> 岸田首相(自民党総裁)から派閥の政治資金規正法違反事件を巡って聴取を受けた安倍派元幹部4氏の姿勢に対し、自民党内で不満や批判が広がっている。
>従来の発言とほとんど差のない説明を繰り返し、自らの弁明に終始したとされるためだ。
>元幹部としての責任感が希薄だとして、重い処分もやむを得ないとの声も上がっている。
日本人には意思が無い。意思の無い人間には責任もない。
> 「追加調査を行っている。
>事実をできるだけ解明した上で、(元幹部らの)政治責任について判断したい」
> 岸田首相は27日の参院予算委員会でこう述べた。
>だが、同日夕までに終了した4氏の聴取では、新たな事実の確認は乏しかった。
> 首相は26、27の両日、塩谷立、下村博文・両元文部科学相、西村康稔・前経済産業相、世耕弘成・前参院幹事長の聴取を個別に実施した。
>4氏が、安倍元首相から不透明な資金還流の中止を指示されたにもかかわらず、結果的に還流継続を黙認したことを首相は問題視している。
> 聴取の焦点は、安倍氏の死去後も還流が継続した経緯や、幹部間の責任問題だった。
日本人には意思が無い。意思の無い人間には責任もない。
>4氏は今回の聴取でも、衆参両院の政治倫理審査会などで述べた内容を繰り返したといい、関係者は「政倫審以上の話は出なかった」と語る。
> 4氏はいずれも還流継続の決定に関し、自身の積極的な関与を否定してきた。
>とはいえ、当時はいずれも派内で指導的な立場にあっただけに、自民内では「事務方だけで決められるわけがない」として、4氏の説明に懐疑的な目が向けられている。
> 今回の聴取でも弁明に終始したことで、自民執行部内からは、「自ら身を処す姿勢も見えず、そもそも悪いとも思っていない」とあきれる声が出ている。
日本人には意思が無い。意思の無い人間には責任もない。
> 自民は、4月の第1週に関係議員らの処分を決める方針で、4氏が最も重くなる見通しだ。
>「選挙における非公認」か「党員資格の停止」とする方向で検討している。
>4氏のこれまでの姿勢を踏まえ、党執行部内にはより重い処分が必要だとみる向きもある。
>なかでも、安倍派座長を務めていた塩谷氏と、参院安倍派会長だった世耕氏に関しては「離党勧告でもいい」との声が出ている。
> 処分を巡っては、連立を組む公明党もいら立ちを募らせている。
>幕引きが遅くなればなるほど、今後の国政選挙などへの影響が大きくなりかねないためだ。
>公明幹部は、「処分を早期に済ませ、再発防止に向けた政治資金規正法改正の議論を進めることで、局面転換を図るべきだ」と指摘する。
日本人には意思が無い。意思のない人達の中から、責任者を探し出すことは難しい。
【英対する開戦の詔勅】
洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ
まことにやむをえざるものあり。あにちんがこころざしならんや。
開戦はまことにやむをえないことで、私の本意ではない。
一体誰の本意で我が国の意思決定が為されたのでしょうか。
[責任] 意思の無い人間には責任がない。だが、これは西洋人の考え方である。日本人の考え方はこれとは違っている。意思の無い日本人にも責任という言葉はある。それは意思の話を度外視して目的達成の義務だけを意味するものである。これでは荷役を押し付けられた意思の無いアニマルと同じである。牛馬の苦役のみの強要では喜んで責任者になる者はいない。だから、わが国では西洋流の責任体制のある指導者は育たない。
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で、以下のように述べています。
日本人は全員一致して同一行動がとれるように、千数百年にわたって訓練されている。従って、独裁者は必要でない。よく言われることだが、明治というあの大変革・大躍進の時代にも、一人のナポレオンもレーニンも毛沢東も必要でなかった。戦後の復興も同じである。戦後の復興はだれが立案し指導したのか。ある罷免された大使が、ドゴール、毛沢東、ネールの名はだれでも知っているが、吉田茂などという名は特別な知日家を除けばだれも知らないと言っているが、これは事実である。(引用終り)
肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。
徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)
]]>
>秋に予定されるアメリカの大統領選挙は、「もしトラ(もしトランプ氏が大統領に返り咲いたら)」から「ほぼトラ(ほぼトランプ氏が勝つ)」への様相を呈し、日米関係の今後がますます注目される。
>今回は、佐藤優氏がいま話題の各界プロフェッショナル12人と対話した最新刊『天才たちのインテリジェンス』(ポプラ社)より、佐藤氏と政治学者の白井聡氏との対談(2018年10月収録)を抜粋。
>当時二人が論じた「日本独自のねじれた対米従属の在り方」や「日本の存在感」がどう示されるべきかについて、再びの「トランプ大統領」登場に備え、改めて徹底検証する。
>日本の対米従属の異様さは、「アメリカは日本を愛している」という虚構
>佐藤 「ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ」。
>白井さんの新刊『国体論―菊と星条旗』を読んで、ヘーゲルが『法の哲学』序文で述べたこの言葉を思い出しました。
>時代が可視化されるのは、それまでのシステムが限界を迎えるときです。
>『永続敗戦論―戦後日本の核心』からつながる流れとして、いよいよ、日本とアメリカとの関係も変化する時期にきたのだと。
>白井 終わりが見えていながら、延々と引き延ばされている状況ですよね。
日本人には意思が無い。意思のあるところに方法がある。Where there’s a will, there’s a way.
>『永続敗戦論』を書いたのは安倍政権が成立して間もない時期でした。
>まあひどい政権になるだろう、という予見と理由は同書に書いた通りですが、まさか6年(当時)にも及ぶ長期政権になるとは思いもせず。
>それへの苛立ちが『国体論』を書くモチベーションにもなりました。
>佐藤 対米従属論に関しては非常に複雑で、言ってみればアメリカに全く従属していない国というのは世界でも少ない。
>白井さんはその上で、日本独自のねじれた対米従属のあり方を問題にされていると思うのだけれども。
>トランプ政権の誕生で、また急激に予見が変化しましたね。
>トランプの介入によって朝鮮半島情勢の問題が解決すれば、地政学の見地から言っても、必然的に米中対立が本格化しますから。
>白井 はい。
>これまで私は、日本の対米従属の異様さは、「アメリカは日本を愛してくれているのだ」という虚構に基づいている点にあると考えてきました。
>しかしトランプ大統領は「愛しているフリ」のゲームを続ける気がない。
>いよいよ対米関係を相対化しないわけにはいかない状況になってきました。
>その動きを背景に、北方領土問題も動き出す気配がありますね。
>佐藤 ええ。現政権の間に歯舞群島、色丹島の返還でケリをつける可能性があります。
>正確には2島+アルファ(国後島と択捉島はロシアの法律に服すものの、日本人はパスポートなし、関税免除してもらうなど特別に優遇する法を作る案)の形で。
>自分で考えなければ生き残れない時代
>白井 ただ、ここまで対米従属している政権にそれができるのか、半信半疑でもあります。
>というのもこれまでの4島一括返還という要求は、歴史的経緯からしても無理筋でした。
>要するに解決する気がなかったわけですよね。
>佐藤 当時の反共体制においてはそうでしょう。
>アメリカが小笠原と沖縄に施政権を行使している状態で歯舞群島と色丹島を引き渡されたら、日本国民にとってはアメリカよりソ連のほうがいい国だってことになりますからね。
>白井 それは「愛しているフリ」としては都合が悪かった、と。
>佐藤 しかし現在、トランプ政権は北朝鮮との関係改善に動いている。
>朝鮮半島情勢の問題が解決すれば、韓国・北朝鮮・中国も地続きとなり、提携が強まる。
>明らかに北東アジアのバランスが崩れるから、カウンターボーナスとしてロシアが出てきているわけです。
>トランプの登場で冷戦構造が壊れ始め、一昔前の言葉を使うなら「帝国主義」的な再編が起きていると言える。
>白井 そういったシナリオは誰が書いているんですか。
>佐藤 集合的無意識でしょう。
そうですね。日本の変革には、ヒットラーもスターリンも毛沢東も必要ではありませんね。
>日本のエリート層が今のまま日本国家で生き延びるために、無意識で起こしている潮流ですよ。
日本人はやむを得ない反応ばかりを繰り返していますね。
>白井 やはり行き当たりばったりで、計画性はないのですね。
我が国の政治家には政治哲学が欠如していますね。国民はノンポリ・政治音痴で対応していますね。
>佐藤 この先はさらに何が起きるかわからない。
>私みたいに分析専門家をやっていると、悪いシナリオと、ものすごく悪いシナリオしか見えないけれど。
>白井 私も特に3・11以降、最悪の想定しかしなくなりました。
日本沈没ですか。メルトダウンは望まなくてもやってくる。
>佐藤 安倍政権に関しても、好き嫌いはともかく次によりマシな政権がくる可能性はかなり低いですよ。
>混乱は免れない。
>しかもその閉塞した状況が、世界全体を通じて起きている。
>これまでの常識が通用しなくなるかもしれない状況下で、海図なきままに泳いでいかないといけない。
>いよいよ自分で考えなければ生き残れない時代になっていくでしょう。
そうですね。各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy.
>染みついた奴隷根性を恥ずべきものと思うこと
>白井 今、一番気になっているのは、覇権国が移行する過程で起こるかもしれない、戦争のことです。
>これまでの歴史上、覇権が移行するときはしばしば大きな戦争が起きていますよね。
>20世紀に覇権はイギリスからアメリカに移行しました。
>それが中国へ移るとなったとき、アメリカも座視はしないでしょう。
>そのとき歴史のけじめとして何らかの犠牲が必要になる。
>このままでは日本人に矛先が向くと思うんです。
>自立心がなく、奴隷根性が染みついた民族としてその命の価値が軽く見なされるのではと。
歴史的にも奴隷制度の無かったわが国に、奴隷根性が染みついているとは皮肉なものですね。
>佐藤 少なくとも外交上では、日本の存在感はほぼありません。
そうですね。日本人には意思が無い。天は自ら助くる者を助く。 Heaven helps those who help themselves.
>白井 日本人は能力があるはずなのに、こんな情けない状態になっているのは、それこそ『国体論』で論じたような、「国体教育」の賜物だと思うのですが。
> かつて天皇を頂点とした国家として行われていた国体教育は、現在も、トップをアメリカにすげ替えた形で我々を支配しています。
序列メンタリティの涵養ですね。
>今後この日本で生き残るためには、まず自分たちに無意識のうちに根づいてしまっている奴隷根性を恥ずべきものと思わないと。
>佐藤 代議制民主主義の社会モデルとしては、国民一人ひとりが外交や政治について考えなきゃいけない社会は本来よろしくないんですよ。
>自分たちの中で代表者を決めたら、政は彼ら彼女らに任せ、一般市民は個々の経済や文化で自己の可能性を形にしつつ納税し、家庭を持ち、子どもを育て……という、マルクスの言うところの再生産を行えばいい。
>しかし今、その再生産の仕組みが成り立たなくなっています。
>さらに、指導者となるべきエリート層の思考力が著しく低下している。
そうですね。日本人は無哲学・能天気ですからね。
>このような状況下で何も考えずにいると、気づいたときには自分の望まない環境にいる可能性が高くなるでしょうね。
>偏差値教育的な学力は意味がない
>白井 以前、ちょうどブラック企業という言葉が世の中に知られるようになってきた頃ですが、大学で働き方についての講義をしたのです。
>そうしたらアンケートに「ブラック企業には入らないようにしたい」というだけの感想が複数あったときは呆れました。
>そりゃ誰だって入りたくないに決まってますよ。
>でもそこしか働く場所が見つからなかったり、まともだった企業がいつしかブラックになってしまったりする。
>そういうところに一切想像力が及ばない。
日本人には世界観がないので、目先手先の事しか頭にない。それで議論にならない。
>きわめて消費者的です。
>買い物ならお金を持っていれば好きなものを買えるのと同じように、自分だけは何でも好きなように選べると思い込んでいるのでしょう。
>根拠もなく。
マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。
‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)
マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交儀礼がない。彼は知日派であった。
>佐藤 その点からも教育が重要になります。
>お受験的、偏差値教育的な学力は意味がありません。
そうですね。あれは序列順位の争奪選ですからね。教育内容などなおざりですね。
>もっとも、未知の問題に出合ったとき、総合的な見地から理解し、対応する力を養うのはそう簡単なことではないけれど。
>自分や自分のまわり以外の気持ちを推し量る訓練もしなければいけませんし。
> もっとも今の日本では、指導者となるべき大学人もかなり疲れている。
日本人には意思がない。意思の無い人間には責任もない。責任を以て人を指導することはできませんね。
>白井さんのようにアカデミックな手続きを踏んだ上でのきちんとした文書を書きつつ、賢母的に大学で学生たちと向き合っている若手が少ないことも問題ですね。
>白井 僕自身ももっとリスクを取って「君のように何も考えない人間がいるから、ブラック企業がなくならないんだね」くらい言うべきかもしれません。
>結局誰も教えてくれなかったから、大学生にもなってまことに情けない状態になっている。
教育とは体験することですね。
>さらに「空気を読め」という風潮で自分の意見も言えず、いいように利用されたり、鬱になったり。
日本人は気分・雰囲気・感情に酔っていますね。
>それじゃ何のために生まれてきたのかわからない。
そうですね。
>生きている以上、何らかの制約は必ずあります。
>その中で少しでも自由に、自分が思うように生きるため、僕らは学ぶのだと思うんです。
各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy.
英米の高等教育は子供が大人になる為の教育である。子供は現実 (事実) に関する知識のみを持っているが、大人には非現実 (考え・哲学) に関する知識もある。それを若者に持たせるのが彼らの高等教育である。
日本人には非現実に関する知識がないのでわが国では英米の高等教育がなりたたない。だから、日本人は子供らしくみえる。
非現実の内容を現実の内容に転換する方法を見つけることができたら、人間固有の創造力を発揮したことになる。日本人は創造力に欠けている。
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)
我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。
国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。
'為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり' 上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)
]]>この暴風雨ですからね!
カッパ着て登頂しないと足下から吹き上げて来る雨で、ビショビショになってしまいます。
最近は下院背での買い物はポケットレジでやっています。
カインズのアプリを開いて店の入口で「店名コード」を読み込ませます。
あとは自分のスマホで商品のバーコードを読み込んで行きます。
会計はあらかじめクレジットカードと連携させているので、出口で店員にスマホに表示されたレジ表と商品を照合してもらって終了です。
2000円以上の買い物だと通常のポイントの他に50Pのおまけが付くんですよ。
カインズでは他にピックアップというシステムがあって、自宅で商品を選んで送信しておくとクルマまで持って来てくれます。
重たい肥料などは助かります。
さて今朝は大雨警報が出ていますね!
また燃えるゴミの日なので、困ってしまいます。
驚いたことにけさの最低気温は15.8℃でした。
2,3日前の最高気温と同じです。
一気に桜が開花しそうですね!
]]>
>根性論を押しつける、相手を見下す、責任をなすりつける、足を引っ張る、人によって態度を変える、自己保身しか頭にない……どの職場にも必ずいるかれらはいったい何を考えているのか。
>発売即重版が決まった話題書『職場を腐らせる人たち』では、ベストセラー著者が豊富な臨床例から明かす。
>〈パワハラや嫌がらせの連鎖を目にするたびに、「自分がされて嫌だったのなら、同じことを他人にしなければいいのに」と私は思う。
>だが、残念ながら、そういう理屈は通用しないようだ。
>むしろ、「自分は理不尽な目に遭い、つらい思いをした」という被害者意識が強いほど、自分と同じような体験を他の誰かに味わわせようとする。
そうですね。
日本人には意思がない。だから、加害者意識がなくて、被害者意識だけがある。これはアニマルも同じである。
>これは主に二つの理由によると考えられる。
>まず、「自分もやられたのだから、やってもいい」と正当化する。
’目には目を’ですか。しかし、相手は違っていますね。だから、やられた人にはやり返せない。
>また、自分がつらい思いをした体験を他の誰かに味わわせることによってしか、その体験を乗り越えられないのかもしれない。〉(『職場を腐らせる人たち』より)
>話題書『職場を腐らせる人たち』では、根性論を持ち込む上司、過大なノルマを部下に押しつける上司、言われたことしかしない若手社員、完璧主義で細かすぎる人、あれこれケチをつける人、八つ当たり屋、特定の部署にこだわる人、いつも相手を見下す人、相手によって態度を変える人、他人のせいにする人、不和の種をまく人、他人の秘密を平気でばらす人、その場にいない人の悪口を言う上司、陰で足を引っ張る人、ストーカー化する人、といった15の実際のケースを取り上げている。
>字面を見るだけで、「いるいる!あるある!」というものばかりかもしれない。
>なかでもやっかいなのは、相手によって態度を変える人かもしれない。
日本人は序列人間ですからね。中間位の者は大きくなったり小さくなったりする必要がありますね。日本人は如才ないですね。日和見主義ですね。
>〈特権意識が強い上司ほど、自分の暴言や罵倒で部下がどれほど傷つき、つらい思いをするかに想像力を働かせることができない。
>いや、それどころか想像してみようとさえしない。
>想像力が欠如しているからこそ、感情に任せて暴言を吐き、罵倒し続けるのだろう。
お山の大将ですね。
>もっとも、想像力の欠如を無自覚に露呈させるのは"下"に対してだけである。
>逆に、"上"に対しては、自分の言動がどう受け止められるか過剰ともいえるほど警戒し、不快感や反感をかき立てないよう慎重にふるまう。
>"上"からどう見られるかが最大の判断基準になっているからであり、そのおかげか"上"から気に入られ出世することも少なくない。〉(『職場を腐らせる人たち』より)
>〈相手によって態度を変える人は、方針もコロコロ変えることが多い。
日本人には現実(事実)があって非現実(考え・哲学)がない。
マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。
‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)
マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派であった。
>朝令暮改も日常茶飯事なのだが、これは"上"から気に入られることしか考えていないからだろう。
彼は‘上からの賃上げ’ を期待していますね。’他力本願・神頼み’ ですね。
>"上"からちょっと言われただけで、それまでの方針を百八十度転換することもある。
>そのため、こういうタイプを上司に持つと、部下は振り回されてばかりで、本当に苦労する。
>指示が行き当たりばったりで、一貫性がなく、すぐに方針が変わる一因として、自信がないこともある。
日本人は無哲学・能天気ですからね。
>おくびにも出さないが、実は「この方針で大丈夫だろうか」とびくびくしているからこそ、指示が二転三転する。
彼はやむを得ない反応だけを繰り返していますね。
>朝令暮改の上司ほど「状況が変わったんだから、臨機応変に対応しないといけない」と正当化するが、そのたびに右往左往する部下のほうはたまったものではない。〉(『職場を腐らせる人たち』より)
我が国は、時代に流される人たちばかりの社会ですね。
‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)
>つづく「どの会社にもいる「他人を見下し、自己保身に走る」職場を腐らせる人たちの正体」では、「最も多い悩みは職場の人間関係に関するもので、だいたい職場を腐らせる人がらみ」「職場を腐らせる人が一人でもいると、腐ったミカンと同様に職場全体に腐敗が広がっていく」という著者が問題をシャープに語る。
]]>
>ヨーロッパでは週休3日以上の制度を導入する国がいくつか出てきています。
>日本ではなかなか実現しにくそうなことですが、それは突然得られた「結果」ではありません。
>お金や教育、家事などの身近なことから、政治や環境問題などのグローバルなジャンルにおいて、「日本において常識とは考えられていないこと」が、実は「世界の常識となっていること」は意外と少なくありません。
>それを知れば日本人の根底にある「価値観の選択肢」を増やすことにつながるはずです。
>ドイツ在住の日本人実業家であり、世界に精通する人気インスタグラマー、谷口 たかひさが48例に及ぶ世界のシン常識をまとめた初の著書『シン・スタンダード』(サンマーク出版)より一部抜粋、再構成してお届けします。
>ベルギーの週休3日制、雇用主の責任
>ベルギーでは2022年半ばに、労働者に週休3日制が認められた。
>労働者が希望すれば、同じ給与で週休3日取れるようになった。
>「ストレスなどの問題に対応しながら、生産的で持続可能な経済を目指す」と首相は述べている。
>なお、合計の労働時間を変えずに週休3日取る形にするため、希望する場合は1日10時間まで働けることになる(現在は8時間まで)。
>また、ある週に多く働く代わりに、他の週の労働時間を少なくするなど、できるだけ労働者が柔軟な働き方を実現できるようにしていく方針だ。
>雇用主はこれを認めない場合、その理由を書面で説明することが義務づけられるという。
>ベルギーはまた、従業員に以下の権利を持たせるという。
>「勤務時間外は上司のメッセージに反応しなくていい」
>ベルギーは2021年末に71・4%だった就業率を、2030年には80%に引き上げることを目指している。
>雇用主からの不当な扱いに従う意味
>では、他の国々の近年の働き方改革に関する動きはどうだろうか。
>・アイスランド:2015年から試験的に週休3日制を導入。
>結果は「圧倒的な成功」だったと評価されてる。
>・スペイン:給与はそのままで週休4日にする計画を発表。
>・スコットランド:給与はそのままで週休3日にする計画を発表。
>・アメリカ:「各国の政府や企業の取り組みで、病欠の減少が確認されたほか、従業員の士気向上、育児費の削減がみられた」として、2021年、標準労働時間を週40時間から32時間に短縮する法案が提出された。
>・イギリス:オックスフォード大学の研究機関が協力する団体の試験的な取り組みに各国政府に加え、多国籍企業など数十の企業が参加し、現在2000人の労働者が給与はそのままで週休3日制で働いている。
>さて、僕がこのトピックで触れたいのは、「だから日本人はもっと休んだほうがいい」ということではない。
>伝えたいのは、これらの「結果」は、ある日突然得られたものではないということだ。
>もっと言えば、その国の労働者の人たちがこれまでに行ってきた、投票や主張といった、不断の努力によって勝ち取った部分が大きいと言えるのだ。
そうですね。
だが、日本人には意思が無い。
意思のあるところに方法がある。Where there’s a will,there’s a way.
【英対する開戦の詔勅】
洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ
まことにやむをえざるものあり。あにちんがこころざしならんや。
開戦はまことにやむをえないことで、私の本意ではない。
一体誰の本意で我が国の意思決定が為されたのでしょうか。
>自分がフィンランドにいた時に、フィンランドの人に言われた言葉が今でも強烈に頭に残っている。
>「自分が雇用主から不当な扱いを受けた時には、断固として従ってはいけません。
>それはあなただけではなく、あなたの後ろにいる全ての労働者を守ることになるからです」
そうですね。それはあなたが唱導者になることですね。
過去の内容は変えることができないが、未来の内容は変えることができる。それには未来の内容を自己の意思として示すことが必要である。しかし、それには無為無策でその日暮らしをしている日本人には望み無しである。
日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文の内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。 つまり、無心である。ものを言ってもそれが行動には繋がらない。だから、結果的に ‘うそぶく’ 人ということになる。これが、相手に不信の念をいだかせる。考えがあり、その実現に強い意思を示すという手順がわが国には存在しない。
意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がないので仕方なく無為無策でいる。それで、おとなしい。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。
' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)
どうやら 我々は '指示待ち人間' として育成されていたようです。このやりかたに習熟すると、他人の受け売りと後追いの専門家になりますね。我が道を行く人にはなりませんね。未来を先取りしないから他人を唱道する人にはなれません。
]]>
今日の貴重な休日も予報では雨マークがありましたが、何とか16時前までは持ってくれました。
どうしてもやっておかないといけないのは夏野菜用畑の土作りです。
と言う事で、まずはその草抜きをしてから石灰に牛糞を混ぜて鍬でこねくり回しておきました。
ずっと寒かったので雑草についてはホント油断していました。
ところがちょっとのスキにすごい繁殖で驚きました。
空き地は雑草のちょっとした山が出来ましたよ。
今日予定した作業は「まずまず」です。
よく眠れるだろうけど、おそらく明日は筋肉痛だろうね!
お陰でウオーキングは出来なかったです。
]]>
頭蓋骨に金粉を塗って漆で固めたものです。
戦国時代「織田信長」が対戦相手の武将の首をとり、その頭蓋骨をはくだみにして頭頂部の骨を杯にして、酒を飲んだという逸話が残されています。
信長が越前の朝倉義景を攻めた時に、信長の妹「お市」が嫁いだ義弟(浅井長政)が信長を裏切って挟み撃ちにしようと企んだ出来事がありました。
織田軍は這々の体で逃げ帰り、後日「姉川の戦い」で浅井軍に勝利したあと、浅井久政、長政親子と朝倉義景の首をはくだみにし、正月の祝宴で家来たちに酒を飲ませたシーン(大河・功名が辻)があります。
これは掛川城の戦国の館に展示してあったレプリカです。
大河ドラマ「功名が辻」の中で使われていた物を大河ドラマ「風林火山」の時に、「掛川城戦国の館」で展示してあったのです。
その後、このはくだみは御殿の「張役所」という部屋にガラスケースに入って展示されていました。
展示期間は1年間、そのあとNHKに返却しました。
ところが来城者のインパクトが強くその話がSNSなどで拡散されたことも有り、問い合わせが現在でもあります。
在京の某テレビ局からも確認の電話がありました。
現在のスタッフはその経緯も、展示されたはくだみの事も知らない人が殆どです。
そこで昔の写真を探し回ってやっと見つけたのが、今回公開している画像です。
さすが、長老のshinobiです。
忍者もだてに長生きしているわけではありません。
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>二階元幹事長「不出馬」で考える スウェーデン82%、日本36.5% これが日本の“おじさん政治”を生む【報道1930】
>政治とカネに揺れる旧態依然とした日本の政界。
>85歳の議員が“次の選挙に出ない”と発言したことがニュースになったりする。
>年齢が不出馬の判断に影響したのかという記者の問いに「年齢の制限があるか?」「お前もその年齢になるんだよ。ばかやろう」と凄んだ自民党の二階元幹事長だ。
>一方、フランスに34歳の首相が誕生している。
>大統領もまだ46歳(就任時は30代)。
>進むフランスと“おじさん政治”が続く日本との差は何なのか…。
>「同じ議員同士なら年齢や経験に関係なく平等に発言する」
>世界ではLGBTも含め年齢、ジェンダーを超えたリーダーたちが政治に多様性を花開かせている。
>日本で“多様性”といえば、自民党青年局が企画した、いわゆる“過激パーティー”が思い浮かぶ。
>そもそも不祥事でもなければ話題にもならない、自民党青年局とは…?
>1955年に設立された、原則45歳以下の議員の集まり(当選回数など他にも規則はあるが)だ。
>とはいえ地方では議員不足などもあって、46歳以上の議員が所属している県連がほとんどだ。
>愛媛県連には67歳の青年局員もいる。
>広辞苑で『青年』と引くと“14、5歳から24、5歳云々”とある。
>そもそも被選挙権が25歳からの日本では、文字通りの青年局は成立しない。
>日本政治の世界では「40、50は鼻垂れ小僧」という世界だが、フランスで34歳の首相が出たと聞けば、何がそんなに違うのか気になる。
それは人間序列の有無ですね。
>日本とフランスの政治・文化の比較研究を専門とする先生に話を聞いた。
>ちなみにフランスの首相は選挙で選ばれるのではなく、大統領が任命する。
>三重大学 ティエリー・グットマン教授
>「マクロン大統領はイメージ戦略に優れている。
>(新首相の)アタル氏は若いだけじゃなく同性愛者。
>だから“若さ+同性愛者(を選ぶ)進んでる国”、(彼を任命した)進んでる大統領…というイメージ戦略が大きかったと私は見ている」
>フランスでは若者票の獲得が課題となっている。
>若返りは首相だけでなく、野党・国民連合の党首バルデラ氏も28歳だ。
>また、フランスが若い指導者を認める理由のひとつに歴史的背景があると、グットマン教授は言う。
>三重大学 ティエリー・グットマン教授
>「(革命で王政を打倒した歴史から)平等意識は高い。
>フランス人たちは、その人が自分より年上だからあるいは経験が長いから自分は黙ってその人の言うことを聞く、っていう意識はあまりない。
フランスは序列社会ではありませんね。
>同じ議員同士なら年齢や経験に関係なく平等に発言する。
>その場で“この人鋭いこと言ってる”、“賢いこと言ってる”と目立つ。
>そして目立った人は次に抜擢され、また目立って。
>ポストが上がっていく。
>アタルさんはその典型」
>「息子が選挙運動で変な選挙違反にでも関わったら人生終わっちゃう」
>一方、日本の政界で若手が伸びない理由として、グットマン教授は3つの問題を挙げた。
>ひとつは出馬に必要な供託金300万円だ。
>得票率10%を獲得しないと没収される。
>もうひとつは2週間という選挙期間。
>短い時間では、知名度のある現職が有利だという。
>そして、もうひとつはアジア地域の特性にあるという。
>三重大学 ティエリー・グットマン教授
>「東アジアということで(日本も)儒教の影響は強いでしょうね。
>“年上を尊敬する”日本ではどの分野にも年功序列的なものがあって…年上がリーダーになることは当然っていう文化…。
>“自分は若いのにこんな発言しちゃいけないな”という自己検閲が無意識にブレーキをかける…」
日本語には階称(言葉遣い)がある。自己検閲が無くては話ができない。
>その中でも自民党は保守。
>儒教的な古い日本の影響を強く受けている政党だから若者が伸びにくいのだろうと、グットマン教授は語った。
>立憲民主党の寺田議員は、若者が政界に進出できない理由のひとつに“地元づきあい”を挙げる。
>立憲民主党・政倫審筆頭幹事 寺田学 衆議院議員
>「特に地元活動は、どこに顔を出した、お祭りに顔を出した、催事場に顔を出した、街頭に立っていた…そういうフィジカルプレゼンスをとにかく出さないと知名度向上につながらない…これが若い人たちに“政治、ムリ”って思わせている…」
日本人はノンポリ・政治音痴ですからね。
>自民党・政治刷新本部幹事 牧原秀樹 衆議院議員
>「若者から意見を聞いた時に供託金を挙げる人は多かった。
>県議なら60~70万かな、でも国会議員は300万。
>比例も兼ねると600万円になる。
>自民党は党が出しますが、政党によっては自分で出せっていうところもある(無所属なら当然自腹)。
>20代は無理ですよね…」
>そしてもうひと最近の傾向として、政治にかかわると大変な目に遭うかもしれないと敬遠する若者が増えていると、牧原議員は言う。
日本人には世界観がない。だから、議論が出来ない。
>自民党・政治刷新本部幹事 牧原秀樹 衆議院議員
>「かつては選挙運動に学生ボランティアに参加していただいたんですが、最近は親が断ってくる。
>“息子が選挙運動で変な選挙違反にでも関わったら人生終わっちゃうから”とか…」
>共同通信 久江雅彦 編集委員兼論説委員
>「いちばん大事なのは、投票率ですよ。
>1970年代までは若者の投票率も60%くらいあったんですよ。
>どんどん下がって今3分の1ですよ。
>被選挙権も(選挙権同様)18歳に合わせれば自分に身近な人が出るって、投票率も上がってくると思う…」
そうですね。我が国には何でもあるが、ただ夢と希望だけがない。残酷なものは過去のない老人と未来の無い若者である。
>確かに日本の直近の総選挙でも、投票率は70代が72.3%なのに対し、20代は36.5%と低い。
70代は義理で投票しますからね。20代には義理がない。義理があっても無くても政治音痴はかわらない。
>ところが、20代の投票率が実に82%という国がある。
>政治に関わりたいなら?“政党の青年組織に入ります”
>北欧・スウェーデンの国会議員の平均年齢は約46歳(日本は約58歳)。閣僚の平均年齢は45歳、最年少閣僚は26歳だ日本は(62.4歳)。
>選ばれる側が若いように、選ぶ側も若く20代の投票率が82%だという。
選ぶ側と選ばれる側には年齢の対応がありますね。
>なぜスウェーデンでは“若い政治”が実現したのだろうか?
>駐日スウェーデン大使館 ヨハン・フルトクイスト 参事官
>「スウェーデンでは若い人たちの投票率が、他のどの年齢層よりも高い。
>この国では非常に早い時期、幼い頃から有権者となり、民主主義のプロセスに参加することを奨励するシステムを築いてきた。
>私が初めて模擬選挙に参加したのは9歳の時で、1985年の選挙だった。
>実際の選挙と全く同じだった。
>投票用紙を持って封筒に入れて、秘密の投票所に行って投票用紙を箱に入れた。
>今では子供たちが投票によって学校の決定にかかわることが許されることも増えてきた。
>例えば校庭にどんな遊具を置くとか、給食で何を出すとかね…」
>スウェーデンでは選挙権・被選挙権ともに18歳だが、それ以前から政治に参加できるシステムが整っている。
>駐日スウェーデン大使館 ヨハン・フルトクイスト 参事官
>「スウェーデンの17歳の子に“政治に関わりたい、あるいは選挙に出たいならどうすればいい?”と聞けば、ほとんどの人がこう答えるでしょう。
>“政党の青年組織に入ります”。そうすることで、もし望めば政治的なキャリアを追求したり、より高いレベルで政治に関与することができる。
>そういう意識が高いのだ」
>スウェーデンでは若者が票田になっていて、そのことが政治を変えたとフルトクイスト参事官は言う。
>駐日スウェーデン大使館 ヨハン・フルトクイスト 参事官
>「社会の半分に過ぎない男性、あるいはもっと小さなグループである老人だけに焦点を当てることだけでは当選できない。
>だから若者が選挙に参加し投票することで、その変化が加速した…」
>先日、スウェーデンのような政治を目指そうというイベント『民主主義ユース・フェスティバル』が東京で開かれた。
>その会場にいた若者にマイクを向けた。
>「政治家は権力やお金がたくさんある悪いことをしているイメージ」(18歳・高校生)
>「政治に興味を持っていることに対して冷笑的な目線を向けられることがつらい。
>どこかの政党に凄く熱心なわけではないのに、思想が強いとか変な考えに染まっちゃったみたいに取られる…」(27歳・大学研究所勤務)
日本人には現実 (事実) ばかりで、非現実 (考え・哲学) がない。’我々は何処の行くのか’ という哲学的命題は想定外になっている。
>「今の若者は本当に政治に関する意識が低いと思う。
>おかしいなと思ったことについて、自分が変えてみようって意識を持ったらいいと思う」(15歳・中学生)
日本人には意思が無い。意思のあるところに方法がある。 Where there’s a will, there’s a way.
>この声を聞く限り、意識の高い子がいないわけではないようだ。
>ニュース解説 堤伸輔氏(フォーサイト元編集長)
>「『冷笑的な目線を向けられることがつらい』、これは日本社会に本当にある傾向だと思う。
>これはずっと戦後のいろいろな制約、はっきり言って右からも左からもかけられて生まれた。
>この15歳の子の意識の高さに思わず頼もしく思ってしまったのですが、実はイギリスはいま、16歳を選挙権年齢にしようというキャンペーンが始まっている。
>イギリスは4つの連合ですが、地方選挙では、すでに2つの地域は16歳で投票できる。
>いずれ総選挙もそうなっていくでしょう。
>この15歳の子は、外国から見たらこんな若い子がこんなことを言うのかという例外的なものではなくなっているということを、もうちょっと日本は知っておかなければならない」
英米の高等教育は現実だけの人間を現実プラス非現実の人間に変える。わが国には大人の教育がない。
言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。
非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。
世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。これは政治に必要である。日本人の場合は、無哲学・能天気にためにノンポリ・政治音痴になっている。これでは冴えた政治は行われない。
自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。
日本語の文法には時制がない。だから、日本人には非現実を内容とする世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。
意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' 対 '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。そこで、不完全な現実に囲まれて無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。
何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
(BS-TBS『報道1930』3月25日放送より)
]]>貴重な青空です。
雲はありましたが、雨の心配が無い行楽日和でした。
三日月堀のしだれ桜もかなり開きました。
十露盤堀から観た二の丸御殿も優雅に見えてきました。
ソメイヨシノはまだ1ヶ所まとまって開いていますが、開花宣言までは行きません。
お客様もまだ桜を目当てに来ているわけではありませんが、春の陽気に誘われてたくさんの方が観光に来られています。
これからソメイヨシノが散る頃まで、一番いい時期ですね!
一年の中でもいちばん賑わうのがこの時期です。
]]>目薬を注すのを忘れていても、大丈夫です。
と言う事は、スギ花粉はそろそろ終盤に近づいているのでしょうか?
この後、ヒノキ花粉もあると聞いていますが、どうなんでしょう?
さて、今朝は久し振りの青空スタートです。
掛川城のしだれ桜もかなり咲いてきましたが、昨日は嵐だったので外で写真が撮れませんでした。
「ソメイヨシノ」の標本木も1輪だけ咲いていました。
いよいよ本格的な桜のシーズンが近づいてきましたが、また天気は崩れるようです。
今年はなんという年なんでしょうね!
]]>いつもの防寒作業着の上にレインコート、そして長靴でクルマに乗りました。
運転しにくいですよね!
特に天守登城は風雨が吹き上げてくるのでたいへんです。
時折、雨は止むのですがまた繰り返します。
雨も大粒で横切っていくので、「アレこれはアラレじゃないの?」と言う方もいましたが、気温は13℃を越えているのでそんなわけ有りません。
こんな時に登城してくるのは遠方の方しかありません。
すでに予約をして旅立っているので「来るしかない」方々ばかりでした。
16時近くになって天気予報も雨マークが消えたのですが、また雨のカーテンがやって来ました。
雷も鳴りました。
しかし・・・その後は晴れ間が出て来た、ヘンな天気でした。
ところが入館者は大雨の日としては記録的な数でした。
と言う事で、shinobiはずっとしゃべっていました。
今日は「晴れ男」の神通力は叶いませんでした。
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>音楽家、プロデューサーのつんく♂さん、連続起業家としてさまざまな事業を手がける孫泰蔵さんの対談。
>2023年、つんく♂さんが『凡人が天才に勝つ方法 自分の中の「眠れる才能」を見つけ、劇的に伸ばす45の黄金ルール』、孫泰蔵さんが『冒険の書 AI時代のアンラーニング』をそれぞれ刊行。
>お互いの著書を読み、仕事論からAI時代の話まで、深い話は尽きることなく盛り上がりました。
>今回は、海外から見た「日本企業のちょっと異質な習慣」について話し合います。
>「工夫が生まれない土壌」が問題
>つんく♂:ハワイに住んでいると特に思うんですが、最近は世界的なインフレもあって、日本がどんどん厳しい状態になっているような気がします。
>孫さんが見た「日本企業の欠点」みたいなものはありますか?
>孫:大企業のサラリーマンって、とりあえず言われたことをやっていれば昇進していくじゃないですか。
そうですね。それはエスカレーター式昇進ですね。
>残念ながら、そこには工夫がない。
>むしろ変な工夫をして失敗すると「おまえ、何やっとんじゃ」と言われる。
>だからそれで余計なことをしないほうがいいみたいな空気がある。
雉も鳴かずば撃たれまい。
>でも、つつがなくやっていれば、年功序列で給料が増えていく。
>このように、世界のビジネスからかけ離れているのに、それでいいみたいな感じの雰囲気がまだまだあるんです。
>だから、日本はダメになってしまったと思います。
>つんく♂:やっぱりそういうのって、日本特有なんでしょうか。
>孫:たとえばオンラインミーティングで、日本人はずらーっと入ってきて、一言もしゃべらず抜けていく。
>他の国だとあり得ないです。
>つんく♂:あるある。
>たしかにそうですね。
>外国人が驚く日本人のオンラインミーティング
>孫:普通に考えれば、話すことがなければ会議に出席する必要はないし、出席したからには、どんどん発言して自分の価値を出していかないと周りからも認めてもらえない。
>なのに、日本人は黙って入って、黙って出ていく。
そうですね。日本人は無哲学・能天気ですからね。
>そういうのを見ていると、僕、ちょっと気持ちが悪いんです。
>たとえば10人中3人だけが一生懸命話して、あとの7人はただいるだけ。
>しかも画面の向こうで他のことをしていたりしてね。
>つんく♂:話している側のテンションも下がりますよね。
>孫:僕は「参加しないなら入ってくるな」って思っているんですが、日本ではそれが当たり前で、悪いことだとも思っていない。
日本人は義理で参加していますね。
>「会議に出ました」なんて言われても、「発言しないなら出ていないのと同じ」って言いたくなります。
>つんく♂:そういう人たちに、「イエスかノーか。
>これについてどう思うか」って発言を求めていったら、どうでしょう。
>孫:名指しで聞けば何か言うでしょうが、玉虫色の適当な発言しかしないことも多いでしょうね。
>「そんなの聞いてない」は通らない
>つんく♂:僕は大会社の経営者になったことがないからわからないけど、「またあいつが面倒くさいこと言ってきた。
>だから会議が長引くねん!」みたいなこともあるのかな。
>経営側から見れば、イエスマンが多いほうがラクというか。
イエスマンが多ければ共産党大会のようなものですね。
>孫:たしかに、そういう面もありますよね。
>でも、本当に実のある話をしているのは、実は数人だから、なら数人だけで決めちゃえばいいって思いますよ。
>つんく♂:会議で発言しない人にかぎって「いや、そんな話は聞いてないよ」みたいに言いがち(笑)。
>孫:その通りです。
>他の国だと、意見も言わない人が「俺の知らないところで勝手に決めるな」なんて言う資格はないんですよ。
>だって、何もしていないんだから。
>つんく♂:いわゆる「俺に話を通せ」っていう人たちですね。
>孫:日本では現場も知らない上の人が「ちゃんと報告しろ」と言ってきて、「それにはこういうリスクがある」「何かあったらどうするんだ」とか、現場感のない横槍を入れてくる。
>それでフリーズして物事が進まないことってよくありますよね。
いいがかりによる災いですね。
>つんく♂:めっちゃありますね。
>日本企業はシリコンバレー出入り禁止
>孫:ここだけの話ですが、ITスタートアップの世界では、シリコンバレーに世界の才能が結集しています。
>以前は日本企業がよく視察に来ていましたが……。
>今では「日本企業というだけで出入り禁止」の企業がたくさんあります。
>つんく♂:え? なぜですか?
>孫:話を聞くだけ聞いて「勉強になりました」と帰っていくからです。
>つんく♂:デパートでさんざん試着や試食だけして、何も買わないお客さんみたいな……。
>孫:そうです。
>何も買わない、何も決めない。
>「楽しかったです」「おいしかったです」とつまんで帰るだけ。
無哲学・能天気ですね。
>それが20年くらい続いて、「日本企業は僕らの時間だけ奪って帰っていく」と悪名高いんです。
>つんく♂:90年代ぐらいはまだよかったでしょうけれどね。
>孫: 90年代は日本企業もまだ勢いがあったし、お金も出せた。
>残念ながら、失われた20~30年と言われる中で、そうなってしまいました。
>意思決定にも時間がかかる
>つんく♂:それって日本だけですか?
>孫:日本が著しいです。
>たとえば韓国企業は少し前までは日本っぽさがありましたが、サムスンのような財閥系であっても、後継者はアメリカで教育を受けた若い世代に替わりつつある。
アメリカでの教育が大きいですね。
>しかも創業家の後継者だからこそ、ズバッと判断できるという面もあります。
>日本はそれすらないんです。
>つんく♂:たしかに、ないですね。
>孫:そう。
>わけです。
>「みんなで決めよう」からの「聞いてないよ〜」で、判断に時間がかかる。
>つんく♂:どうしてそういうのが生まれちゃうんでしょう。
>孫:先ほどの会議で発言しない人って、興味がないんだと思うんです。
>だったらそこから抜けて、興味のある仕事をやればいい。
>「聞いてない」と言う前に、自分の好きなことをやればいいんですけどね。
>その仕事が好きな人、興味がある人同士で集まれば、「これでいいかな」「うん。いいね」って、サクサク進められると思うんですけどね。
>つんく♂:日本には、まだまだそれができない「風通しの悪さ」があるのかもしれませんね。
各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy.
つんく♂:日本には、まだまだそれができない「風通しの悪さ」があるのかもしれませんね。
わが国には人手不足はあっても頭脳不足はない。日本人は大切なところに頭を使っていないからである。
日本人は思考を停止している。 だから、日本人には現実 (事実) があって非現実 (考え・哲学) がない。それで、日本文化には形式 (儀式) があって内容 (教義) がない。
それで、我々はその分余計に形式に拘る事になる。
内容が無いのであるから拘る形式もつまらぬことになる。
いいがかり(a false charge) とは、つまらぬことを口実にして無理をいう事である。まっとうな事が存在しなければ、つまらぬ事もつまらぬ事ではすまされない。だから、無理はいじめになる。
鳥なき里の蝙蝠である。(優れた者のいない所では、つまらない者が幅を利かすということ。) 日本人はこの言いがかりに日常的に苛まれている。他人の目恐怖症により精神的に疲れている。
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