2019年08月24日(土) 

 

 

>99459 戦時中におけるマスコミの国民支配  >平野貴紀 ( 24 エンジニア )  05/10/20 PM10 【印刷用へ】 

>マスコミのごまかし報道や大衆意識誘導報道は今に始まったことではない。

 

そうですね。

 

>大手出版社であるS社は、太平洋戦争当時の娯楽雑誌「日の出」にて戦時中にさんざん大衆を扇動しておいて、戦後素知らぬ顔で出版を続けている。

 

身変りの早さは、さすが大手出版社ですね。

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)

 

>「日の出」は巻頭言で「幾多の試練と難関は、来らん年と共にいよいよ加重されるであらうが、国民の決意と覚悟は既に出来てゐる」「日本男子の生命を軽んずるのは、死ぬことすなはち生きる事であるからである。>大君のために死ぬことは、永遠に生きる事だ。 >この自覚を持ち得ると否とが、日本国民であると否との相違でなければならぬ」といった調子の扇動を毎号繰り返していた。

 

‘日の出’ は、序列信仰に傾倒していましたね。

 

>ここで、「国民の決意と覚悟は既に出来てゐる」とはいったい誰が言ったのか?

 

それは、’日の出’ が言ったのでしょう。それは、’日の出’ の責任者の忖度 (推察) ではありませんか。忖度は、聞き手の勝手な解釈ですから、国民には、何の責任もありませんね。

 

>雑誌の編集者が全国民の代表であるかのような意識は、どこに生じたものなのか? >傲慢かつ無礼きわまりないことである。

 

‘日の出’ の編集長は、’日の出’ の責任者ですからね。忖度をする人は、現実直視をしていない。歌詠みのようなもので、議論の対象にはなりませんね。

 

>さらに読者が、編集者から命令されなければならない理由は何であるのか?といった疑問が出てくる。

 

‘日の出’ の読者は、’日の出’ の編集者からの命令を待ち望んでいますね。日本人は、無哲学・能天気ですから、頭の中は空っぽです。思考停止に陥っているので、他人に教えを乞うて自己の空白を埋める必要がありますね。

 

>要するに、編集者たちは読者を馬鹿にし、劣等者として見下していたのである。

 

その通りですね。読者は、暗記する内容を求めているのです。老師に教えを乞う弟子のようなものでしょう。

 

>このようなくだらない雑誌など読まなければいいではないかと思うのだが、どうも他に収束先がなかったらしい。+

 

そうですね。読者は、自分が受け売りをする内容を探しているのですね。

 

>他に手軽な娯楽を持たない大衆は、唯一の慰安を娯楽雑誌に求める以外になかった。>そして大衆の弱点はそこにあった>娯楽雑誌の編集者は、その弱みにつけ込んだのである。 

 

そうですね。非現実 (考え) の内容は、時制のある文章により表現される。その内容は、それぞれに独立している非現実の三世界 (過去・現在・未来) を示すことができる。その内容は、世界観 (world view) と呼ばれるものである。その内容は、初めは誰もが白紙の状態である。白紙の状態は、誰しも気になることである。だから、人間は、’考える人’ になる。各人は、自己の世界観の内容をすこしずつ補ってゆくことになる。これは、哲学 (非現実) の内容である。だから、’各人に哲学は必要である’ といわれている。Everyone needs a philosophy. 自己の哲学の内容を基準にとってげな実の内容を批判すれば、その人は批判精神を表したことになる。思春期になると言語能力が著しく発達するので、英米人は大学に入学して、哲学を学ぶ。そして、教養人に変身する。

英語には時制があって、英米人には世界観がある。だから、彼らには批判精神がある。議論が出来る。日本語には時制がなくて、日本人には世界観がない。だから、我々には批判精神がなく、議論が出来ない。

‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)

 

>特に収束すべきものもない今、マスコミによる流行(情報操作)などに踊らされている現在も同様の手口が用いられている。

 

とにかく、人民は思考停止しているのですから、マスコミに踊らされるのが最先端なのでしょうね。

 

>また当時における階級による情報量の違いも大きな要因であると思われる。>ほとんど情報の入ってこない一般の国民が、「八紘一宇」や「聖戦」思想を信じ込まされたのは事実である。

 

修身の授業で、徳目の暗記をするようなものですね。日本人は、このやり方に慣れていますね。早い者勝ちですね。

 

>しかし、膨大な量の情報が飛び交っている現代においてさえ、一般の国民には事実の情報が流されているとは限らず、予めマスコミによって操作された情報が流されている。

>そのため、だまされ、ごまかされ、洗脳されていく。

 

日本人には、意思がない。自主性がない。生徒に、自主性を持たせずに押し込むように教えることが通例になっていますね。

 

>昭和20年11月の復刊第1号の編集後記には「宿命的ともいふべき国家機能の枠内にあつて、我らは相共に必勝を信じ、雑誌奉公の一念に邁進して来たのであつたが、・・・」とあるが、「日の出」の編集後記は、戦時中からしばしば「我ら」という表現を用いている。

>だがまたしてもここで「我ら」とは、いったい誰々のことなのか?

 

普通は、’日の出’ の編集関係者の事でしょうね。

 

>「S社」とか「編集部」とかといった意味なのか?全国民なのか?きわめて曖昧である。

 

そうですね。曖昧ですね。日本語の発想の特徴でしょうね。

 

>これは「我ら」と記して国民を仲間に引きずり込むマスコミお得意の常套手段である。>これを聞いた国民はみんなもそうなのか、と思ってしまう。

 

そうかもしれませんね。日本人の判断の仕方の特徴でしょうね。

 

> また、第2号の編集後記では「印刷製本を完了しながらも発行の運びに至らなかつたことは、読者諸賢にただただ衷心よりお詫び申上げる次第である」と、「日の出」が読者にわびた唯一の言葉ではあるが、この文章は謝罪すべき問題をすりかえ、どうでもいい問題について謝罪してみせる姑息で卑劣な小細工であり、ごまかしそのものである。

 

そうですね。発行されなかった理由が不明ですね。

 

>このようなごまかしは今でも厳然と続いている。

 

日本の高文脈文化の特徴かもしれませんね。我々も、ドイツのような低文脈文化の特徴を理解する必要があるのではないでしょうか。

 

(略)

 

 

 

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閲覧数493 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/08/24 04:19
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