徳川家康公に始まる徳川家とゆかりの深い“宝台院”ですが、“最後の将軍”徳川慶喜公との関係も興味あるものです。
慶喜公は将軍職をはく奪され水戸に謹慎していたのですが、身柄を駿府に移されることになりました。

慶応4年【1868年】7月19日に水戸を出発7月23日に清水港に上陸、陸路東海道を通ってその日の夕方宝台院に到着しました。
この出来事は“トップシークレット”だった為、静岡市民がその事実を知ったのは数日後だったそうです。
その後慶喜公は明治2年【1869年】9月28日に謹慎が解かれるまで、こちら宝台院で起居されました。
この間、勝海舟、山岡鉄舟などは常にこちらの宝台院にお見舞いに参上したようです。

また明治元年【1867年】8月、徳川家達公が駿府府中藩主として駿府入りされた際には、まず宝台院を訪れ「お愛の方」の御霊所へ参拝された後、慶喜公に御挨拶に伺ったそうです。
宝台院の宝物殿には家康公63歳の頃の自画像、家康公が父広忠公から譲られた「真の太刀」、
家康公、家光公直筆の書などが公開されています。
宝台院は静岡駅から徒歩で西へ10分ほど行ったところにあります。
地図を頼りに探しても見落としてしまうほどの路地角にポツンと建っていますが、徳川政権下の時代では私が迷いながら探し歩いていた地域一体が、全て境内だった訳です。
創立当時の敷地は9700坪もあったそうで、驚いてしまいました。

このたび郷土の誇り、“憧れのお愛さん”の墓参りと思って訪ねてきましたが、ここに来て徳川パワーの偉大さというものを改めて測り知ることができました。

お愛さんありがとう!