書き込み数は42件です。 | [ 1 2 3 4 5 ] | ◀▶ |
めぐりあいが人生ならば、素晴らしき愛情にめぐりあうのも これ人生であります。 第7作『男はつらいよ 奮闘篇』から 柴又駅のほど近くに、柴又八幡神社があります。帝釈天題経寺とともに、地元の人々の鎮守様として、古い歴史がある神社です。この社殿の裏手に、古墳があります。 1965年から発掘調査が進められ、99年の第3次学術調査で、六世紀、古墳時代の土師器や須恵器が発掘されました。 そして2001年8月4日。この古墳から、人物埴輪が発掘され、大きな話題となりました。なんとその埴輪は、帽子をかぶり、切れ長の細い目の容貌が寅さ … [続きを読む] |
東京でもって迷子になったらな、 葛飾の、柴又の、とらやってダンゴ屋を訪ねて行きな。 第7作『男はつらいよ 奮闘篇』から 寅さんは心優しき人です。困っている人がいたら、黙っていられません。とにかく行動の人です。第7作『奮闘篇』で寅さんは、静岡県沼津市の中華そば屋でひとりの少女に出会います。彼女は、東北から出てきた太田花子(榊原るみ)。寅さんは、知的障害のあるその身を案じて、奮闘努力します。 寅さんが花子と出会った直後、沼津駅前交番で、花子は堅物のお巡りさん(犬塚弘)に、矢継ぎ早に質問されて困っていま … [続きを読む] |
物の始まりが一ならば、国の始まりは大和の国、 島の始まりが淡路島・・・・・ 『男はつらいよ』各作から おなじみ寅さんの啖呵売の名せりふです。商売の口開けに「物の始まりが一ならば」とスタートを宣言するわけです。寅さんは16歳で家出をして、旅の暮らしの中で、生きていくためにテキ屋となりました。 第16作『葛飾立志篇』で、寅さんは向学心に燃えて、東大考古学教室助手の才媛・筧礼子(樫山文枝)から、日本史を学ぶことになりました。専門用語はチンプンカンプンだった寅さんですが、「大和朝廷」という言葉に反応して「国の始 … [続きを読む] |
いや、頭のほうじゃ分かっているけどね。 気持ちの方が、そうついて来ちゃくれねえんだよ。 第6作『男はつらいよ 純情篇』から 植木等さんの「スーダラ節」に「わかっちゃいるけどやめられない」というフレーズがあります。この曲を歌うことに抵抗があった植木さんに、僧籍にあった父・徹誠(てつじょう)さんは「この歌は人間の心理をついている」と称賛したそうです。 人間は頭で理解していても、心や気持ちはそうはいかないことが多いです。あるとき、山田洋次監督と話していて、このせりふについての話題になりました。 第6作『純情 … [続きを読む] |
俺はもう二度と帰らねえよ。 いつでも帰れるところがあると思うからいけねえんだ。 第6作『男はつらいよ 純情篇』から 寅さんはいつも旅先で故郷を想います。その「望郷の念」で、矢も盾もたまらず柴又に帰ってくるのです。 第6作『男はつらいよ 純情篇』で、長崎港で出会った子連れの女性絹代・(宮本信子)の宿賃を世話した寅さん。駆け落ちして以来、一度も故郷の福江島に帰っていないという絹代に付き添って、森繁久彌さんふんする父・千造に会います。 そこで「故郷はどこかね?」と訊かれた寅さんは柴又のこと、おいちゃん、お … [続きを読む] |
上等上等、温かい味噌汁さえありゃ十分よ。 後は御新香、海苔、タラコひと腹。ね、カラシの効いた納豆。 これにはね、生ねぎ細かく刻んでたっぷり入れてくれよ。 第5作『男はつらいよ 望郷篇』から これは寅さんの「理想の朝ご飯」です。この後にこう続きます。「あとは塩昆布に生卵でも添えてくれりゃもう、おばちゃん何にもいらねぇな、うん」。これだけあれば、寅さんでなくても、誰も文句はありません。 旅先で偏食気味の寅さんの昼食は、いつもうどんやラーメンなどです。麺類が好き、ということもあるでしょうが、安価で手軽 … [続きを読む] |
人間はなあ、額に汗して、油にまみれて働かにゃあ、 いけないんだよ。 第5作『男はつらいよ 望郷篇』から 寅さんは「反省」の人でもあります。自分の行い、これまでのことを振返り、悔い改めようとします。そのきっかけは、さくらのことばや、旅先で出会った人の影響だったりします。 額に汗して働くことは、粋でいなせな寅さんの生き方とは正反対です。「渡世人」を気取り、ときには「遊び人」と呼ばれて、まんざらではありません。額に汗して懸命に働く「労働者」と対極にあるのが、寅さんの矜持でもあります。 ところが寅さんが、その労 … [続きを読む] |
銭さえあれば、私は今すぐにでも土産を買い込んで 故郷へ帰りたいのでございます。 第4作『新男はつらいよ』から フジテレビで「男はつらいよ」がスタートしたのが1968年の秋、この頃、ベトナム戦争、学生運動がメディアを賑わせていました。揺れ動く価値観のなか、それまで主流だった体制的、保守的なものへの「対抗文化」をカウンターカルチャーと呼んでいました。 音楽では、新宿西口フォーク・ゲリラや、アメリカの野外コンサートのウッドストック・フェスティバルがカウンターカルチャーの象徴となりました。映画でも、東映の高倉健 … [続きを読む] |
[ 1 2 3 4 5 ] | ◀▶ |