2020年2月後半は体調が良くなかったですが、2月29日(土)夕方より、原因不明の嘔吐が始まりました。 絶食して様子を見ていましたが、翌3月1日(日)遅くには、2019年2月に入院したときと同じぐらい悪い症状となりました。 3月2日(月)朝、フラフラで、樋口内科・消化器科に行きました。強く要望して胃カメラを撮って貰いましたが、胆汁逆流は酷いものの、逆流性食道炎はそんなに酷くないので入院の紹介状は書けないとのことでした。結局、点滴を打って貰っただけでした。 3月2日に、吐き気止めのドンペリドン10mg(毎食前)を処方されましたが、全く効きませんでした。 食事は、少量の粥と具なし味噌汁。休み休み、のろのろ、食べました。 3月3日(火)晩、煙草が切れました。買いに行く術もなく、やむをえず禁煙。この禁煙は今も続いています。こんなに長期間、煙草なしで過ごせるとは、予想外でした。 何日が経っても、嘔吐は収まりません。殆ど、寝て過ごしていました。 3月9日(月)の夜、嘔吐が酷かったので、母の強い要望で、時間外救急で中東遠総合医療センターに行きました。採血と触診と腹部CTで、腸の捻れはなく、血液にも危険な兆候はないといって、帰されました。私感では、無駄足で、フラフラで行くよりも、自宅で寝てる方が体への負担が少なかったと思いました。しかし母は、診察して貰えて安堵したといいます。 3月10日(火)昼過ぎ、樋口内科・消化器科に行きましたが、点滴とドンペリドン処方のみ。 3月11日(水)朝も、樋口内科・消化器科に行きましたが、点滴のみ。 どんどん、食が細っていき、吐瀉物も胆汁のみとなりました。食べられなかったときには、食後の薬のうちメトグルコは服用しませんでした。 3月12日(木)昼過ぎ、樋口内科・消化器科に行きましたが、点滴のみ。 3月12日(木)晩、時間外救急で中東遠総合医療センターに行き、胸部と腹部のレントゲン3枚と頭部CTと採血をして貰い、其の場で入院が決まりました。 当然、当面は絶食です。同病室の他患者の食事の匂いが羨ましかったので、食欲はありました。薬は、メトグルコを除いて呑み続けることに。 医師の方針が変わって、3月13日(金)夕食より、軽い食事を摂ってみることになりました。「易消化(軟)」、超空腹なのに美味しく感じられず、無理やり食べました。メトグルコはやめたままで、食前に血糖値を測って高いときにはインスリンを注射です。 3月15日(日)深夜、入院前の診察時からの点滴が、外されました。 嘔吐は、3月14日(土)で殆ど納まりましたが、その後も吐き気はしばしば。3月19日(木)早朝と夜遅くに、胆汁嘔吐がありました。 食事は、無理やり食べていたのは3月17日(火)ごろまでで、だんだん食べられるようになりましたが、量が多すぎて残すことが多く、味付けが薄すぎ(塩分を控えてる)て不味いことが気になり始めました。3月20日(金、祝)ごろから、量が多すぎて残すことは減り、食べ足りぬこともしばしばと、なりました。 3月19日(木)、1305~1551一時外出(帰宅)。掲示板や地域SNSなどに生存報告。点けっ放しだったパソコンの電源を切。手帳などを持参。尚、母はニトログリセリンを服用。 3月20日(金、祝)、来る筈の母が来なかったです。翌日に来た母によれば、永江院(ようこういん)の墓園の頂上で突風に煽られて飛ばされそうになり、墓石に掴まって留まったものの、酷く腰を捻ったといいます。このときはまだ、母も私も、大したことではないと思っていました。尚、母は89歳です。 3月22日(日)、朝食後に久しぶりの普通便(軟らかめ)少なめ(少し苦労)、昼食後に数年ぶりの下痢少なめ(少し苦労)。 3月24日(火)朝食後、中東遠総合医療センターから菊川市立総合病院に転院しました。嘔吐の原因が分からぬため、就寝前などの多量の強い薬を調整してみるのが目的です。母車で移動。尚、母、腰が痛くて、朝食を摂る余裕がなかったといいます。 菊川市立総合病院、嘔吐が殆ど納まってしまいましたので、入院するか否かをDr.大城に問われましたが、2週間ぐらいの短期の様子見の入院をすることになりました。昼食(診察のために昼を回ってしまったので面会室で)は「軟菜米飯」でしたが、嘔吐症が出やすいように、以後は常食にすることになりました。さして小汚くはなくなってた、ベッドは背を起こせない、オーバーテーブルなし、テレビ受像機なし、食事は食堂、家族は病棟に入れない、パジャマで居ると寒くて震える、スリッパ禁止、と不便なところに入院したものだと思いました。 母に電話して、服を翌日に届けて呉れるように頼みました。此の日は、昼間から布団を被って寒さを凌ぎました。また、マスクをしてないと病棟から出られない(売店にも行けない)そうで、マスクは売ってないとのことでしたので、マスクも母に頼みました。 久しぶりに普通の米飯を食しましたが、おかずの味はかなり薄め、内容は中東遠総合医療センターよりもかなり貧弱でした。食堂に私以外はパジャマ姿は居なかったです。 4人部屋に2人でしたが、同室の患者の鼾が著しく五月蠅いし、19時ごろから寝たり起き出して室外へ行ったりしていました。夜間は、何度も鼾で起こされました。 手間を減らすためだそうですが、食前の薬も食後の薬も、纏めて食前に服用させられました。空腹時にメトグルコを服用することに大きな不安がありましたが、幸い、事故は起きませんでした。また、私の素手に錠剤を載せて寄こすので、この病院の衛生管理を疑いました。 3月25日(水)は寝るときはパジャマに着替えましたが、翌朝早く(4時ごろ~6時ごろ)に冷え込んで寒かったため、翌日は服のままで寝ることにしました。 あまりの居心地の悪さに、3月26日(木)午前のナースの回診の際に退院したいと言ったら、試験外泊を打診されました。母に電話して、翌日に迎えに来て貰えることを確認しました。尚、母は腰が酷く痛むので、前日の早朝4時に時間外救急で中東遠総合医療センターに行ったそうです。午後、Dr.大城に会えたので、試験外泊を頼みました。翌日から3月30日(月)まで試験外泊3泊、その結果で嘔吐が起きなければ月曜即退院、と決まりました。外泊も戻りも午前10時ごろとなりました。母に電話すると、薬局に行ったが痛くて速く動けぬので10時を過ぎるかもしれないとのことでした。 母が心配で19時に電話すると、痛くて歩けない、寝ると痛い、座ったり立ったり運転したりは大丈夫、とのことでした。 3月27日(金)10時に母が来て、試験外泊(帰宅)を開始しました。 掲示板や地域SNSなどに、試験外泊中の旨を投稿しました。 試験外泊中は、快適でした。「かっぱ寿司」で外食もしました。只、3月29日(日)の朝6時、胆汁が込み上げてきましたが、左を下にして寝てました。尚、母は腰の痛みが酷いとのことでした。 3月30日(月)朝10時過ぎ、菊川市立総合病院に行って、Dr.大城と話をした後、退院手続きをしました。病棟には、入りませんでした。樋口内科・消化器科と城東クリニックへの紹介状を貰いました。帰路、CoCo壱番屋掛川国一店に寄りましたが、ポークカレー甘口を食べられました。帰宅後、晩になって、掲示板や地域SNSなどに退院して自宅療養に移った旨を投稿しました。 3月29日(日)に、電子煙草プルーム・テック(残3カプセル)を発見したので、3月30日(月)に喫いました。3月31日(火)に母がカプセル5箱(1箱5カプセル)を買ってきて呉れたので、4月2日(木)まで喫いました。5月13日にまた喫い始め、今現在に至ります。普通の煙草は、3月3日(火)以来、今現在に至るまで、喫ってません。 3月31日(火)~4月1日(水)は良かったのですが、4月2日(木)10時前、嘔吐が再発しました。3月19日(木)以来ですが、4月2日(木)は20回以上も胆汁嘔吐しました。菊川市立総合病院のあまりの居心地の悪さと、原因不明なので入院しても何ら積極的治療はして貰えぬから、入院しませんでした。 4月2日(木)から、5月13日(水)の夕方まで、トイレと診療所等を除き、殆ど応接室に敷いた毛布の上で過ごしていました。4月3日(金)~5月12日(火)は、居間に一歩も入らず、電子煙草プルーム・テックも喫いませんでした。 4月4日(土)、胆汁嘔吐は続いていましたが、前々日よりも良くなってるという実感を感じました。 4月2日(木)から絶食しましたが、4月5日(日)に少量の粥と味噌汁を摂りました。ほんの僅かしか食べられませんでした。 味覚障害があって、普通の食べ物や飲み物が不味かったです。栄養バランスが悪く糖分が非常に多いのを承知で、エネルギー補給のために、4月6日(月)より、味が変わらないヤクルトを、飲み始めました。 其の後も粥を食べ続け、4月7日(火)晩より、矢張り味が変わらないことが判明したハンバーグも食べることにしました。 母は、左腰痛も酷いですが、痛み止めの内服薬のせいか胃痛も酷いといいます。 私は、胆汁嘔吐は続いているものの少しずつ良くなっており、粥とハンバーグも何とか残さず食べられるようになってきていました。 ところが、4月9日(木)昼過ぎに、酷い嘔吐で、気持ちも悪くなりました。恐らく、ハンバーグが半生だったことがきっかけではないかと思うです。以後、胆汁嘔吐が酷くなりました。 日に日に少しずつ良くなっていきましたが今度は、4月12日(日)午後からまた、胆汁嘔吐が頻発しました。恐らく「のむヨーグルト」がきっかけかと。 飲水で吐くので、眠剤を含めて薬さえ呑めず、眠れなかったです。 4月16日(木)午後、薬が切れるので、樋口内科・消化器科と杏林堂薬局葛ヶ丘店に行きました。菊川市立総合病院からの紹介状と、4月14日(火)作成の病状メモを、渡しました。血圧の薬アムロジピンは、やめる由。粘膜保護に役立っても嘔吐防止には役立たないアルロイドG内用液も、相談のうえ、やめることになりました。膵液の働きを抑えるカモスタットメシル酸塩と、胃腸の運動を良くするモサプリドクエン酸塩もやめてしまうといいます。結果、残ったのは、糖尿病薬のメトグルコと、胃酸の分泌を抑えるラペプラゾールNa塩のみとなりました。即ち、樋口内科・消化器科の処方は下記の通りです。 メトグルコ錠250mg1日2錠・1日2回・朝夕食後 ラペプラゾールNa塩錠10mg「明治」1日1錠・1日1回・夕食後 4月16日(木)で、エネルギー補充のためのヤクルトはやめ、矢張り味が変わらないことが分かったカルピスを飲むことにしました。今現在も味覚障害が残っているのでカルピスを頻飲しています。 4月17日(金)、母に代理で城東クリニックと杏林堂薬局葛ヶ丘店に行って貰いました。菊川市立総合病院からの紹介状を持参。処方は変わりませんでした。 母、狭心症の持病があって痛み止めを服用すると心臓が痛くなるので、痛み止めを呑まないそうです。間質性肺炎の持病もあって、しばしば胸が苦しくなるといいます。 4月17日(金)から嘔吐してないです。此れは、今現在に至ります。 4月26日(日)の昼まで粥でしたが、晩に普通食(カレーライス)にしてみたところ、食べられました。但し、味覚障害のせいか、味が分からなくて不味かったです。以降、普通食(米飯など)が続いています。 4月29日(水、祝)、母は、朝方になって、初めて眠れたとのことでした。但し、ヨボヨボふらつくといいます。また、足の裏が痺れてる(感覚がない)とのことでした。4月30日(木)、膝から下が痺れて感覚がないといいます。5月1日(金)、痛くて中東遠総合医療センターに行けないとのことでした。5月2日(土)、どんどん痛みと痺れが増えていくといいます。5月3日(日、祝)、ますます酷くなったとのことで、朝から時間外救急で中東遠総合医療センターへ行き、足の痺れは薬のせいではなく背骨から来てる可能性が大とのことでした。連休明けの5月7日(木)、中東遠総合医療センターに行き、レントゲン撮影の結果、背骨から刺が出て神経を圧迫してるといいます。5月8日(金)、腰の痛みは少し和らいだ、足の痺れで眠れず、朝方にウトウト眠れた、とのことでした。5月11日(月)に、中東遠総合医療センターで非常に強い痛み止め(サインバルタ)を処方され、腰の痛みは軽減したものの右膝の痛みは納まらず膝から下の痺れと冷たさは酷いままで、一回の服用で丸3日以上も気持ち悪さと眠気が続いたため、呑むのを断念したといいます。後日譚ですが、痺れは腰にまで広がって、今現在に至ります。中東遠総合医療センターに通い続けていますが、部位的に手術は無理といいます。また、鍼灸(ハリ)にも通っています。 5月13日(水)夕方、応接室の毛布より、起き出しました。4月2日(木)以来、初めて居間に行きました。また、4月2日(木)以来、初めて電子煙草プルーム・テックを喫い、今現在も喫い続けています。 後日譚になりますが、5月14日(木)晩、掲示板や地域SNSなどに寛解を投稿しました。 |