今ありて、未来も扉を開く。
今ありて、時代も連なり始める。
1924年第1回、全国選抜中等学校大会として春のセンバツ大会が開催されました。あの日から100年。
我々、高校球児の甲子園大会に対する夢や憧れは長年の時を超えても変わることなく今もなお夢舞台であり続けています。
夢にまで見たここ甲子園球場に立ち、これまで先輩たちが築き上げられた歴史と伝統の重さを身にしみて感じます。同時に、私たちは唯一無二の仲間とともに大好きな野球に打ち込める今に喜びをかみ締めています。
今年の元日に能登半島沖で大きな地震が発生しました。家族団らんと過ごしている中での激しい揺れに私たちは恐怖と深い悲しみに襲われました。
被災地では、現在も苦しみと困難の多い生活を余儀なくされています。
私たちにできることは目の前の白球をがむしゃらに追い続けることそして全力で野球を楽しむことです。今日から始まるセンバツ大会を次の100年に向けた新たな一歩とすべく全身全霊をかけて戦い抜くことを誓います。
今日までの100年を今日からの100年へ
令和6年3月18日 選手代表
青森山田高等学校 野球部主将 橋場公祐。
× × ×
テレビ字幕を写しました。間違いはごめんなさい。
黙祷から始まった開会式でした。
]]>その時、ピアノの鍵盤のように塗られた「鍵盤横断歩道」が映ったので、今日リハビリの帰りにちょっと遠回りをして見てきました。
テレビに映った横断歩道とは違うところでしたがピアノの会社らしいと思いました。
]]>リハビリ室には“パンダカンアオイ”っていうのがありました。
こういう鉢物を育てるのが好きな利用者さんが貸してくれたものだと思います。
時々、いろんなものが見れるのでリハビリは楽しみです。
なるほど花はパンダに似ていますね!
]]>3日の夜遅くから4日の昼前までに8ミリ(8)降って5日の昼前から6日朝にかけ17ミリ(16)降ったようです。15日には、昼過ぎから夜遅くまでに26ミリ(28)降りましたが日付が変わる頃には止みました。19日には、未明から降り始め昼のうちはパラパラだたっが夜始めから20日の未明にかけてかなり降ったようで合わせて54.5ミリ(63)でした。(この20日は熱かった)21日は昼前から夜遅くまでに9ミリ(12)、22日は朝から昼過ぎまでに20.5ミリ(22)夕方から夜の始めは止んでいたが夜遅くに降り出し23日の夕方までに23.5ミリ(25)。24日は降らなかったがまた25日朝から夜までに10ミリ(9)降って26日は霧の朝だった。
29日は、夜の始めから3月1日の明け方までに18.5ミリ(19)だったようです。
合計すると掛川アメダスミリ187ミリ(202)だと思います。
()内は西郷ビッグデイの西にある倉真川雨量計のデータです。
午前0時から午前3時頃までを「未明」、午前3時頃から午前6時頃までを「明け方」、午前6時頃から午前9時頃までを「朝」、午前9時頃から12時頃までを「昼前」、12時頃から15時頃までを「昼過ぎ」、15時頃から18時頃までを「夕方」、18時頃から21時頃までを「夜のはじめ」、21時頃から24時頃までを「夜遅く」という気象用語に合わせたつもりです。
何んにもならない計算ですが、自分にはボケ予防になると信じて続くとこまで続けます。
]]>日の出を待っていても出そうもないので曇り空を一枚撮って部屋に戻った。
今日はリハビリの日9時に家を出たがその時はもう雲一つない青空だった。
気象庁の区分では今日から“春”大谷選手いいタイミングの発表だったね。活躍してほしいです!
]]>
チラシのようには育たなかったが水やりの時に近づくと匂うからいいね。
]]>