2019年08月16日(金) 

 

> 『官僚病の起源』岸田秀 より引用

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>わたしがかねてから主張しているように、大東亜戦争における日本軍の惨敗の原因は、物量の差ではなく、>軍部官僚が言葉の真の意味での軍人の名に値しないのは、その卑怯さからも明らかである。

 

日本人には、意思がない。政治家とて、これは同じことである。意思がある人間であれば、その人の言動にはリーズン (理性・理由・適当) が求められる。意思のある人には、責任がある。日本人には、意思がない。だが、恣意がある。

恣意の人には、リーズンがない。意思がないから、責任もない。だから、その人の行為は、議論の対象とはならない。政治家はノー・アイディアでいて、官僚には ‘良きに計らえ’ と指示する。すると、政治家は、既成事実の追認に追われる羽目になる。

 

>(物量の差のために敗れたというのは軍部官僚の卑怯な逃げ口上である。>物量の差のために必然的に敗れるのであれば、そのような戦〈いくさ〉はしなければよかったのである。>それに、ミッドウェイ海戦のように、物量的にアメリカ軍より優位にあったときも日本軍は惨敗している)

 

勝負は、やってみなければ分からないこともありますね。

'敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである'  (昭和天皇)

 

>ましてや兵士たちの戦意や勇気の不足ではなかった。>(歴史上、この前の戦争における日本兵ほど身を犠牲にして懸命に戦った兵士がほかにいたであろうか)。

 

そうですね。日本人は、序列社会で育てられた序列人間です。序列人間は、祖国の序列に対する帰属意思が非常に強いですね。だから、懸命に戦います。

 

>最大の敗因は全体的戦略の欠落と個々の作戦のまずさであり、それは軍部官僚の責任なのである。

 

日本人には、意思がない。わが国には、相手の意思を問う者もいなければ、自己の意思を主張する者もいない。意思のあるところに方法 (仕方) がある。意思の無い者には、責任もない。

意思は、未来時制の文章内容である。だが、日本語文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制は存在せず、日本人には意思がない。

非現実 (考え) の内容は、時制のある文章内容として表現される。英文法には時制があって、時制のある文章内容は、それぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容を表すことができる。それぞれの世界は、果てしなく展開が可能である。初めは、英米人の三世界は白紙の状態であるが、これは、かれらにとって気になることである。そこで、自分でその内容を少しずつ埋めて行く。

思春期になって言語能力が急速に進むと、高等教育を受ける時期になる。そして、教養教育を受けながら自分自身の哲学をもつようになる。各人に、哲学は必要である。Everyone needs a philosophy. 自己の世界観 (非現実) に従って、現実の内容を批判すれば、その人は、批判精神の持ち主になる。

日本語には、時制がない。それで、日本人には、世界観がない。だから、批判精神もない。全体的戦略の欠落を批判することができない。

‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)

 

>そして、この点が重要なのであるが、軍部官僚の失敗は軍人であるがゆえの失敗ではなく、官僚であるがゆえの失敗であった。>大日本帝国は軍国主義のためではなく、いわば官僚主義のために滅んだのである。

 

そのように考えることもできますね。日本人は、序列人間ですからね。序列間の争いばかりに気がとられていたのではありませんか。自己の序列への帰属意識が強く、’省益 (陸軍省・海軍省) あって、国益 (大日本帝国) なし’ の状態でしたね。我田引水の成れの果てというのかな。

 

>軍国主義のためではなく、官僚主義のために310万の日本人と1000万以上(推定)のアジア人が死んだのである。

 

それは、序列メンタリティを背景にした ‘思考停止と上意下達’ の弊害によるものでしょうね。

日本人には意思がなくて、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。意思決定がなくて、恣意決定がある。意思疎通がなくて、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) がある。

意思は、未来時制の文章内容になるので意味がある。恣意は、バラバラな単語 (小言・片言・独り言) のままで存在し、文章にならないから意味がない。意味があれば、議論の対象になる。意味がなければ、議論にもならない。これが、日本人の間柄でしょう。

 

>もし当時の日本を支配していたのが、軍部官僚ではなく、政治の延長として軍事力を用いる非官僚的な軍国主義者、すなわち、彼我の軍事力のバランスを冷静に検討し、作戦の合理性を重視する軍国主義者であったとすれば、日本は戦争に突入していなかったかもしれないし、突入しても傷の浅いところで早目に切りあげていたかもしれない。

 

そうですね。彼を知り己を知れば、百戦危うからず。(孫子)

 

>戦後のわれわれはその点を見ず、単純に軍人に任せたのがよくなかったと考え、軍というものに病的な恐怖反応を示し、一部の者は、軍隊かどうか疑わしい自衛隊がいささかの発言権を持つのさえ恐れるが、それは敵を取り違えているのであって、真に恐れなければならないのは官僚なのである。

 

民主主義の世の中では、軍人も官僚も民意の代表者ではありませんね。これが民主主義の基本ですね。

 

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>(引用以上) 

 

 

 

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閲覧数417 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/08/16 11:49
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