2021年10月23日(土) 

 

 

>358719        行き詰まりの本質を認識せず、行きついた先~トップ自身が責任を負わない「ほのめかし」政治~ >どうなる資本主義 ( 27 会社員 )        20/07/25 AM09 【印刷用へ】 >安倍政権下でなぜ日本は「縁故資本主義」になったのか、その本質的理由 >リンク

>---------以下リンクより引用---------

> コロナ禍以降、政治家や官僚との「縁故」が悪用されていると思しき事態が相次いだ。 >(中略) > こうした縁故が物を言う資本主義を「縁故資本主義(=クローニー・キャピタリズム)」と呼ぶが、しかしこれは不思議な話ではないか。 

>(中略) 

 

縁故は馴れ合い関係の事でしょうね。 馴れ合い とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。  

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

 

>◆ 1970年代に起きた「転換」   >(中略) > 必要とされたのは、「当局者の事後的な裁量判断」が蔓延する体制から「リスク・決定・責任が一致」する体制への移行であり、そのためには、なるべく政治が民間人にリスクをかけることのないよう、国家は民間人の予想を確定することに徹するべきだと述べた。 >(中略) > 国のなすべき役割というのは、その時々に恣意的な決定をすることではなく、民間人が事前にはっきりと把握でき、そのことによってリスクが減ることになる「ルール」を制定することである。

 

そうでしょうね。約款のように ‘この場合はこう’、’その場合はそう’ と前もって民間人にも把握できるように前もって国は提示すべきですね。      

 

>リスクがあって、事態に直面するごとに事後的にどうすべきか考えなければならないようなことには、政府は手を出すべきではなく、リスクを引き受けることができ、それにかかわる情報を把握している民間人に決定を委ねるべきであるとされる。

 

そうですね。原子力発電の事故のようなものですね。   

 

> 以上のような批判は、ソ連型体制には典型的にあてはまったが、西側先進資本主義諸国の公営企業や行政にも多かれ少なかれあてはまるものである。>こうした「当局者の事後的な裁量判断」が1970年代までの国家主導体制の行き詰まりの原因だったというわけである。 >(中略) >◆ 人々が望んでいたことの「本質」  >(中略) >本来なくさなければならないのは、ケースごとに権力者や行政担当者が裁量的に判断し、それを民間人が事前に読めない規制である。

 

なくさなくてはならないのは民主主義の世の中でありながら、政府関係者が民間人をつんぼ桟敷に座らせておくことですね。   

 

>1990年代に規制緩和が世論として盛り上がった時、人々が本当に求めていたのは、このような規制の理不尽さから解放されることだったはずである。> 特に日本の場合よくないのが、官僚がはっきりと指示を出さず、「ほのめかし」みたいなもので民間人を動かそうとすることである。

 

ほのめかしは無責任な態度そのものですね。官僚に会ってはならない態度ですね。     

 

>(中略)>筆者も許認可行政のいやらしさを垣間見ることができた。 >(中略)>もともと問題の焦点は「リスク・決定・責任」が一致しないことである。 >(中略) 

 

日本人には責任 (responsibility) を引き受ける能力がありませんね。   

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

どうやら '指示待ち人間' ができあがったようですね。   

日本人には意思がない。だから意思決定はできない。意思決定が必要な時は、恣意決定に頼ることになる。つまり、事の次第・自然の成り行きで決着をはかる。このやり方は、アニマルも同じである。

日本人には意思がない。意思の無い人には責任がない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには殺意という意思がないからである。意思の無い世界には、西洋流の責任も無い。イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について述べられています。

‘、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。、、、、’ (引用終り)

‘兎角、この世は無責任’ という事か。

 

> それでも普通の国では、あまりに重大な被害が出たら、マスコミから叩かれたり、降格したり、辞職に追い込まれたりするぐらいの責任のとり方はされるものである。>それだけでも多少は変な決定がなされないための重しにはなる。 

 

そうですね。   

 

>ところが「忖度」はその程度の責任すらとらないやり方である。 >あくまで形式的には業者の側の自主的判断である。>「忖度」はするほうが勝手にしたのである。

 

そうですね。忖度は自分勝手にするものですね。       

 

>何かあっても業者の側の責任となり、官僚は一切責任を負わない。  

 

非現実 (考え) の内容は頭の中にある。だから、見ることができない。それは、ただの話である。その内容を知るには文法に基づいて単語の内容を逐一理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、通常、日本人は理解をしない。忖度 (推察) で代用して済ませている。理解と忖度は似て非なるものであるから注意が必要である。忖度 (推察) は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。たとえ両者の間に齟齬が存在しても議論にもならない。現実直視になっていないことを忖度の主に指摘しても、'だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' と懸命に反発するので話にならない。かくして、日本人の対話は不可能になる。  

関東軍参謀であった東條英機は、戦後の東京A級戦犯裁判の法廷で、「自分は天皇の忠実な臣下として戦ったまでだ」と答え、ならばこの戦争は天皇の意思・命令によったのかと尋ねられると、「自分が独断でやった」と言葉を変えている。これは日本人に意思の疎通が欠けていることを示す実例である。日本人には意思がない。だから東條といえども天皇の意思・命令を確認することはできない。それで、東條は天皇に対して忖度を使ったのである。

 

> こうした体質がある以上は、業者の側は官僚の意向を探り、規制で手心を加えてもらえるよう、あの手この手で懐柔を図るのは必定である。 >古典的な贈賄はさすがに禁圧されても、接待、天下りの受け入れなどの癒着がはびこることになる。

 

そうですね。官僚は毎日が接待続きですね。    

 

>(中略) >◆ 安部政権の「新自由主義」    > その行き着く先として、「規制緩和」が本来必要とされていたはずの姿からかけ離れ、逆に規制緩和によって本来変えるべき体質を怪物的に強化する結果となったのが、安倍内閣であった。

 

それは皮肉な結果ですね。規制緩和の議論がしっかりとなされていなかったのですね。     

 

>(中略)>◆ 「国家戦略特区」でエコひいき   > その典型例とも言えることが、「第三の矢」の目玉のひとつ、「国家戦略特区」をめぐる問題だった。 >(中略) >つまりそれまでは、いくら官僚の胸三寸とは言っても、官僚組織でいくぶんかは担当者個人の恣意の効かない縛りがあったものを、官僚の判断から首相(とその周辺)の判断に変えることで、ますます事後的な裁量が幅を利かすものになってしまったのである。  

 

日本の政治家は恣意的ですからね。それは日本人に意思というものがないからです。        

恣意 (私意・我儘・身勝手) はバラバラな単語のままで存在するから文章にならない。だから、意味というものがない。行為・言動の本人にその説明責任はとれない。恣意の人間は指導者になっても権力は持たせられない。人人はできるだけ権力の少ない指導者を望んでいる。すると、指導者は床の間の置物のようなものになる。彼の唯一の業績は '任期中に何もしなかった' ことであると任期終了時にいわれている。  

日本人はなれ合っている。なれ合いとは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。日本人には、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) があって、意思疎通 (相互理解) がない。恣意 (腹) の探り合い (談合) があって、意見の交換 (議論・対話) がない。恣意決定 (盲目の判断) があって、意思決定 (理性判断) がない。だから、日本人の責任者は説明責任が取れない。無責任でしかない責任者の権力はできるだけ小さいほうが良いので、日本人は権力の所在についての考えがない。

カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、<日本/権力構造の謎>の中の <とらえどころのない国家> で、次の段落のように述べています。

国会両院以外に、国家の中核として権力を持っているらしく見える組織は、官僚と大企業である。だが、この両者のどちらにも、究極的な権力はない。ボスはたくさんいるが、ボス中のボスといえる存在はないし、他を統率するだけの支配力のあるボス集団があるわけでもない。…… どの国についても、国家の実態をとらえるのは容易ではないが、日本の場合はとくに、バケツの中のウナギを素手でつかまえる、ということわざのたとえそのものである。指令の流れる経路、責任の中心、見え隠れする政策決定上の実際の動きなどが、すべて気が変になるほど、とらえどころがない。(引用終り)  

 

>そうすると、以前は業者が官僚に手心をもとめて接近したように、今度はさまざまな利害関係者が首相個人に接近して、「おトモダチ」になってエコひいきさせるようになることは必然なのである。> そして、決定の結果に自腹で責任がとれないことは、決定者が首相になっても同じである。 

 

恣意には意味がない。だから、恣意決定には説明責任が果たせませんね。    

 

>仮に大きな損失が生まれ、国家賠償まで至ったとしても、本人の負担ではない。>官僚と違って何か悪い影響が起こった頃には任期が終わっているかもしれないから、官僚よりもっと責任がとれない。>絶対多数の与党のトップなら実質的に国会の追及も機能しない。 >その上、やはり「忖度」である。>責任がかかってこないなら、リスクに頓着しないエコひいきな決定はやりたい放題になる。>(中略) 

 

恣意には意味がない。だから、議論の対象にはならない。ということは、恣意の人間は野放しになることである。これでは困るので、’不自由を常と思えば不足なし’ という家訓が生きて来る。     

 

> 私見では、このような安倍首相の精神の文字通りの「象徴」となったのが、天皇の退位を皇室典範の改正ではなく、特例法で認めた措置である。>この法律は、第一条に、天皇(現上皇)個人が、一生懸命がんばってくれて国民も共感しているし、高齢で公務を続けられなくなることを案じる気持ちはわかるので、特別に退位を認めてあげるという旨のことをわざわざ書いている。> つまり、誰にでもあてはまる普遍的ルールとしての法改正ではなく、人を見てその人ごとに、ケースに応じて事後的に判断する加計学園問題の精神なのである。

 

これは人治主義ですね。   

 

>(中略)>安倍政権下では、これまでも同じ顔ぶれで同様のことを続けてきたらしい。>コロナ後の「GoToキャンペーン」事業でもやろうとして叩かれてとりあえず頓挫しているが。> これも、70年代までの国家主導体制の行き詰まりの本質を認識せず、民間営利企業の支配者本位への転換と(意図的に?) 誤認したことの究極の帰結である。 

 

日本人に意思の無いことが議論のできないことにつながっているのでしょうね。議論が出来ないとこの国の矛盾は解消しませんね。  

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)  

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閲覧数61 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2021/10/23 03:20
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