2019年08月04日(日) 

>348200 宗教と科学は唯一絶対の不変真理という思考で貫かれている  >匿名希望SY   19/08/04 AM02 【印刷用へ】 

>宗教と科学は、地動説か天動説かのように対比的に語られることが多い。>宗教裁判にかけられたガリレオにしろ、火あぶりになったブルーノにしろ、万物の創造者であり世界の中心である神(聖書)に対し科学の立場で異を唱えたのが科学者だ、と対立的な構図で捉えられがちだ。

 

そうですね。宗教と科学は、対立していますね。科学者は、現実直視 (実験と観察) をしますからね。現実直視を認めない人たちとは、対立せざるを得ませんね。

 

>しかし、ニュートンもガリレオもコペルニクスもギリシャ哲学のピタゴラスも、西洋の科学者は全て崇敬なキリスト教信者であり、彼らは神の創造したものを解読することが科学だという視点で一致している。

 

そうですね。彼らの目的は解読ですね。

 

>神の言葉、創造物を否定する意識は全くなく、むしろ神の存在を所与のものとしその啓示に迫ることが彼らの科学だ。

 

そうですね。しかし、彼等の現実を直視する行為は、彼らの出発時点の目的を裏切る結果になりましたね。

 

>ガリレオは数学を「神の創造物を解読するための第二の聖書」と言っており、神の創造物だからこそ、美しいものであり単純であり明快なものである、という思考のベクトルが前提の認識として働いている。(=オッカムの剃刀) >万物の対象は複雑に関係し常に変化しながら調和しているが、そのような変化を一切受け入れない唯一絶対の不変真理とするスタンスが数学の世界だ。

 

そうですね。数学には、現実直視の必要がありませんね。それならば、考えを改める必要も生じません。しかし、天文学など科学には、現実直視が必要ですね。ですから、現在の考えを改める必要性を否定することはできません。

 

>それは、とりもなおさず、現実を対象化せず非現実の世界を言葉化した神=旧約聖書を絶対不変の真理とする排他的思考と全く変わりはないのである。

 

そうですね。現実直視を問題にしない思考は、排他的思考ですね。

 

> 現代の科学はそのドグマから抜け出せず思考を停止しているが、実は近代科学は最初から進化ではなく滅亡のベクトルを刻印されているとも言える。 

 

現代の科学は、現実直視 (実験と観察) を重視していますね。ですから、排他的思考にはなりえませんね。

新しく現れた個人により様々な考えが提案され、次から次へと考えが更新されています。ですから、科学は際限なく進歩します。

現実の内容は、千変万化する。そして、その内容はただ一つある。非現実 (考え) の内容は、絶対不変である。そして、その内容は、人により様々である。矛盾を含まない内容は、すべて正しい考えをしめしています。ですから、正解は一つではない。幾らでもあります。ユダヤ人は、他の宗教も認めます。だから、布教活動もしないとのことです。

 

 

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閲覧数340 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/08/04 20:43
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