2024年04月28日(日) 

 

<視点>「政治とカネ」裏金事件 違和感だらけの派閥 政治部・近藤統義    2024年2月21日 06時00分   

> 自民党の派閥の多くが解散を宣言した。   

>半年前に政治部に異動してきたばかりで、特段の感慨はない。   

>その短い間に抱いた違和感を、反省も込めて記録しておきたい。   

> 政治資金パーティーを巡る裏金事件で、派閥の所属議員らが一斉に立件された先月19日。   

>岸田派が説明の場を設けるというので、議員会館の一室に向かった。   

>テレビカメラはなしで、会場に入るのは岸田派の取材を担当する記者だけ。   

>派閥幹部は冒頭、さらりと口にした。   

>「記者懇(談)という形でお願いします」。   

>違和感その1だ。   

> 「懇談」とはすなわち、懇(ねんご)ろな会談。   

 

同じ釜の飯を食う馴れ合いのことですね。恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) ですね。       

 

>記者会見とは性格が異なり、発言者を特定せずに報じる場合もある。   

>永田町や霞が関でよくある取材形式だが、事件の重さに照らせば懇談はないだろう。   

 

そうですね。  

議論をすれば喧嘩になります。   

和を以て貴しとなす

してみれば懇談ですね。   

 

>始まってみれば、質疑を重ねる会見と同じ形になったものの、世論に向けて丁寧に説明しようという意識は希薄に感じた。   

> 違和感その2。   

>岸田派の元会計責任者は2018年からの3年間で、約3000万円のパーティー収入を政治資金収支報告書に記載しなかった。   

>立派な虚偽記入罪だ。   

>だが、幹部はこう言った。   

>「いわゆる裏金に該当するものはありません」。   

>頭がくらくらした。   

> その説明はこうだ。   

>岸田派はお金を全て預金口座で管理している。   

>収入も支出も全て口座に記録がある。   

>不記載だった収入も口座に残っている。   

>だから、裏金とは言わない―。   

>私的に流用したり、自由に使えるよう不正にため込んだりしたのとはわけが違うと主張したいようだった。   

> 裏金の定義は一つではない。   

>ただ、いま問われているのは政治資金規正法の違反である。   

 

そうですね。   

 

>「政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われる」ための法律だ。   

>私たちの監視の目が及ばないお金は「表」か「裏」か。   

>答えは明白ではないか。   

 

そうですね。裏金ですね。   

 

> 最後に違和感その3。   

>これが最も大きいかもしれない。   

> 昨年10月から岸田派の担当になった。   

>所属議員たちは週に1度集まり、昼食をともにしながら意見交換する。   

>貴重な取材機会の一つで、会合後に弁当が余っていれば記者にも回ってくる。   

>代金は派閥持ち。   

>初めは面食らった。   

> 居心地の悪さを感じつつ、うな重やすき焼き弁当を食べながら議員の話を聞いたこともある。   

 

政治家は記者の餌付けをするのですね。馴れ合いの基を作るのですね。議論を抜かして話し合いをする。      

 

>政界の文化と言えば聞こえはいいが、世間の目にはどう映るだろう。   

>こうした関係性のもとで、政治資金のずさんな取り扱いを見抜けなかった。   

>今となっては自分の行動も甘かった。   

 

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)  

マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。    

 

> ある世論調査では国民からの信頼感が最も低い機関・団体が国会議員、それに次ぐのがマスコミだ。   

 

そうでしょうね。国会議員とマスコミは同じ穴のムジナですからね。   

 

>「政治とカネの問題を是正することは政治文化を変えること」。  

 

政治家は自己の政治哲学の為に動くもの。政治屋が無哲学であれば、金の為に動くのみ。   

 

>政治資金に詳しい専門家のこんな言葉も聞いた。   

>その文化を形作るのは有権者であり、メディアでもある。   

 

そうですね。しかし有権者はノンポリ・政治音痴ですからね。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく:  世の人を教え導く人) が必要である。わが国のジャーナリストはその要請に応える必要がある。事実の山と木鐸不在だけであっては立つ瀬なし。‘それがどうした’‘それでどうした’の問いに答えが出せない。我々には絶望の未来が待っている。今こそ我が国民は自覚すべき時である。      

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)     

 

>政治の信頼を取り戻す道筋をともに考え続けたい。   

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。   

 

 

 

 

 


閲覧数54 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2024/04/28 14:00
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