2023年03月31日(金) 

 

>産経新聞   >「天皇はきらいじゃ…」残虐表現や偏った歴史観 賛否渦巻く「はだしのゲン」   >昨日 18:07  

>原爆投下前後の広島を描いた漫画「はだしのゲン」。   

>これまで広島市立の学校で使われる平和教材に掲載されてきたが、令和5年度から別の作者の作品に変更されることが分かり、波紋を広げている。   

 

これは時代の進歩なのですかね。   

 

>市教育委員会は「時代の変化に伴い、一部だけを切り取った掲載では誤解を生じる可能性がある」と説明。   

>一方、市民団体からは「子供たちに伝えていかなければならない作品」と批判の声が上がっている。   

>広島市教委は、市立の小中高校生たちに被爆の実相を伝え、平和の担い手となってもらうため、「平和教育プログラム」を平成25年度から開始。   

>学年ごとに市教委が作成した「ひろしま平和ノート」を教材として授業を行っている。   

>現行の教材では、「はだしのゲン」は小学3年と高校1年で漫画の一部が掲載されており、小3の教材には、家計を助けようと主人公のゲンが浪曲を披露してお金を稼いだり、栄養不足の母親に食べさせようと他人の家の庭からコイを釣ったりする場面が引用されている。   

>市教委は31年からプログラムについて課題がないか検証を進め、大学教授ら識者も含めて改定案を作った。   

>この際、メンバーから「浪曲は児童になじみがなく、コイを盗んでもいいという誤解を与える」「補足説明が必要となるため、時間と手間がかかる」といった指摘が出た。   

>このため、来年度から家族を失った別の被災者の作品に差し替えが決まった。   

>では、市教委がこうした対応を決めた「はだしのゲン」とは、そもそもどういった漫画なのか。    

>「はだしのゲン」は、国民学校2年の中岡元(げん)が原爆投下により父親やきょうだいを失う悲惨さや、生き残った母親、仲間たちと支えあって成長していく姿を描いた中沢啓治さんによる自伝的漫画。   

>昭和48年に「週刊少年ジャンプ」(集英社)で連載がスタートし、翌年にいったん終了した。   

>その後、市民団体のオピニオン誌や共産党系の論壇誌で掲載され、日本教職員組合(日教組)系の機関誌などで60年に完結した。   

>実写やアニメで映画化されるなど日本人になじみの深い作品といえるが、以前から一部の残虐表現や偏った歴史観が問題視されてきた。   

>議論を呼んだシーンは、中央公論新社の中公文庫コミック版7巻などに収録されている。   

>「なんで君が代を歌うんじゃ」「君が代の君は天皇のことじゃ わしゃ天皇はきらいじゃ」。   

 

これでは序列作法も台無しですね。   

 

>主人公ゲンは中学校の卒業式で国歌斉唱を拒否。   

>ゲンはその際、教師たちに旧日本軍の「残虐行為」を訴える。   

>また、史実かどうか検証されていない描写も目立つ。   

 

所詮、漫画でしょうね。   

 

>兵士が体を拘束された男性の首を背後から切り落としたり、女性の性器に足で一升瓶を押し込んだり。   

>妊婦の腹部を銃剣で切り裂く、捕虜を銃剣術の的にする、といった場面がゲンのセリフとともに描かれているのだ。   

>そして天皇をこうした口調でののしる。   

>「いまだに戦争責任をとらずにふんぞりかえっとる」   

 

日本人には意思がない。意思の無い人には責任もない。責任観念の欠如から社会に責任を取る人も見当たらず、一億総懺悔となる。無責任の被害が全国に及ぶ。犠牲が全国に広がる。これは現在も続く国難である。    

肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。

徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)   

 

>はだしのゲンを巡っては平成25年8月、松江市教育委員会が「過激な描写がある」と市立小中学校に閲覧制限を要請したことが表面化し、表現などが議論の的になった。   

>批判などもあり、市教委側はその後要請を撤回した。   

>大阪府泉佐野市でも26年3月、「作中の差別的表現に問題がある」として、市教委が市立小中学校の図書室から一時回収していたことが明らかになっている。   

 

穏やかな表現であっては日本人の教育はできないものですかね。    

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。音読が言語の習得には欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)     

 

 

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閲覧数85 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/03/31 14:19
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