2019年08月25日(日) 

 

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way.

ところが、日本人には、意思がない。

意思 (will) は、未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には未来時制は無く、日本人には意思がない。

日本人は、意思決定ができない。’仕方がない’ ので、日本人は無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。日本人には、特に精神修養が必要であるのか。

 

カレル・ヴァン・ウォルフレン 氏 (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の<日本語文庫新版への序文>の中で下記の段落のように述べています。

、、、、、日本の政治を語るうえで欠かせない表現の一つである「仕方がない」という言葉を放逐することに、本書がいささかなりとも役立てばと願っている。本書は、本当の意味での政治参加をさせまいとして日本に広く作用する力について詳述している。この力こそは、個々人の、市民になろうとする決意と、有効に機能する民主主義を守ろうという意志を弱めるものである。日本に作用するこの力は、独裁政権があってそこからくり出されてくるのではない。それは日本の社会環境のあらゆる場所から発現する。、、、、、この力こそが、多くの日本人が身をおく境遇に対して唯一、適当な対応は「仕方がない」とうけいれることだと思わせるのである。(引用終わり) 

 

‘仕方がない’ を ‘仕方がある’ に変えるためには、意思の存在が必要である。だが、日本語には、意思がない。それで、現在わが国では、意思の代わりに恣意を使っている。

意思には文章内容があるので、意味がある。恣意 (私意・我儘・身勝手) は、バラバラな単語 (小言・片言・独り言) のままで存在するので、意味がない。’それがどうした’ (So what?) の問いには、答えが出ない。だから、誰からも信頼もされない。意思決定 (理性判断) の代わりに、恣意決定 (盲目の判断) を使う。意思疎通の代わりに恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) を使う。 だから、市民になろうとする決意と、有効に機能する民主主義は守れない。

 

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調している。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

 

我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学び、時制の重要性を十分に深く理解しなければならない。さすれば、我々も自己の世界観と意思を表明できるようになり、相手からも信頼されるようになる。英米人が英語を勉強しても、それは ‘ただの人’ になるだけである。しかし、我々日本人が英語を利用できれば、唯の日本人ではない。日本人の考え方を世界に伝え、英米人の長所をわが国に知らせる希望の星になる。だから、我々にはとりわけ努力のし甲斐がある英語の勉強である。

 

 

 

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閲覧数30 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2019/08/25 05:00
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