>昭和天皇は「覚悟あらせられる様子」 太平洋戦争直前、側近が日記 > 朝日新聞社 2021/12/07 09:40 (略) > 太平洋戦争開戦直前の1941(昭和16)年10月から11月、昭和天皇が開戦について「覚悟」した様子を側近に示したととれる記述が、当時侍従長だった百武三郎(ひゃくたけさぶろう)(1872~1963)の日記から見つかった。
やっぱり天皇はやる気だったのですね。 '敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである' (昭和天皇)
>開戦の是非をめぐって悩み、揺れ動く天皇の日々が記された中に、「すでに覚悟あらせられる様子」「ご先行をお引きとめ申し上げる」などの側近の言葉が記されていた。 >日記は遺族から東京大学に寄託され、12月8日で開戦80年となる今年、閲覧可能となった。> 戦後の連合国による極東国際軍事裁判(東京裁判)では、昭和天皇は開戦に慎重で平和を望んだが「政府や軍部の進言でしぶしぶ同意に至った」として不起訴とされた。
日本の意思決定は天皇個人の意思により決済が行われていなかったのですね。
>しかし近年の歴史研究により、開戦直前に開戦を前提に戦争終結策を思案したり、開戦後は戦果に満足し積極的な作戦を求めたりするなど、戦争に前向きな姿勢を示した時期もあったとする史料も見つかっている。
天皇は日和見主義の人ですかね。
>百武の日記の記述から、開戦に対する天皇の姿勢の変化についての研究が深まりそうだ。 > 開戦をめぐる姿勢についての記述があったのは、百武の41年10月13日の日記。 >昭和天皇に拝謁(はいえつ)(面会)した松平恒雄(まつだいらつねお)宮内大臣から「切迫した時機に対し、すでに覚悟あらせられるようなご様子だ」と聞いたと記載。 >天皇の気持ちが先行する様子を懸念したとみられる木戸幸一(きどこういち)内大臣の「ときどき先行するのをお引き止め申し上げている」との発言も記した。
内大臣のお引き留めも難しかったのですね。
> 日中戦争や日独伊三国軍事同盟について日本を非難する米国との戦争を避けようと41年春に始まった日米交渉が進展せず、事態打開のため近衛文麿(このえふみまろ)首相が8月に提案したルーズベルト米大統領との首脳会談も米国側は拒否。
日給戦争や日独伊三国軍事同盟は無理筋でしょうね。 ‘彼を知り己を知れば、百戦殆 (あや) うからず’ (孫子・謀攻)
>近衛内閣が行き詰まり、10月16日に総辞職する直前のことだ。 > 百武は11月20日にも、木戸が「陛下の決意は行き過ぎのように見える」と語ったと記し、「(東郷茂徳(とうごうしげのり))外相の前ではあくまで平和の道を尽くすべきだと印象づける発言をするようお願いした」との木戸の発言を書き取っている。
陛下の決意とは、陛下の恣意の事でしょうね。恣意には意味がなく、議論の対象にもなじまない。
> 百武は日清と日露の戦争に従軍した海軍軍人。 >36年の二・二六事件で襲撃され負傷した鈴木貫太郎の後任として同年に侍従長に着任し、終戦直前の44年まで8年近く務めた。 > 在任中に書き留めた日記などの記述は、宮内庁書陵部が編纂(へんさん)し2014年に公開された「昭和天皇実録」に多数引用され、初めて存在が明らかにされた。 >遺族から東大大学院法学政治学研究科の近代日本法政史料センター原資料部に日記や手帳計25冊やメモ類が寄託され、今年9月から閲覧可能となった。 > これまで百武については政治に関与せず、侍従長として「天皇の身の回りの世話役」に徹したとする見方が強かった。
日清日露の戦争に従軍した海軍軍人には、天皇の身の回りの世話だけでは満足できなかったのでしょうね。
>日記に天皇をめぐる政治や軍事に関する記述が多く残されていたことに、歴史研究者からは驚きの声も出ている。 > 戦前や戦中の昭和天皇の動向に詳しい茶谷(ちゃだに)誠一・志學館大教授(日本近現代史)は「昭和天皇の姿勢が開戦に向けて傾斜しつつあることに側近から懸念が示されたとの詳しい記述は、昭和天皇実録を含む従来の史料にはなかった。
昭和天皇が戦争をやりたがっていたことを東条英機は言ってはいけなかったのですね。側近の日記公開により平和天皇のイメージはダウンしましたね。マッカーサ元帥は結局天皇に騙されたのですかね。 ‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官) 変わり身の早さは日本人の得意芸ですからね。目先・手先の事柄に神経を集中させていますね。現実があって非現実 (考え) の無い人間の特徴ですね。
>日本の指導者がどのような過程で開戦に至ったかを天皇側近の目から記した重要な記録だ」と話している。
そうですね。天皇側近の観察は重要な資料ですね。
>(編集委員・北野隆一)
.
|