2023年05月15日(月) 

 

>現代ビジネス   >「日本とは、日本人とは」なんだろう…全国すみずみまで歩いて見えた「日本人の本当の姿」   >畑中 章宏 の意見 • 昨日 6:00  

>『忘れられた日本人』で知られる民俗学者・宮本常一とは何者だったのか。その民俗学の底流にある「思想」とは?   

>「宮本の民俗学は、私たちの生活が『大きな歴史』に絡みとられようとしている現在、見直されるべき重要な仕事」だという民俗学者の畑中章宏氏による『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』がいよいよ刊行される。   

>※本記事は畑中章宏『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』から抜粋・編集したものです。   

>「心」の民俗学と「もの」の民俗学   

>人文科学の諸領域は「私たちはどこから来たのか」「私たちはなにものか」「私たちはどこへ行くのか」という命題を追究するものだと私は理解している。   

 

これは日本人には不慣れな考え方ですね。というのも、日本人には世界観が無いからです。なぜ、日本人に世界観が無いかと言えば、それは日本語文法に時制 (tense) というものが無いからです。日本人には考え (非現実) の世界が想定外になっている。過去・現在・未来という独立した三世界の内容を別々な存在として示すことができない。   

 

>歴史学も社会学も、人類学も民俗学も、究極の目的は、こうした命題を明らかにしていくことに間違いないだろう。   

 

そうですね。しかし、日本人には関係が無い。だから日本人が学問をすれば失敗する。日本人の得意なのはサブカルチャー (下位文化)ですね。これは大学の外の活動である。          

 

>またそれは、人文科学にとどまらず、社会科学でも、自然科学でも目的とされていることなのではないか。   

 

そうですね。それが学問 (哲学) というものでしょう。西洋の修道院で昔からやっていたことですね。     

 

>そしてその目的に至る方法や対象の違いによって、学問の性格が異なってくる。   

>民俗学もまた「私たちはどこから来たのか」「私たちはなにものか」「私たちはどこへ行くのか」を追究してきた学問である。   

>ほかの学問でもそうだが、追究しようとする「私たち」がどこまでを含むのかも大きな問題になる。   

>学問領域によっては「人間」「人類」、あるいは「生物全般」を含む場合もあるかもしれない。  

 

そうですね。宇宙などもありますね。  

 

>柳田国男(1875〜1962)は20世紀の日本>列島に住む日本人を「私たち」とあらかじめ措定して民俗学をはじめた。   

>そして「私たち」の起原(どこから)、定義(なにもの)、未来(どこへ)を追究・探求する際、柳田は「心」を手がかりにし、「心」の解明によって明らかにできると考えたのだ。   

>そのとき「心」を構成する資料は、民間伝承、民間信仰から得られるものだと考えたのである。   

>この柳田の直観、あるいは思想が「日本民俗学」の発端となり、「日本民俗学」の性格を決定づけたのである。   

>これに対して宮本常一(1907〜1981)は「もの」を民俗学の入り口にした。   

>たとえば生産活動などに用いてきた「民具」を調べることで、私たちの生活史をたどることができると考えた。   

>そして民俗学における伝承調査を、「もの」への注目に寄せていくことで、私たちの「心」にも到達できると考えたのだった。   

>フィールドワークから実践へ   

>日本の民俗学は柳田によって開かれ、同世代の折口信夫(1887〜1953)、南方熊楠(1867〜1941)らによって発展していった。

>彼らのあと有力な財界人でもある渋沢敬三(1896〜1963)が独自の立場から後進を支援、指導し、そのなかで最も精力的な活動を展開したのが宮本常一である。   

>宮本は日本列島をすみずみまで歩き、多くの人びとから夥しい数の話を聞いた。   

>民俗学はもちろん、人類学や社会学でもフィールドワークは調査研究の重要な手法だが、宮本のそれはほかの調査者たちとどのように違うのか。   

>宮本は自身のフィールドワークをふまえてこんなふうに記している(「あるいて来た道」『民俗学への道』著作集版より要約)。    

>さまざまな差が見られる村の風物には、それぞれの歴史と理由をもち、私たちの生活意識の表現でないものはない。   

>このような村里の風物に接することにより、私たちはそのなかに含まれた意味を汲みとらなければいけない。   

>自分の知っている世界だけが世界のすべてではない。   

 

そうですね。学問をする者には謙虚さが必要ですね。     

 '私は、私が何も知らないということを知っている'。 (ソクラテス)     [無知の知] 'I know that I know nothing'.  

 

>知らない世界、考えのおよばない世界が、そのかなたに無限にかくれている。   

>村に入り、民家の人たちと言葉を交わすことによって、表現せられる物象の底に潜む生活意識と文化を知ることができる——。   

>ここで宮本は、「世界」という言葉を使っているが、「世間」という言葉を用いることも多い。   

 

日本人の世間は世界なのでしょうね。考えの大きさが違いますね。      

 

>「世間」は宮本が、その民俗学の対象とした人びとが暮らす社会を指し示すのにふさわしい言葉であり、そこから読み取れることは少なくない。   

>宮本は、見て、歩き、聞くことにより、列島各地の歴史や事情に精通し、農業、漁業、林業等の実状を把握するとともに問題点を明らかにしていった。    

>そしてそれは、個別の共同体がどのような産業によって潤っていくかを、共同体の成員とともに具体的に考えていくことだった。    

>またいっぽうで、調査される側の「迷惑」についてもきわめて意識的だった。    

>宮本の民俗学がほかの民俗学者の民俗学と際立って違うのは、フィールドワークの成果が実践に結びついていったことである。   

>戦中・戦後の大阪府下での農村指導をはじめ、新潟県山古志村(現・長岡市)、同県佐渡の宿根木などでは、民俗文化財をどのように生かしていくのかを考えて、いわゆる「地域おこし」(町おこし、村おこし)の先駆的な活動をおこなった。   

>また、瀬戸内海に浮かぶ山口県周防大島で生まれた宮本は、「離島」が抱える本土との格差を埋めるために尽力し、民俗学者としての説得力と粘り強い活動により離島振興法を成立に導いている。   

 

 

 

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閲覧数47 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/05/15 09:14
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