2022年01月21日(金) 

 

 

>ベテラン記者コラム  >元大関朝乃山はいかに…力士の心境を一転させる番付の格差 > 2022/01/20 17:00

 (略)

>大相撲初場所が、大きな混乱もなく終盤を迎えた。 >初日(9日)直前の6日には東京都内でも雪が降り、平成30年1月の大雪以来、4年ぶりに東京23区に大雪警報が出され、10センチも積もった。 >「雪の朝 二の字二の字の 下駄(げた)のあと」 >江戸時代の女流歌人、田捨女(でんすてじょ)が6歳のときに詠んだ俳句といわれている。 >大相撲のしきたりでは序ノ口、序二段までの力士のはき物は真冬でも素足に下駄または草履(ぞうり)しか許されない。

 

素足では冷えますね。それは身分差別ですね。   

 

>三段目になると素足にエナメルの雪駄(せった)が許される。>いまの時代、厳冬下に下駄で雪を踏みしめて歩く姿は、貴重な光景といえるだろう。

 

さすがは国技の担い手ですね。封建時代の名残ですかね。    

 

>序二段までは夏は木綿の浴衣、冬はウールの単衣の着物のみ。>コートや手袋、マフラー、足袋もつけることはできない。 

 

規定がずいぶん細かいですね。   

 

>三段目になると羽織は許される。 >幕下になるとコートもマフラーも可とされ、黒色に限られた足袋がはけるようになる。 >衣類ひとつとっても、ことほど左様に番付社会の格差を厳然と突きつけられる。

 

序列社会における序列人間の生活様式ですね。下の者ほど割が悪くできている。       

 

>この初場所では元大関朝乃山が幕内から東十両4枚目に転落した。 >日本相撲協会の新型コロナウイルス対策ガイドラインに違反し、外出禁止期間中にキャバクラ通いを繰り返していたことが発覚。 >昨年7月の名古屋場所から6場所出場停止処分を受けた。  

 

厳しい処遇ですね。    

 

>大関経験者としては昭和以降では大受、雅山、把瑠都、照ノ富士、琴奨菊に続き、6人目の十両転落となった。>処分は初場所で4場所目。 >3月の春場所では幕下への転落は確実で、本場所に復帰する7月の名古屋場所は、三段目中位からの出直しとなる見込みだ。 >大関の厚遇を失い、十両以上の関取の象徴「大銀杏(おおいちょう)」も結えなくなり、給与が支給されない立場へ。 >環境は激変する。

 

そうですね。意義のある激変ですかね。   

 

>三役も経験し、大関候補として幕内上位に定着していた元大関琴風(現尾車親方)は平幕だった昭和53年九州場所中に左膝のじん帯を断裂して途中休場。 >翌年1月の初場所中にも同部のけがを再発させて再び途中休場。 >以後2場所連続全休で、西幕下30枚目まで転落した経験を持つ。 >負傷による転落だったため、所属部屋では幕下以下の力士に命じられる雑用を免じる声があったなか、「立場は立場。番付というものがある」と筋を通し、他の力士と同じく十両に復帰するまで掃除や雑用を黙々とこなしたという。 

 

番付万能の社会ですね。土俵の上だけの世界ではないのですね。   

 

>のちに大関の座をつかみ取った同親方は「けがをして地位を失ってからは、勝ち負けを突き抜け、相撲を取ることそのものに意義を感じられるようになった」とよく口にする。 >朝乃山の心根もきっと大きくかわることだろう。 >冬来たりなば、春遠からじ。 >腐ってはならない。 >(奥村展也)

 

日本の文化には ‘形があって内容がない’。だから、序列作法が相撲の内容であると勘違いする。相撲を取ることそのものに意義を感じてルールを改訂し競技に励めば、相撲は晴れて国際的なスポーツになるでしょう。ぜひ関係者のご理解を願いたい。   

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。      

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。権威の前にあまりにも盲目で弱かった。欺かれるほど知性の働きが弱く、強圧に対して反発または抗争するだけの気力がない。騙された時には、’ 私は相手を信じた’ と自己の正当化をして終わることになっている。   

日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在を確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、この種の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが正一位の獲得は難しい。    

我が民族の序列メンタリティは国がひっくり返った後にも変わりませんでしたね。新憲法の前文には、 ‘・・・・・国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。’ と高らかに宣言しています。地位とは国際社会の序列順位の事で、国際問題に関する問答には関心を持たずにひたすら順位の向上を待ち続ける奇異な民族の代表として存在します。序列メンタリティが邪魔になって問答ができないのか、問答ができないために序列メンタリティから離れられないのか。英語の習得力が不十分なためか。   

 

 

 

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閲覧数63 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2022/01/21 09:36
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