2020年02月21日(金) 

 

 

>■ネットは自省よりも自己正当化を促してしまう

> こう書くと、一部の人は「ネットを使ってコミュニケーションすれば自分のことが省みられるじゃないか」と考えたがるかもしれない。>ネットを介して自省する筋道も無くはないだろう。 >だが、実際はほとんど期待できないのではないだろうか。 >つい最近、Books&Appsで高須賀さんが、これに関してひとつの問題提起をしておられた。 > ~中略~ >AERA.dotの66歳男性の記事から高須賀さんが辿り着いたのは、「アイデンティティがなにも無い人はネトウヨになる」という問題だった。 

 

日本人は、序列人間です。どこかの序列に所属していなければ恰好がつかない。相手はこちらの所属を求めて来るからです。’あっしは、〇〇一家の.者でござんす’ とやるのが良い。

 

> 自分自身を省みる力もない人がネットをよすがとした時、たとえばネトウヨのようなアイデンティティの入れ物におさまるというのはよくわかる話だし、実例も見かける。 > 政治的なセクト・思想的なセクト・趣味的なセクト、その他いろいろあるが、とにかくネットではセクトができやすい。

 

そうですね。よくある話ですね。同好会ですね。

 

>セクトと一体になることによってその人の承認欲求や所属欲求が充たされ、アイデンティティも補償されるのだから、可否はともかく、セクトができるのは理解できる。 >だが、セクト化した人は、えてして自分自身を省みなくなる。

 

そうですね。思考停止の状態ですからね。あとはセクトが自分を見てくれる。

 

>セクトメンバーとつるむなかで、「自分たちは悪くない」「悪いのは自分以外のあいつら」といった考えに傾いてしまう。 

 

内にこもる。‘鬼は外’ と言ったところか。

 

>この文章のテーマに立ち返って考えるに、そういったセクトは唯我独尊に対するブレーキたり得るものだろうか。>いや、おそらくブレーキにはならず、自己正当化のためのアクセルになってしまうのではないだろうか。

 

そうですね。日本人には批判精神がないですからね。

 

> 意見の同じ者同士はつるみやすいけれども、意見を異にする者・異議を唱える者とは対立しやすい、このSNSというアーキテクチャ自体が、私たちに自省よりも自己正当化を促しているきらいがあるとしたら、ネットで唯我独尊を避けるのはリアル以上に難しいのではないだろうか。

 

‘類は友を呼ぶ’ でしょうね。Birds of a feather flock together. 井の中の蛙 大海を知らず。日本人には世界観 (World view) がない。

 

>こんな具合に、幾重にも重なった、唯我独尊に陥りやすい社会の構造のなかで私たちは暮らしている。 >だとしたら、唯我独尊はお金持ちやナルシストだけの問題というより、貧富を問わず、誰もが陥りやすい現代社会の風土病みたいなものだと解釈しておいたほうが事実に近いように、私には思われる。

 

そうですね。無哲学・能天気の状態は、一種の風土病でしょうね。

 

>だから私は、くだんの66歳男性のようなケースには戦慄せずにはいられない。>ひょっとしてあれは、未来の自分の姿ではないのか……と。 

 

そうならないことを祈ります。

 

 

 

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閲覧数626 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2020/02/21 01:53
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