English Conversation Classの「Long History」
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Long History
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2010年12月08日 21:31
ALTs for Oosuka Junior High School

2010-2011 Saba Younus (U.S.A.)
2009-2010 John Kant (U.K.)
2008-2009 John Kant (U.K.)
2007-2008 Gene Wheeler (U.S.A.)
2006-2007 Gene Wheeler (U.S.A.)
2005-2006 Gene Wheeler (U.S.A.)
2004-2005 Gene Wheeler (U.S.A.)
2003-2004 Gene Wheeler (U.S.A.)
2002-2003 Gene Wheeler (U.S.A.)
2001-2002 Gene Wheeler (U.S.A.)
2000-2001 Gene Wheeler (U.S.A.)
1999-2000 Gene Wheeler (U.S.A.)
1998-1999 Gene Wheeler (U.S.A.)
1997-1998 Gene Wheeler (U.S.A.)
1996-1997 Gene Wheeler (U.S.A.)

Gene Wheeler

ジーン先生ってスゴい!
なんと! 直筆、先生はここまで日本語をマスターしていた。

最初に私はこの二年間をどれほど感謝しているかを述べたいと思います。大須賀町での教える仕事とくらしは文字通り私の人生のとても満足のできるそして楽しいものです。私は決して忘れる事のできない新しい事に挑戦し、たくさんの人々に会い、そして多くの場所に行きました。大須賀町はすばらしい所です。たとえば、山や海や茶畑や田んぼや神社やお寺はとても美しくて私は探検したり見たりしました。しかしながら、一番大きなおどろきは、大須賀町の人々の人柄のよさです。人々は私にとても親切ですばらしい経験をさせてくれました。
みな様に感謝いたします。なぜなら、おおぜいの人々が私のここでの生活をとてもすばらしいものにしてくれました。たとえば町役場での毎週火曜日のよるの英語のクラスの人々、そして剣道の修道館での先生やほど者 (?) や生徒達そして淵鼓塾での松本千尋先生や家族の方々、茶道の先生の鈴木先生です。
さらにまた、毎日私をほほえませたり、わらわせたりさせる人は中学生の生徒達です。私が、大須賀町にやって来た最初の日から小学生や中学生が私にとってたえる事のない喜びになりました。

ほとんどの中学生は勉強に興味を持ち英語を学ぶために努力しています。この事が私の仕事をとても満足させるものにしています。中学校の杉山先生や大石先生は私が日本語の勉強をする事を助けてくれたり、私が知りたいことを訳してくれたりします。私がどなたかに感謝する事を忘れているならば、申し訳ありません。
私は大須賀町で少なくとも後一年教えるつもりです。そして、後数年日本で暮らすつもりです。私は、新年度と大須賀町の人々にあたり話したりする機会をもつことを楽しみにしています。ありがとうございました。ジーン

(大須賀町 国際交流協会だより  平成9年度版 平成10年3月31日発行、より)

1995-1996 Paul Gerald Ferratella (U.S.A.)

Paul Gerald Ferratella

大須賀町の皆さんへ  大須賀中学校ALT ポール・フェラテラ

来日し、大須賀中学で教え始めて、6ヶ月経ちました。時間があっという間に過ぎてしまった感もりますが (家族や友人達と離れて)、長い時間が過ぎているような気もします。
空手の先生の影響で抱いた日本文化への興味は、昨年、ケビンとジェニファーを大須賀町へ訪ねた折には、ひときわ高まったものでした。そして、私は新しい文化と言語を学びたいという思いで、来日を志願しました。
現在では、日本へ来て日本語を勉強できたこと、文化を学び、自分を客観的に理解でき本当に嬉しく思います。
日本とアメリカの文化は大きく異なる点が多いのですが、似ている点が多いことにも驚かされます。
子供たちの無邪気さも万国共通のようです。(掃除をしっかりやらないことも、アメリカの子供達とそっくりです!)
これまで、先生方や生徒達と楽しく仕事をして来られましたが、帰国の折に、別れなければならないのは残念です。
ところで、私は来町以来、いろいろなことを体験しています。富士登山、日本アルプス登山、ロッククライミング、長野でのスキー (志賀高原や白馬八方へ行きました。)、焼き物や弓道も体験し、小練りにも参加しました。大須賀町を起点に日本での生活を十分楽しんでいますし、すべてがとても面白く楽しいものでした。
これらの体験ができたのも、山内さん、松山さんの家族ぐるみのご親切のお陰と、本当に感謝しています。学校の教職員の皆様、水野さん、浅岡さんはじめ多くの大須賀町の皆様にもこの場をお借りして感謝を申し上げたいと思います。
残りの半年の日本滞在を楽しみながら、もっと多くの体験をし、多くの場所を訪ね、多くの人々に会いたいと思います。

(大須賀町 国際交流協会だより 平成6年度版 平成7年3月30日発行、より)


1994-1995 Jennifer Roberts-O'Brian & Kevin Charles O'Brian (U.S.A.)

Jennifer Roberts-O'Brian

私の日本についての印象は!  ジェニファー・ロバーツ・オブライアン 
 
日本の生活での最初の印象は、多くの異なった出来事や人々で色づけられていました。私が出会ったほとんどの物事や人々はこれまでの生活で、群を抜いてすばらしかったです。
日本の生活で私がいちばん衝撃的に感じたことは大きな地域社会コミュニティの強さです。大須賀町の人々、また大須賀中学校で働いている人々は私達が期待している以上にケビンや私に良くしてくれました。私はまだ自分で状況判断することができません。多くの人々が容易に私達を受け入れてくれたということが印象的でした。私に英語で話そうとする多くの日本人がいつもいてとても喜ばしいことです。毎日学校から家に帰るとき、学んだ英語を使おう頑張っている学生達に囲まれます。交流を図っている大須賀町とコーニングの間で、今まで会った多くの人々の英語の技術に対しても、とても大きな影響を与えていると信じています。
日本に来てからの、短時間のうちにたくさんのことを既に学んでしまったかのように感じられます。
私は日本とアメリカの教育の違いにとても興味を持ちました。大須賀とコーニングの教育制度はすごく異なっています。それらの違いの面白さに気づきました。コーニングと大須賀はお互いに多くのことを学び、私自身がその過程の一部となっていると思います。

日本に出発する前にケビンと私は日本での生活を固定観念的に想像していました。アメリカ人の考える日本人生活があるか、ないか、その実際を学ぶことは面白いです。日本人は、アメリカの知識の多くが不正確だと知っているようです。このような理由のために姉妹都市のプログラムはとても重要です。私達はお互いに理解する必要があります。
大須賀での生活について苦手なものは暑いことと、蜘蛛に関することです。大須賀はとても暑すぎます。また蜘蛛が異様に大きいです。私はいつも蜘蛛をひどく恐れていましたが、大須賀にいる蜘蛛はコーニングでみたものの5倍もの大きさがあります。

全体的に見てうまくいっています。が、調子の良い日悪い日があります。悪い日はふつうたいてい人とコミュニケーションがとれないという不満がある日です。しかしながら、良い日は悪い日よりはるかに多いです。私は感謝する心と期待を持ってここでのこれからの一年の前途を考えていきたいです。

(大須賀町 国際交流協会だより 平成7年度版 平成8年3月31日、より)


Kevin Charles O'Brian

私の日本についての初印象  ケビン・オブライアン  

私の心を打った最初のことは、人々がいろいろと助けてくれたということです。これはどんな場合でもそうでした。もし多くの人々の助けがなければ東京駅にすらたどり着けなかったでしょう。そして、30時間の長旅の後掛川駅まで大須賀町の代表の方々が、私達を笑顔で出迎えてくれました。彼らは待っていた車まで荷物を運び私達の住むアパートまで連れていってくれました。
その後日、私達は町内や中学校の見学に連れて行ってもらいました。そして私達の抱えていた大・小の問題を解決してくれました。時々、コミュニケーションを取るのに難しく町の人もどう助けたらよいのかわからないということもありました。そんなコミュニケーションが難しいときでさえ、人々が英語をかなり知っていることに驚きます。
最初の2,3週間の間に2つのパーティのゲストとして迎えられました。ひとつは国際交流協会、もうひとつは大須賀中学校の先生方によるものでした。それぞれのパーティーで歓迎され、敬われていると感じさせられました。私は近頃行った他のどのパーティーよりもこれら2つのパーティーを楽しみました。
私の日本についての最初の印象は人々についてでした。家に書く手紙はいつも人々がとても親切で手助けしてくれるということから書き始めます。そしてそれはたぶん日本や大須賀の良い所をいつも気に留めているから感じられたのだと思います。

(大須賀町 国際交流協会便り 平成7年度版 平成8年3月31日発行,より)


1993-1994 Susan L. Heikkila (U.S.A.)
1992-1993 Susan L. Heikkila (U.S.A.)

Susan L. Heikkila

大須賀の皆さんへ スーザン・ヘイカラ

私は大須賀に2年間いました。時の流れは早く、さよならを言うのが辛かったです。ここでの生活にとても慣れました。
日本に来る前、私は日本についてほとんど知りませんでした。だから、毎日私は何か新しいことにチャレンジしてみました。観察して新しいことや変わったことを怖がらずに学びました。
何人か親切な方が私に日本文化を紹介してくれました。琴の弾き方を教わったり、生け花をしたり、習字を練習しました。大須賀のお祭りに参加したり、日本語を勉強しました。多くの方々が私に日本語を教えてくれました。どうもありがとうございました。
アメリカでも日本語を勉強し続けたいです。大須賀は小さな田舎町です。でもとても美しいです。海や茶畑が好きです。春、夏が最良の季節です。
大須賀の人々はとても優しく親切です。多くの良い友達ができました。あなたたちのくらしの一部を共に過ごすことができ、とてもうれしいです。

2年間が過ぎ、ゲストという感じはしなくなりました。地域社会の中の一員になった感じがします。
このように私が感じるようになったのはあなた方の温かい心のおかげです。私は本当に日本に戻り、あなた方にもう一度会いたいです。
皆さんに会えなくてとても寂しいです。私はこの素晴らしい経験を決して忘れないでしょう。
いつもアメリカに友達がいるということを覚えていてください。
そしてそれが私であるということを。

( 大須賀町 国際交流だより 平成6年度版 平成7年3月30日発行、より)


1991-1992 Paul T. Glover (U.S.A.)

The Paul T. Glovers

1990-1991 Jane P. Fenn (U.S.A.): The first ALT for Oosuka

      Jane P. Fenn

恩返しに友好の輪広げて・・・ジェーン・フェン ALT第1号

大須賀で過ごした1年は、私達の人生で最大の出来事の一つになっています。異文化を身近に見ることが出来、逆に自分達の文化を見直すことができました。
思い出は数々ありますが、町民の皆さんが歓迎し、親しくしてくださったことが一番印象的です。コーニングから訪れる人、ひいてはアメリカ人全体に対し、誠実で友好的であることが証明されました。写真をはじめいろいろ頂いたり、お茶会やお宅にお招きいただいて、特別歓迎されたことを決して忘れません。
私達は皆さんのご恩をお返しするために、数年たった今も両国の強い絆と友好をアメリカの友に伝えています。1990-91の滞在中お世話になった分、大須賀の人々にお返しができたら、と願っています。

(大須賀町国際交流協会だより 創刊号 平成4年3月30日発行、より)
http://e-jan.kakegawa-net.jp/c.phtml?g=135271




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