>二島圭入 ( 24 東京都 会社員 ) 17/08/02 PM05 【印刷用へ】 >現在の世の中は、「人はもともと善であり、成長するにつれて悪を知っていく」という前提の元できている。> 例えば、政治であれば「政治家は社会を良い方向へ導く」という大前提の本、国民に選出され、政治を行っているが、現在お上の暴走によって政治家に対する不信感はどんどん増大していて、この前提は崩れつつある。
そうですね。
>しかし人はもともと悪ということを前提にした社会では、誰も政治家のことを信じず、選挙演説やマニフェストなどで、政治家は「心から国を良くしたい」ということを淡々と述べるが、それは基本的にすべて嘘である、と捉えられる。>「正しい政治家がいない」という前提のもとで選挙を行うと、有権者はひとりの人間に権力が集中しないようにするだろう。
そうですね。
>すると自然と「自分たちがより良く生きていくために社会をどうする?」を考えるようになり、みんなで協力して追求し始めるようになる。
‘あるべき姿’ の内容を、みんなで協力して追及するようになりますね。
>また、教育分野では人間は完全な生き物ではないと考えることで、新たな知識やスキルを習得するための場としてではなく、理性的に物事を考え、行動するにはどうするか、ということを追求するようになる。
そうですね。我々は、‘考える人’ になるのですね。
>結果的に知識ではなく人間力の育成をする場として学校は機能し始める。
そうですね。各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy. 英米流の高等教育が必要ですね。
>さらに、人は未熟であると言うことが共通認識となっている社会では、自分発の思考が生まれることはありません。
我々は、自己中心主義者にはなりませんね。
>誰もが気持ち良く生きるにはどうするのが賢明かを追求することで、共同体としての意識も醸成していきます。
政治哲学が必要になりますね。
>こう考えてみると、いかに人類は自分たちの能力に驕って生きてきたかが分かります。
そうですね。処世術に追われて生きてきましたね。
>今一度人類は自分たちの無能を自覚し、その上でどうする?を追求することで、現代の不整合を簡単に見破ることができるようになるだろう。
そうですね。自分が知らないということを知っただけでも大きな進歩ですね。それで、態度が謙虚になります。
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