お昼は横須賀旧市街の旅館「八百甚」で頂きました。 百年続く老舗旅館だそうです。
裸婦の写真が掲示してありましたが、どうやら地元出身の?「大竹省二」さんが、この部屋で撮影されたものらしいです。 (芋汁定食)おいしかったです。
食後そこからすぐ近くにある横須賀城跡に到着しました。 高天神城を奪還するために築城された部分~豊臣時代の築城部分~江戸時代とそれぞれ異なります。
これらの石垣は豊臣時代のもの、家康築城時は石垣はありません。 ちなみに丸い石はどこから持ってきたかというと・・・・
むかし大井川がこの方向に流れていて、それが隆起してできた小笠山を掘って持って来たので、そんなに遠い場所ではありません。
それでは家康時代の横須賀城は?というと、この模型の右上「松尾山」と表示された僅かな部分です。
その前に江戸時代の横須賀城のお勉強をしました。 横須賀城は当初海に面していて、入り江になっていました。 海運の城として横須賀藩はたいそう栄えていたそうです。
ところが、1,707年の宝永の地震で海岸が隆起してしまいました。 それ前にも川から土砂が流れ込んで浅くなってきたようです。 こちらが天守台跡です。 明治初期の廃城令まで4層天守がそびえていたそうです。 海から眺めた天守閣はさぞかしゴージャスに見えた事でしょう。
こちらは天守台東北方向の下から見上げたものです。
城の前の方は石垣を積んで見映えよくしていますが、裏側の見えない部分は金を掛けずに土壁のままでした。 しかし、これだけでも上から石を落とせば十分防御できた時代もあったと言われています。
そして家康時代の古城「松尾山」に向かいます。
この写真の上の方の狭い場所に建物があったそうです。 高天神城を攻めるための物資は船で城の入り江まで運ばれ、ここに蓄えられていたそうです。
東側周辺は空堀で囲まれていて、敵が近付けないようになっていました。
家康の時代は目的が高天神城奪還と限られていたので、規模はそんなに大きくはなかったようです。
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