2019年08月05日(月) 

 

 

> 日本、中国、韓国と儒教の影響を受けたアジア諸国の子育てに共通するのが「偏差値主義」です。>これは、「ハードスキル(知識)偏重」と言い換えることもできます。

 

そうですね。徳目を暗記するための伝統的な教育法ですね。

 

> 教育事業をする中でさまざまなアジア人と接してきましたが、アジアの子どもの大部分に共通するのは「ガリ勉で内弁慶」タイプだということです。

 

そうでしょうね。アジアの社会は、自己実現とはかけ離れた世界ですからね。自己が埋没して日の目を見ることがない。

 

>これは、家庭における「ハードスキル(知識)偏重教育」の結果です。>しかし、◯×式のペーパーテストで満点が取れるだけではグローバル社会では通用しません。

 

そうですね。グローバル社会への適応は民族性に根差した問題ですね。

 

>たとえばアメリカの大学入試では「テストの点数」は学生を評価する一つの基準に過ぎず、テスト成績に加えて、リーダーシップ、社会性、協調性、創造力、問題解決力など「考える力」と「コミュニケーション力」を総合的に評価して合否を決定するのです。

 

それは、良い方法ですね。有能な人物を見つける可能性が増大しますね。

 

>ハーバード大学やプリンストン大学の入試では、SAT [Scholastic Assessment Test] と呼ばれる◯×式テストで満点を取っても不合格になることがあります。>テスト結果だけで合否を決めていると「同じタイプの学生」に偏ってしまうからです。

 

それは、そうなるでしょうね。

 

 (略)

> 「自信」「考える力」「コミュニケーション力」を軸にした教育へ

>昨今のニュースを見ていればわかるように、「名のある大手企業に入っていれば安泰」という世の中は、すでに終わりを迎えつつあります。

 

そうですね。‘寄らば大樹の陰’ ということわざは、通用しなくなりましたね。

 

>いつ、何が起きるかわからない。>そんな時代で子どもたちが自分の意志で生きていくには、変化に強くなるための資質を身につけなければなりません。

 

そうですね。意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. しかし、日本人には意思がない。仕方が無いので、日本人は無為無策でいる。精神修養が必要なのかな。

意思は、未来時制の文章内容である。しかし、日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制は無く、日本人には意思がない。

 

>その資質とは、具体的には3つ、「自信」「考える力」「コミュニケーション力」です。

 

どれも日本人には欠けているような3っの資質ですね。

 

>・チャレンジ精神や、どんな挫折もバネに変えられるための自信 

 

そうですね。それには、自己の信念が必要ですね。

自信は、自己の世界観と経験に支えられていますね。

自信・確信は、自己の世界観の充実と自己の経験の豊富さにより増大しますね。

英文法には、時制というものがあります。時制のある文章内容は、それぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) を表すことができます。これは、世界観 (world view) といわれているものです。英米人は、各々の枠組みの中に自分自身の内容を埋め込んでゆきます。各世界は、何処までもその内容の展開ができます。自己の内容に基づいて現実の内容を批判すれば、その人は批判精神を表したことになります。日本語には時制がないから、日本人には世界観はない。だから、批判精神もない。困ったことです。

 

>・自分で情報を取捨選択し、判断をしていくための考える力

 

考える力は、非現実 (考え) の内容の作文能力に依存していますね。

非現実 (考え) の内容を現実の世界で再現 (実現) することに成功すれば、それは創造力を表したことになります。

現実の内容を現実の世界で再現すれば、それは模倣したことになります。

特亜三国人 (日本人・中国人・韓国人) は、模倣を得意としているが、創造は苦手である。模倣は没個性の為、その競争が過酷なものになりがちです。

 

>・いつ、誰とでも協力関係をつくれるコミュニケーション力

 

考え (非現実) の内容は、頭の中に存在する。それは、見ることができない。ただの話に過ぎない。話の筋を理解するには、その文章内容を文法にしたがって理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、日本人は、これを省略する。その代わりに忖度 (推察) を利用して事を処理している。しかし、この方法は危険なものである。理解と忖度は、似て非なるものである。理解は、話者の内容に関する事柄である。しかるに、忖度は、聞き手の勝手な解釈である。忖度の内容は、話し手には何らの責任もない。聞き手は、現実直視になっていないから、議論にならない。それで、孤立する。話者の内容との違いを指摘されると、忖度の人は、’だって、本当にそう思ったのだから仕方がないではないか’ と反論する。この性癖は、一朝一夕には治らない。

情報伝達には、意思の疎通が欠かせない。しかし、日本人には意思がなくて、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。それで、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) が盛んになっている。これは、’自由のはき違え’ を生み出すことが多い。

 

>これらを鍛えることが、子育てにおける第一優先課題です。

 

そうですね。うまくゆくと良いですね。

我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学び、時制の重要性を十分に理解すべきである。さすれば、自己の世界観と意思の内容を広く世界に示すことが可能になる。国際的に人々の理解と信頼を得ることにより、未来社会の建設を推進する指導者にもなりうることでしょう。

 

> 子どもにお受験をさせたり、エスカレーター式の学校に通わせたりといった目的を優先させた子育てでは、むしろ、大事な3つの資質が育たない場合が多いのです。 

 

そうですね。着眼点が違っていますからね。日本語と英語の両言語を良く学びましょう。

 

 

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閲覧数452 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/08/05 21:46
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