>現代ビジネス >実は「歪んだ解釈」をされている教育勅語…日本人が知らない「本当の」教育勅語の世界観 >辻田 真佐憲 の意見 • 昨日 6:00 >「戦前」とは何だったのか。 >神武天皇、教育勅語、万世一系、八紘一宇……。 >左派も誤解している「戦前日本」の本当の姿とは何なのか。 >本記事では、前編『日本は「神の国」である!と言われるようになったワケ』にひきつづき、教育勅語についてくわしくみていく。 >※本記事は辻田真佐憲『「戦前」の正体 愛国と神話の日本近現代史』から抜粋・編集したものです。 >歪められた教育勅語 >教育勅語については、戦後の日本人にも受け入れやすいように、原義を歪めた「現代語訳」も広く出回っている。 >もっとも有名なのが「国民道徳協会訳文」といわれるものだ。 >稲田のいう「道義国家」という表現もここに出てくるため、同じものを参照した可能性が高い。 >同訳文は、新聞記者を経て衆議院議員になり、第一次池田勇人内閣で官房副長官などを務めた佐々木盛雄という政治家によって作成された。 >下に全文を掲げよう。 >私は、私たちの祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現を目指して日本の国をおはじめになったものと信じます。 >そして、国民は忠孝両全の道を完うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物と言わねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
そうですね。わが国においては、序列は道義ですね。
>国民の皆さんは、子は親に孝養をつくし、兄弟・姉妹はたがいに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動をつつしみ、すべての人々に愛の手をさしのべ、学問を怠らず、職業に専念し、智識を養い、人格をみがき、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心をささげて、国の平和と、安全に奉仕しなければなりません。
そうですね。軍国主義ではいけませんね。
>そして、これらのことは、善良な国民としての当然のつとめであるばかりでなく、また、私たちの祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、更にいっそう明らかにすることでもあります。 >このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私たち子孫の守らなければならないところであるとともに、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんとともに、父祖の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。 >なるほど、かなりわかりやすいし、現在にも通じるような内容ではある。 >しかし、根本的に教育勅語を読み違えている。 >このような解釈が出回るのは、教育勅語の原文が解説なしでは済まないからだ。 >たしかに、その内容はむずかしい。 >ただ、背後にある構造を把握しておけば、けっして手強いものではない。 >「国体の精華」のための「忠孝の四角形」 >ではその構造とはなにか。 >筆者はこれを、「忠孝の四角形」と名付けたい。 >この四角形は、天皇の祖先、当代の天皇、臣民の祖先、当代の臣民の四者で構成される。 >そしてこの四者が、忠と孝という価値観で固く結びつく。 >忠とは、君主にたいする臣民のまことであり、孝とは、父にたいする子のまことである。
‘まこと’ とは人間の上下関係ですね。 日本語の文法には階称 (hierarchy) があるので、日本人は ’ものの上下’ を考えないわけにはいけませんね。 それを判断すると、力の強い者が上となる。つまり、君主は臣民よりも上、父は子よりも上となる。 昔話の ‘ネズミの嫁入り’ においては、雲は太陽よりも上、風は雲よりも上でした。
>歴代の臣民は、歴代の天皇に忠を尽くしてきた。 >当代の臣民も、当代の天皇に忠を尽くしている。 >これが縦の軸だ。
いつの時代にも文法の枠からの逸脱は許されませんね。
>また、これまでの臣民はみずからの祖先にたいして孝を尽くしている。 >当代の天皇もまた過去の天皇に孝を尽くしている。これが横の軸だ。 >このような忠孝の四角形は、日本にしか永続していない。 >少なくとも、それが教育勅語の世界観だった。
それは日本語の文法をよく護る事ですね。それは日本人の考え方を良く守る事になますね。
>ほかの国では、君主が倒され、臣民が新しい君主になっており、忠が崩壊している。 >それはまた、そのときどきの君主が徳政を行わず、結果的に祖先から引き継いだ王朝を滅ぼしたという点で、孝も果たせていない。 >ところが、日本は忠孝がしっかりしているので、万世一系が保たれているというのである。
日本人の判断には ‘上と見るか下と見るか’ の判断ばかりで徳政に関する判断がない。それが在ったら万世一系は両立しない。
>このような忠孝の四角形が崩れず、万世一系が保たれていることを、教育勅語は「国体の精華」と呼ぶ。
それは贔屓の引き倒しですね。
>つまり、日本の国柄のもっともすばらしい部分ということだ。 >そして教育を行うにあたっても、この「国体の精華」にもとづかなければならないという。
我々日本人は無哲学・能天気の状態を改めないといけませんね。 我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)
我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。
国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。自由とは思考停止の言い逃れになっている。 とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。音読が言語の習得には欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり' 上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)
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