コーニング市友好訪問団の「 私と国際交流との出逢い 副会長 佐藤百合子」
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私と国際交流との出逢い 副会長 佐藤百合子
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2010年06月26日 10:47
佐藤百合子氏

5年前、国際交流協会発足にあたり、思いがけず私は、協会副会長という大役をお受けすることになりました。

「お受けした以上は」と、私なりにこの5年間、一生懸命つとめて来たつもりです。
 ホストファミリーなるものも、初めての年に2人、5年間で6人の外国の若い方々との出会いがありました。この他、一昨年4月はコーニングの市長さん、お母さんを3日間ホストをつとめさせて頂いたり、来町されたコーニング協会の皆さん、大須賀中学の英語の先生方など、数十人の外国のお友達が出来ました。

まず、困ったのが英会話。戦争中、女学校の学徒動員で軍需工場に動員されて勉強など殆どする事なく、まして英語は敵国語廃止でろくに英語の活字には目もふれなかつた時代に育ち、それ以来、横文字にはなじめずに過ごして来たこの3、40年を、もう少し勉強すればよかったのにと後悔したものですが、60の手習いで、英会話の勉強も始めたのです。覚えも悪く、発音もさぞかしアヤフヤな、思い出しても恥ずかしい私の手習いです。でも、初めの中は面白くて、火曜日が待ち遠しく、3ヶ月、半年と経つとだんだん難しく、小野先生の発音をカタカナで必死でふっている状態でした。何回「先生、もう一回そこのとこ」とお願いしたことか。

外国のお客様を迎えるに当たって、私なりの英会話の整理をしました。本屋で「女性の英会話」、カタカナのふってある英会話の本を10冊近く買い求め、必要のある会話を選び出し、手帳に見出しをつけ、「挨拶」「家族の紹介」「食事の折の会話」等々と分別して書き込みました。

まず、横書きに黒ペンで英語、その下に赤ペンでカタカナ英語、そして青ペンで日本語。3段構えの英会話の手帳です。これを片手に私は一言でも外国のお客と会話を交わしたいと (本当にどれ位、相手にわかって貰えたかわかりませんが) つとめました。
でも、私のたどたどしい会話が相手に通じて「OK」とか「アイシー」と言って貰えた時の喜び、だんだん身振り手振りも上手 (?) になって来て、少しづつ、ほんの少しづつですが会話が盛り上がる喜び、意志が疎通出来た時の嬉しさ・・・。私が60才代になって作った手作りの大切な宝物の手帳です。

その宝物になった手帳に、和服の残り布でカバーをかけました。もうこの頃はその手帳も汚れてきて、又、書き直さなくてはと思いつつ、目が不自由になり、英会話も御無沙汰。せっかく暗記出来た英語も、この頃は口について出ません。ますます大切になってきた手帳です。
 もう1つ、私が初めて英語で歌えた歌「エーデルワイス」。この歌とのめぐり逢いは、町のコーラスで覚えたのですが、この歌だけは私のこれからの人生に何時も口ずさんでいたい歌です。アメリカ人の作曲家による歌で、コーニング市でボブさん宅のお別れのパーティーの時、皆さんと歌った歌でもあるのです。
 これからの大須賀町国際交流協会のますますのご発展を祈って、5年間の色々な思い出を書き綴らせて頂きました。

「[平成5年度版] 大須賀町 国際交流協会だより」 より

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