になりません。ですから、我々には、話し合いも難しいです。恣意を放置すれば、学校は開かれた環境にもなりません。

 

>ユネスコが提唱する持続可能な開発のための教育(ESD)(※6)も、身近な課題について自分ができることを考え行動していくという学びが、地球規模の課題の解決の手掛かりとなるという理念に基づくものである。

 

そうですね。身近な課題を解決して、地球規模の課題に進むのですね。

 

>これからの教育課程には、社会の変化に目を向け、教育が普遍的に目指す根幹を堅持しつつ、社会の変化を柔軟に受け止めていく「社会に開かれた教育課程」としての役割が期待されている。

 

日本人には、思考停止がある。社会の変化を柔軟に受け止めることは難しいでしょうね。

現実の内容は、千変万化します。だから、不変の内容は、現実からは得られません。しかし、非現実 (考え) の内容は、不変です。ですから、非現実 (考え) を使えば、個人主張が可能です。

非現実 (考え) の内容は、時制のある文章により示すことができます。英文法には、時制 (tense) があります。英語を利用すれば、我々日本人にも非現実 (考え) の表現が可能になります。ぜひ、英語を利用しましょう。

 

>1.社会や世界の状況を幅広く視野に入れ、よりよい学校教育を通じてよりよい社会を創るという目標を持ち、教育課程を介してその目標を社会と共有していくこと。

 

我々日本人も世界観を持つことが必要ですね。

 

>2.これからの社会を創り出していく子供たちが、社会や世界に向き合い関わり合い、自らの人生を切り拓(ひら)いていくために求められる資質・能力とは何かを、教育課程において明確化し育んでいくこと。

 

子供の意思を尊重して、個性を護る教育が必要ですね。

 

>3.教育課程の実施に当たって、地域の人的・物的資源を活用したり、放課後や土曜日等を活用した社会教育との連携を図ったりし、学校教育を学校内に閉じずに、その目指すところを社会と共有・連携しながら実現させること。 

 

伝統的な恣意疎通を意思疎通に改める必要がありますね。そうすれば、国際的な連携も可能になります。そのためにも、日本人には意思の確立が必要ですね。

我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学び、文法における時制の大切さを十分に理解することが必要ですね。さすれば、自己の意思と世界観の内容が表明可能となり、国際的にも個人の理解が得られ、信頼も得られます。未来社会の建設に広く協力者を得て人類の進歩に指導者として貢献することが可能になります。

具体的な方策としては、我々が日本語と英語な堪能な人間になることが必要ですね。英米人は日本語を話すときでも、日本語による閉塞感を味わうことはありません。彼らは、日本語以外の考え方を知っているからでしょう。これが、我々が目指すべき状態です。

 

 

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閲覧数473 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/07/21 15:46
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