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2017年01月12日(木) 

きょうは井伊直好公の墓参りに行って来ました。

井伊直好は江戸時代の掛川城主の一人です。

 

 

「おんな城主直虎」の時代に遡ると彼は「おとわ(直虎)」の許婚者「亀之丞(井伊直親)」のひ孫に当る方です。

徳川四天王の一人「井伊直政」は直好の祖父に当たります。

その直好と直勝(直好の父)は袋井の可睡斎に眠っています。

案の定、可睡斎には大河ドラマの赤い幟旗が城主の墓前まで続いていました。

 

 

私が到着した直後には大勢の団体さんが墓参に訪れていました。

すでに「大河ドラマ」の効果が表れてきたのでしょうか?

 


閲覧数2,055 カテゴリ日記 コメント8 投稿日時2017/01/12 20:54
公開範囲外部公開
コメント(8)
時系列表示返信表示日付順
  • 2017/01/12 21:19
    minonさん
    可睡斎に掛川城主のお墓があるのですか。
    可睡斎といえば、ひな人形と百合園しか知りませんでした。今年は一段と人が多そうですね。
    次項有
  • 2017/01/12 23:09
    鉛筆shinobiさん
    > minonさん
    そうなんです。
    でもここにお参りに来る前に先に掛川城に来て欲しいですね!
    次項有
  • 2017/01/13 09:35
    井伊家と言えば、龍潭寺と彦根城しか浮かんできませんでした。
    いろいろな所に歴史があるのですね。

    どこにつくかで家の存続がきまる。恐ろしい時代だったですね。
    だから、面白い今の大河ドラマが生まれていくのですね。
    次項有
  • 2017/01/13 17:02
    鉛筆shinobiさん
    > みつちゃんさん
    実は私も旧引佐町が井伊家の発祥地であるということは掛川城に勤務して初めて知りました。
    井伊谷の方たちが掛川に墓参りに来るからです。
    (十九首町の首塚)
    大河ドラマ1回目は視聴率もそこそこ良かったですね!
    次項有
  • 2017/01/13 13:31
    現役を引退してから家の近回りで何とか生活してまして、西の方に行くのが少なくなりました。今度可睡斎に行ってみようと思います。良い情報ありがとうございます。可睡斎にも土産の「厄除け団子」などありますか。
    次項有
  • 2017/01/13 17:05
    鉛筆shinobiさん
    厄除け団子はありませんが、お寺の中の売店には確かお饅頭みたいなものがありました。
    世界一のお雛様も有名です。
    次項有
  • 2017/01/14 16:34
    井伊谷の方たちが掛川に墓参りに来るからです。
    (十九首町の首塚)

    首塚が将門のものでは無く、「亀之丞(井伊直親)」の供養塔ではなかろうかと言う掛川地方史研究会のお話は、昨年10月22日に中央図書館にて聞きました。直親の墓は井伊谷の方にあるわけですが、”墓参り”とはこの供養塔の事を言われているのでしょうか?
    次項有
  • 2017/01/14 20:01
    鉛筆shinobiさん
    > 第五まち協HP担当さん

    そうなんです。
    井伊家家老小野但馬守の讒言の申し開きの目的で直親以下20名が井伊谷から駿河(今川氏真)に向かう途中、掛川城主朝比奈秦朝により十九首で惨殺されました。
    これについては掛川にも井伊家にも記されています。

    直親の遺骸だけは南渓和尚の計らいで都田川付近にあった寺で荼毘にふされ、川岸に墓があります。

    他の十九名の家臣の遺骸については記されていませんが、おそらく「あの」供養塔がそれだと井伊谷の方たちは信じています。

    平将門の首塚よりは信憑性は高いかもしれません。
    次項有
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