9月18日(水)1440に、知人より、某メーリングリストに投稿がありました。 当方からの、 > ところで、若し構わなければ、個人名を仮名に変えて、メールを公開させて頂くことは許されませんでしょうか。 > 被害の凄さが全然報道されておらず、そんなことになっているとは、他地域の人間は思ってないので、生の声を伝えたいのです。 という要請に応えて、転載許可を頂きましたので、此処に公開させて頂きます。 個人名は、仮名に変更させて頂きました。 尚、CPAPとは、睡眠時無呼吸症候群用の呼吸補助装置で、商用交流で動作します。 ********** 以下引用 ********** From: XXXX@gmail.com Subject: 千葉から台風15号の実況報告 Date: 2019/09/18 14:40 皆さん、 時間のある方、お読みください。 今回の台風では、わが田舎(市原)でも、とんでもないスケールの被害を受けました、 ではなく、受けて「います」。 台風の右側に位置した千葉の状況をお話しします。 千葉のわが家は、停電2日間(足掛け3日間)で復電しましたが、 田舎は今日も停電中で、東電が言うには、復電は27日と言っています。 近所の高圧線に太い杉が倒れ込み、高圧線を一部「切断」しましたが、 昨日の様子では、高所作業車が来て、その大杉3本を切断していました。 その後、東電が折れた電柱を立替え、新しく電線を引く、と言っていましたから、後2・3日かと思います。 戦争中なら食料もあるし、頼りになる「田舎」ですが、今回の停電では「都会」に負けました。 それどころか、田舎の方はとんでもない被害を受けました。 一般の公道(市道)および わが屋敷に入る3ルートが、全てうちの大木と竹で塞がれてしまったのです。 9日、10日は、とにかく公道を確保するため、家内と二人で伐採・片づけ作業に明け暮れました。 そして、13日、昨日17日では、家内の妹も来てくれて、自分ちの敷地内の整備を始めました。 と言っても、まだ10%も片付いていません。 杉山には太い杉(樹齢70年)が3本、裏山にも杉が2本倒されている。 昨日は倒れた「栗」、「柿」、「楓」など、屋敷回りの大木を整備しました。 倒れた大木・竹をチェーンソーで切り倒し、大木は30~50cmに刻んで「大穴」に放り込む(時間がかかるので燃やしていられない)、 孟宗竹は2~4mに刻んで竹山に山積みにし、いずれ焚火場に運んで焼却します。 台風直後、心配する家族(子供達3人)に知らせたメールがありますので、添付させていただきます。 多少なりとも、田舎の様子を見てください。 (田舎の近隣の近所の人達の名前が出てきますが、無視してください。) XXXX (^:^( ----------------------------------- [9月 9日(月)] 04:30 千葉市内の停電でCPAPが動かなくなり、息苦しくて目を覚ました。 外は、横殴りの大風と雨のなか、朝まで眠れず。 (台風上陸か?) 07:00頃、田舎の孟宗山の隣の家(A子さん:クレーマー)から電話が入り、 「お宅の竹が倒れてうちの瓦を割った」との連絡があった。 09:00家内と車で田舎に向かうも、大渋滞。 特に、市原市に入るや信号機はほとんどが故障で、出合い頭の衝突事故が2件、警察・救急車が、いっぱい。 道路沿いの民家の屋根の瓦が何枚も風で剥がされ滑り落ちているのが目立つ。 コンビニ・スーパーはどこも店じまい、食料も買い込めず。 12:00頃 田舎に着くも、わが家に繋がる3ルート、 孟宗山方面からも、Bさん方面からも、下の畑からも、倒木・倒竹で屋敷に近づけない。 少しでも近い、Bさんの家の前に車を止め、屋敷に入る。 Bさんと うちとの境界の、下に降りる、細い細い道の左側、「大巨木」(樹齢3百年?)が うちの真竹山の中に倒れている。 すごい、すごい。 その下には、真竹が何十本も押しつぶされている。 本体の「幹」そのものは公道を塞いではいない。 しかし、ラッキーだあ、反対方向に倒れていたら、Bさんの家を完璧に押しつぶしていただろう。 跳ね上がった大巨木の「根」の土台部分は直径3mはある、人の高さよりはるかに高い、根っこごと引き抜かれて倒されている。 公道を塞いだのは、この巨木の「幹」ではない、「枝」だ、と言っても直径30cmはある。 こんなに太い枝が何本も折り重なって、公道を完全に塞いでいる。(ここが一番はげしい。) (隣の神社の樹齢300年という大巨木も「3」本倒れたとのことだ。 実に樹齢2・3百年クラスの巨木があっちこっちで倒れている。) (千葉県には、ここ300年近く、こんなに大きな台風は来なかった、ということか?) 13:00頃 作業開始、先ずは「公道」を開かなくてはならない。 一番クレームの激しい、「A子」さん側から道を開いていくことにする。 「A子さんの屋根に掛かった竹を、4・5本チェーンソーで伐採し、孟宗山に運搬して山積みした。 (もちろん、竹山の中は、倒竹、傾竹でいっぱいだけど、そっちは手を着ける暇がない。 「公道第一」。) (家内は、瓦屋さんにアクセス、下のCさん宅に助っ人の要請に行くも、結局みんな忙しく、断られる。) 次に、公道を覆っている太い「孟宗竹」をチェーンソーで伐採、真っすぐなものは道と山との境界に家内と二人で並べた。 18:30、暗くなるまでやったが、孟宗山からの市道は、屋敷に入る丈坊路まで除去できず、翌朝の作業に回した。 夜、ろうそくで経過報告を子供たちにメールにしたが、携帯基地局の非常用電源が上がってしまっているらしく、結局送信できず。 (室内の増幅器は停電で稼働せず、外に出て直接SBの弱い電波を拾おうとするも、基地局の非常用電源が尽きているようだ。) 水シャワーを浴び、アルミ鍋でご飯を炊き、サバ缶、キムチ、シソ、秋茗荷で、食事。 プロパンガス、水道はOK。 [ 10日(火)] 朝08:00から、Bさんの横の道の倒れた大「巨木」、この「太枝」をチェーンソーで伐採、切り枝を家内が「焚火場」まで運んだ。 只の太い「枝」だけど、太すぎて燃やせないので、刻んで、巨木の根が空けた「大穴」に放り込み、「腐らせる」ことにした。 また、下に降りる、狭い狭い道は危険なので、入り口にロープを張って通行止めにした。(道はうちの私有地) 11:00頃からは、お昼(お握り)の後、 昨日の作業の続き、 孟宗山前の市道と丈坊路までの区間を、伐採をやった。 但し、この区間は隣が「うちの山」ではない、(屋号)「電気屋」(Dさん)管理の山なので、切り刻んでは山中に放り込ませてもらった。 後で、Dさん宅の若い孫(31歳)が来て、「片づけてもらって、本当にありがとう。 申し訳ない。」と挨拶に来てくれた。 こちらも、「いやいや、とにかく公道を確保することが先決なのでやりました。わざわざ挨拶に来てくれてありがとう。」と伝えた。 前の頑固な「じいさん」よりは、遥かに気が利く、しっかりした「孫」です。 続けて、15:00から、もう一つの難関、真竹山を下った、下の細道(畑・田んぼ側)をうちの大木が塞いでしまった。 チェーンソー等、道具一式を持って降りて行ったら、なんど、大木を切断し、うちの畑の中に、幹と枝を放り込んでくれてある。 さっそく、家内に誰がやってくれたか、探しに行ってもらったら、下の86歳のおじいさん(Eさん)がやってくれたとのこと。 しかも相棒なしで、「一人」で あの大木を切断し、うちの畑に放り込んでくれたとのことでした。 後で、お菓子とガソリン代を持って挨拶に行ったが、ガソリン代は受け取ってもらえなかった。 その後、銀杏が大風でいっぱい落ちていたので、丸籠に一杯拾って、帰宅準備をして千葉に戻った。 千葉への道は、市原市内はまだ、信号機が止まっていた。 千葉市に入って驚いた。 稲毛区までは電気が通じていて、民家も、ストアも、コンビニも開いているのに、 うちの近所のマルエツ辺りから、急に真っ暗になり、スーパーも、ラーメン屋も、民家も真っ暗でした。 「花見川区」だけが取り残されて、停電が続いていた。 帰宅しても、とにかく、暑くて、空調は効かない、扇風機は動かない、文明の有難さが身に染みたが、 *個人的には、余りにも安易に「電気」に頼り切っている、「現代文明」に腹が立った。。* 家内は、2Fのベランダに古いマットを出して、外に寝た、蚊に食われながら。 今朝、05:30に足元の扇風機が動き出し、復電を確認した。 06:30から09:30まで、やっと3日振りに、3時間熟睡できた。 生き返った。 神様、ありがとう。 7・8年前に40年ぶりの大雪で、孟宗山・真竹山が酷い被害を受けたけど、元の形に復旧するのに半年かかった。 今回の歴史上初(言い過ぎ?)の台風千葉上陸で、また元に復旧するにはそれ以上かかりそうです。 公道は、一応、人が通れるようになったけど、うちの敷地内は、まったく手を着けていません。 ということで、ママもパパも無事です。 ----------------- |