2018年01月03日(水) 

( こんな )しめ縄見たことがありません。

 

 

 

 元日、夕食前の散歩で商店街を駅の方まで歩いて行きました。

この店はまだやっている、あの店は無くなったのかな。

 

実家へ行っても、商店街をぶらついたり、神社へ参る事はありませんでした。

参拝客が約100mぐらいあったので初詣では止めました。

来年はそのつもりで参ります。

 

鳥居の後ろに彫られていた文字。

” 昭和五十四年 氏子中 ”

” 遷座二十周年記念 ”

 

この神社が遷座( 移ってきた? )したのは昭和三十四年。

私が家族とともに引っ越してきたのは昭和三十五年。

 

この場所に、鳥居は無かったのか、古い鳥居があったのか、覚えておりません。

 

 ビックリです、この鳥居から入る人、出る人皆様がお辞儀をされていました。

見ている間のわずか5組ですが。たまたま、その時間の人がそうであったのでしょう。

でも、心の中で” オオー ” と叫んでしまいました。

2割ぐらいの人しかしないと認識していましたので。

 この地区の皆様には、しっかりと受け継がれているのかな。

この神社そんなに格式が高かったかななどと思いました。

 


閲覧数1,578 カテゴリアルバム コメント3 投稿日時2018/01/03 06:53
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コメント(3)
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  • 2018/01/06 08:07
     創建は1558~1569年、旧中原街道沿道随一の由緒深き神社。昭和20年5月戦災で社殿焼失、昭和34年8月現社殿を造営。社格は村社( 下から2番目 )。詳細は http://yukigaya.info/top.html 。昔、節分豆まきに横綱大鵬幸喜が来ており、終了後池上本門寺へ向かいました。氏子の中に後援会関係者がいるためと聞いておりましたが、それ以上に深い繋がりがあったのですね。来年は、横綱大鵬幸喜出世石の写真撮ってきます。
    次項有
  • 2018/01/06 10:13
    追加です、角界との繋がりもあるようですね。尾上(おのえ)部屋は東京都大田区池上に部屋がある。その力士が参加するイベントです。
    次項有
  • 2018/11/07 06:18
    しめ縄の事分かりました。素材がナイロン。稲わらと違い劣化が殆ど無い。痛んだしめ縄を交換する手間や費用を考慮したものと思われます。本殿や他の鳥居3か所のものは普通の稲藁でした。
    次項有
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