2022年05月17日(火) 

 

 

>東洋経済オンライン   >在宅は出世に影響?近くにいるほど「高評価」の謎 日本人の有休消化率はなぜこれほど悪いのか   > 太田 肇 2022/05/16 07:40

 (略)   

>コロナ感染拡大から3年目の春。   >街中では、外食を楽しむ人々が少しずつ増えてきた。  >それまでテレワークを推奨していた企業でも、通常出勤を命じるところが増えている。  >もともと日本企業では、「在宅では生産性が上がらない」という意見が多く、テレワーク推進の声も一時のものにとどまった印象だ。   

 

在宅では馴れ合いによる生産ははかどりませんからね。   

 

>太田肇・同志社大学政策学部教授(組織研究)は、ここに「日本型」企業に特有の「承認欲求」が潜んでいるという。  

 

そうですね。肌と肌の触れ合いによる承認要求ですね。    

 

>以下、太田氏の新刊『日本人の承認欲求 テレワークがさらした深層』から抜粋・再構築して紹介する。  >前々回:『あなたの上司がムダに出社させたがる本当の理由』     >前回:『上司が「仕切りのない」オフィスにこだわる深い訳』  >日本人は休暇の半分を捨てている  > 少なくとも2020年春にコロナの感染が蔓延する前まで、日本人の年次有給休暇取得率はほぼ5割程度で推移してきた。 >つまり与えられた休暇の半分は労働者が捨ててきたわけである。   

 

そうですね。日本人は大きな無駄をしてきまたね。   

 

> ちなみに欧米では比較的取得率の低いアメリカでも7割程度、欧州諸国は100%近く取得する。  

 

欧米の人は合理的ですね。   

 

>また日本人の年間総労働時間も短縮の必要性が叫ばれながら、正社員についてはコロナ禍が訪れるまで主要国のなかで突出して長い状態が続いてきた。  >その大きな要因が恒常的な残業の存在である。  > 欧米に比べて年休取得率が低いことや、残業が恒常的に行われていることについては、いくつかの原因が指摘されている。   > 例えば欧米諸国のなかには取得しなかった休暇を会社が買い取るよう法律で義務づけているところがあるし、以前から企業が時期を指定して休暇を取得させている国も多い。  >また日本では雇用調整が難しいので、代わりに残業で労働投入量を調整せざるをえないという事情もある。   

 

我が国は序列社会ですから、雇用調整は難しいですね。   

 

> しかし、それだけでない。  >労働政策研究・研修機構が2010年に行った調査(「年次有給休暇の取得に関する調査」)では有給休暇を残す理由について聞いている。 > 結果をみると、「休むと職場の他の人に迷惑になるから」「職場の周囲の人が取らないので年休が取りにくいから」「上司がいい顔をしないから」という回答が上位にあがっている。  >また同機構が2005年に実施した調査(「働き方の現状と意識に関するアンケート調査」では所定労働時間を超えて働く理由について聞いているが、10.3%の人が「上司や仲間が残業しているので、先に帰りづらいから」と回答している。 >いわゆる「つきあい残業」である。

 

そうですね。人間は付き合いが大切ですからね。日本人の付き合いは馴れ合いですね。馴れ合いは ‘なあなあ主義’ ですね。  ‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。    

 

> 注目してほしいのは、わが国では有給休暇を残しても買い取られないし、時間外労働賃金の割増率も欧米に比べて低い(欧米など海外ではおおむね50%以上であるのに対し、わが国では25%以上)ということである。  >さらに手当が支払われない「サービス残業」が半ば公然と行われているのも周知の事実である。 >「労働を献上する」ことで承認を得る  > いったいなぜ、日本人の働き方はこうなるのか。   

 

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがあるからでしょう。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では受験生の偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが序列社会の中で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。      

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強く強迫観念の域に達していて、人々は堅苦しい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまで広範につながっている。

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有していて、その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。 形式があって内容がないからである。    

日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の向かうべき未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分の名前を差し挟むことにより自分たちの存在を確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。サービス残業もOKである。そして、この種の仕事 (義理を果たすこと) にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが正一位の獲得は難しい。    

我が民族の序列メンタリティは国がひっくり返った後にも変わりませんでしたね。新憲法の前文には、 ‘・・・・・国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。’ と高らかに宣言しています。地位とは国際社会の序列順位の事で、国際問題に関する問答には関心を持たずにひたすら順位の向上を待ち続ける奇異な民族の欲望として存在します。序列メンタリティが邪魔になって問答ができないのか、問答ができないために序列メンタリティから離れられないのか。英語の習得力が不十分なためか。   

 

>そもそも経済学の常識では、人間は金銭的利益が最大限になるよう効率的に行動するものであり、残った有給休暇を買い取ってもらえないなら、権利としてすべて余さず取得するはずなのだ。  

 

日本人の励みは学問の範囲を逸脱していますね。   

人はパンのみにて生くるあらず。   

 

>時間外労働をしても大して割り増しがないどころか、サービス残業扱いでタダ働きなら残業などしなくて当然だろう。  > ところが多くの日本人は強制されなくても休暇を残し、当たり前のように残業をする。 >彼らは休暇を残し、少ない手当か無給で残業することで会社に自らの労働を献上する。  >ただ、それは純粋な愛社精神や勤勉さの表れなどではなく、見返りに会社や上司・同僚から承認を得ようとしていると考えられる。   

 

そうですね。愛社精神は自己の属する序列に対する帰属意識のなせる業ですね。      

 

> 金銭の代わりに承認を受け取っているという見方もできる。

 

そうですね。なれ合いの間柄ですからね。   

 

>実際、いくら仕事ができても休暇をめいっぱい取得し、まったく残業をしない人は奇異な目で見られたり、陰口をたたかれたりすることがある。   

 

日本人は合理の精神に欠けているからですね。     

 

>人事評価に響く可能性もある。   

 

そうですね。外人扱いされますね。外人は使い捨て。外人は文字通り序列外の人です。これは日本人にとって恐ろしいことです。使用言語に階称があると勇気が出ない。        

 

> それだけ共同体のメンバーにとって、共同体のなかで承認されること(あるいは承認を失わないこと)が重要なわけである。   

 

そうですね。自分たちの属する序列に対する貢献度の問題ですね。   

 

> このような視点から考えても、超過的な貢献や忠誠心をアピールしづらいテレワークや裁量労働制、ワーケーションなどが思うように普及しないのは納得がいく(全社員いっせいに導入するなら話は別だが)。

 

そうですね。   

 

> ここでまた少し視点を変え、承認欲求の独特な性質に注目してみよう。 > 承認欲求は自力だけでは充足することができず、相手の自由意思に依存するという受動的な性質がある。  >テレワークで出社しないと不安になるという理由には、そうした承認欲求の性質も関わっていると考えられる。  > いくら仕事ができても、それを評価するのは上司である。  >とくにテレワークの場合、仕事ぶりが周囲から見えにくいので、仕事の出来不出来は上司に評価されるか否かにかかっているといってもよい。  >しかも日本企業では仕事の分担が不明確なので一人ひとりの成果を捕捉しにくく、そのぶん評価者の感情や利害関係が評価に入り込みやすい。   

 

序列社会においては評価に対する客観性が低いということですね。   

 

>約2割の人が個人的感情で評価をつけている  > それを裏づけるデータがある。  >日本企業と欧米企業のホワイトカラーを対象とした2001年に行われたある調査(回答数計1406)によると、感じのよい部下に対して「甘い人事評価をつけることはない」という回答は欧米企業で75%、日本企業で29%、逆に「甘い人事評価をつけることがある」という回答は欧米企業で6%、日本企業で20%と大きな差がある(佐久間賢『問題解決型リーダーシップ』講談社、2003年)。  > それにしても2割の人が、個人的感情で評価をゆがめていると自白しているのは驚くべきことではないか。 > 一般に個人的なつながりが深いほど特別扱いしやすいことは「内集団ひいき」や「ネポティズム」などとして知られているが、物理的な近接性も感情や利害関係を左右する。

 

なにしろ馴れ合いですからね。近接性は極めて重要ですね。   

 

>互いに近接しているほど相手に対する情報も、また承認の機会も多い。 >もちろんそこには正の承認だけでなく、負の承認も含まれるが。 > そのため近接しているほど承認するにしろ、しないにしろ、相手に対するインパクトが大きくなる。 >つまり離れている人なら自分を認めてくれるか否かはさほど問題でなくても、ふだん接している人から認められるか否かには無関心でいられないわけである。   

 

そうですね。日本人には意思がないが恣意がある。だから、我が国では恣意 (私意・我儘・身勝手) を鍛えて意思の代わりに利用する。鍛えられた恣意は意地・根性・大和魂などとよばれている。

意思疎通の代わりに、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) をする。意思に関する討論の代わりに、恣意に関する談合 (腹の探り合い) をする。そして、日本人は意思決定 (理性判断) の代わりに恣意決定 (盲目の判断) をする。恣意は文章にならないので意味がない。恣意決定は自己満足の為に行われる極めて危険な行いである。  

 

 

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閲覧数183 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2022/05/17 13:32
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