昨日の余韻覚めやらぬ中で朝からラグビーサポーターが来城してきました。 午前中はほとんどが日本人でした。 午後からやっと外国人が動き始めました。 でも日本ごときに敗戦したという敗北感はありません。 油断したのだ・・・という言い訳もなくてひたすら「ニホン スゴイ!」「ニホン ツヨイ!」でした。
さて午後になって訪れた若い日本の女性は公園服部を目指して来ました。 ところがその横を通ったら解体されて空き地になっていたということで、落胆の声を発していました。
彼女曰く、公園服部は服部半蔵の子孫でその証拠となる忍びの古文書が多数発見された、という記事を見たということなんです。 私は服部半蔵は忍者ではなかったので、忍者とされているとすれば怪しい話しであることを伝えました。 私は服部半蔵と掛川城との関連、江戸に赴任した後の半蔵生涯、菩提寺などについても説明しましたが、その程度の経緯はご存知でした。 最終的に私の忍者名でもある「服部平太夫」の話もして、上西郷に住居があった場所などを教えました。 彼女はその場所に行くといって彼氏らしい男性を引っ張っていきました。 久し振りに忍者談義をしてしまいました。
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