2022年12月10日(土) 

 

>名著から読み解く日本人の思考の盲点   >小室直樹 の意見 - 7 時間前   

>1976年の初版版発刊以来、日本社会学の教科書として多くの読者に愛されていた小室直樹氏による『危機の構造 日本社会崩壊のモデル』が2022年に新装版として復刊された。   

>社会学者・宮台真司氏「先進国唯一の経済停滞や、コロナ禍の無策や、統一教会と政治の癒着など、数多の惨状を目撃した我々は、今こそ本書を読むべきだ。   

>半世紀前に「理由」が書かれているからだ。」と絶賛されている。   

 

我々にはリーズ (理性・理由・適当) が必要ですね。リーズンがあれば、リーズナブルな答えが期待できますね。    

 

>40年以上前に世に送り出された書籍にもかかわらず、今でも色褪せることのない1冊は、現代にも通じる日本社会の問題を指摘しており、まさに予言の書となっている。   

>『【新装版】危機の構造 日本社会崩壊のモデル』では、社会学者・橋爪大三郎氏による解説に加え、1982年に発刊された【増補版】に掲載された「私の新戦争論」も収録されている。   

>本記事は『【新装版】危機の構造 日本社会崩壊のモデル』より本文の一部を抜粋、一部編集をして掲載しています。   

>日本人の思考の盲点   

> 最近(1976年当時)、また、日本人論が盛んである。   

>再び日本が国際社会の檜舞台に登場することによって、日本人固有の欠点がしだいに露呈されてきたからである、と思われる。   

 

そうですね。わが国は衰退途上国であると言われていますからね。   

 

>日本人論といえば、明治二〇年代の国粋主義鼓吹、同四〇年代の東西文明の統一を唱えたもの、さらに、昭和一〇年代に近代の超克を唱えた日本文化論、そして同三〇年代の日本を再評価するもの、同四〇年代後半の外国人などによる日本人論と続く(『中央公論』四七年九月号)系譜があった。   

> しかし、このような日本人論のパターンは、要するに、「日本人は、これこれの欠点があるから反省せよ」というに尽きる。   

>でも、これではほとんど意味はあるまい。   

 

そうですね。改革・是正には 機序 (mechanism) の理解が必要ですね。機序を理解したうえで原因除去からやらないと埒があきませんね。賽の河原の石積みになります。    

 

>「わかっちゃいるけどやめられない」というのは、個人の場合にもあるけれど、社会全体に関していえば、問題点がいくら指摘されても、それだけではどうしようもないという場合が多い。   

> その理由は、社会全体の作動様式は、それを構成する各個人の単なる心構えだけによって左右しうるほど単純なものではなく、システム全体における諸要因の連関様式とそれらの構造によってもまた規定されるからである。   

> たとえば、戦時中、増産と科学の振興が叫ばれた。   

>そして、全国民もそのために努力したつもりではいた。   

 

しかし掛け声ばかりでは無理ですね。   

 

>しかし、生産は思うように向上せずヤミははびこり、人びとは何か自然の法則に逆らってもがいているの感を避けえなかった。   

>また、科学も振興せず、科学戦においても日本は敗北してしまった。   

>このように、社会現象に対する科学的分析を欠いた単なる思いつきは、現実の制御のために全く無力である。   

 

そうですね。単なる思い付きは無力ですね。       

 '敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである'  (昭和天皇)   

 

> この「社会現象に対する科学的分析能力の欠如」こそ、日本人の思考の盲点であり、これによって、かつて日本は破局を迎え、そして現在もまた迎えようとしているのである。   

>ゆえに、このことは、強調されすぎることはない。   

 

そうですね。   

 

>日本人が、現在においても、いかに社会科学的分析能力を欠いているかは、最近の物価急上昇に際して、火がついたように政府の「統制」を叫んだことだけをみても明らかだろう。   

>経済とは、そんなに簡単なものだろうか。   

> 政(幕)府の命令一本で物価が統制できるくらいなら、天保の改革だって失敗しなかったにちがいない。   

>経済学が今日ほど普及した時代においてすら、多くの日本人の思考様式は、水野忠邦のそれと本質的に異なるものではない。   

>一億が一心となって火の玉のように突進すれば、科学も振興し、生産も向上し日本は勝利する、という単細胞的思考法と、現代日本人の思考法とは、その論理において、一体どれほど異なるのであろう。   

 

そうですね。日本人の考え方は変わりませんね。’精神一到何事か成らざらん’ ですね。    

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。音読が言語の習得には欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)     

 

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閲覧数331 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2022/12/10 18:18
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