2023年05月29日(月) 

 

>現代ビジネス   >日本の若者はなぜ「個性を殺し、結婚もしない」のか…大人が知らない「厳しすぎる現実」   >現代新書編集部 の意見 • 昨日 6:00  

>いま日本はどんな国なのか、私たちはどんな時代を生きているのか。   

 

恐竜時代には誰一人人間はこの地球上に住んでいなかった。だのに、古生物学会では、化石などを証拠に事細かに恐竜の生態を説明する学者が現れる。彼は自己の考えを述べているのである。これは、見て来たような嘘に違いない。 

日本では子供が一生懸命現実の勉強をする。英米では大人が一生懸命に非現実の勉強をする。子供の勉強は現実 (事実) に関する勉強であるが、大人の勉強は非現実 (考え) に関する勉強である。わが国の大人は他人の受け売りと後追いの練習に余念がないから、いつまでたっても新天地を切り開くことはできない。    

日本人には現実 (事実) があって、非現実 (考え) がない。日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、非現実の内容を文にすることができない。であるから日本人は世界観 (world view) の内容を述べることができない。

文が無ければ発声にも意味が無く、考えも無い。個人の想いはきれいごとになって終わる。

日本語には時制が無いから、日本人が英米流の高等教育 (哲学) を学ぶと失敗しやすい。無哲学・能天気では哲学 (考え) は埒外になるからである。   

 

>日本という国や日本人の謎や難題に迫る新書『日本の死角』が話題になっている。   

>意外と知らなかった論点・視点の数々とは――。

>若者にとって否定的に感じる言葉とは   

>「個性的と言われると、自分を否定された気がする」「周囲と違うってことでしょ?どう考えてもマイナスの言葉」「他の言葉は良い意味にも取れるけど、個性的だけは良い意味に取れない」「差別的に受け取られるかも」……。   

>どうやらいまの若者たちは「個性的」だと思われたくないらしい。   

 

そうですね。わが国では没個性なら皆様並みですからね。一億総中流社会が理想ですね。   

 

>〈思いをストレートに口に出すと、周囲から自分だけが浮いてしまう。   

 

‘雉も鳴かずば撃たれまい’ ということですね。    

 

>みんなと同じでなければ安心できず、たとえプラスの方向であったとしても自分だけが目立つことは避けたい。   

 

そうですね。出る杭は打たれる。わが国は金太郎飴のような顔をした人間の製造装置になっていますね。   

 

>近年はそんな心性が広がっているように見受けられる。   

>(中略)   

>「個性的であること」は、組織からの解放を求めるには好都合だが、組織への包摂を求めるには不都合である。   

>自分の安定した居場所が揺らぎかねないからである。

 

そうですね。序列の中が日本人にとって一番安全な居場所ですね。   

 

>今日の若者たちは、かつてのように社会組織によって強制された鬱陶しい人間関係から解放されることを願うのではなく、その拘束力が緩んで流動性が増したがゆえに不安定化した人間関係へ安全に包摂されることを願っている〉   

 

人を見損なってはいけない。礼儀正しい日本人は礼儀作法 (序列作法) を護る人たちである。序列判断を他者と共有すれば個人判断をまぬかれる。それで神の祟りさけられる。      

 

>(「いまの若者たちにとって「個性的」とは否定の言葉である」『日本の死角』より)   

 

個性的であるということは個人判断をするということである。これはしんどい事である。個人主義は願い下げにしたい。日本人は思考を停止しているからである。        

 

>コミュニケーションや人間関係が固定的から流動的になるにつれて、若者は場面場面で付き合う相手を切り替えている。   

>これは上の世代からはなかなか見えてこない実態だろう。   

>若者が結婚しない理由   

>若者については、結婚しなくなっていることも興味深い現象だろう。   

>一体なぜなのか?   

 

それは人間関係が煩わしいからでしょう。   

 

>〈少子化対策を熱心に言挙げする人々は、しばしば仕事と子育ての両立難や、若年男性の経済的困窮をとりあげて、「若者は結婚したくても、できない」というリアリティを強調してきた。   

>しかし、それは事態の半面でしかない。   

>今回は別の角度から、若者が結婚しにくくなっている理由を考えたい。   

>それは格差婚、すなわち女性が自分よりも学歴や収入など社会的地位の低い男性と結婚する傾向が少ないままだから、ではなかろうか〉   

 

それもあるでしょうね。   

 

>(「家族はコスパが悪すぎる?結婚しない若者たち、結婚教の信者たち」『日本の死角』より)   

>『日本の死角』で紹介される調査では実際に日本の下降婚率が低いことも示される。   

 

日本人の持っている向上心の社会的な表れでしょうね。日本人はあくまでも序列風の生活を追及していますね。       

 

いまや出生数80万人割れ、2070年に総人口が8700万という推計も出たばかり。   

>あらためて、山積する日本の論点を整理し、考える機会としたい。   

 

我々は原因論とその対策に精魂を集中すべきですね。伝統ある ’世の中は、、、’ の現象論では埒があかない。何も変わらない。          

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。自由とは思考停止の言い逃れになっている。

とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。音読が言語の習得には欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)             

 

(略)  

 

 

 

 

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閲覧数76 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/05/29 13:55
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