1994-1995 Jennifer Roberts-O'Brian & Kevin Charles O'Brian (U.S.A.) 【閲覧数】503
2011年08月05日 17:01
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1994-1995 Jennifer Roberts-O'Brian & Kevin Charles O'Brian (U.S.A.)
Jennifer Roberts-O'Brian 私の日本についての印象は! ジェニファー・ロバーツ・オブライアン 日本の生活での最初の印象は、多くの異なった出来事や人々で色づけられていました。私が出会ったほとんどの物事や人々はこれまでの生活で、群を抜いてすばらしかったです。 日本の生活で私がいちばん衝撃的に感じたことは大きな地域社会コミュニティの強さです。大須賀町の人々、また大須賀中学校で働いている人々は私達が期待している以上にケビンや私に良くしてくれました。私はまだ自分で状況判断することができません。多くの人々が容易に私達を受け入れてくれたということが印象的でした。私に英語で話そうとする多くの日本人がいつもいてとても喜ばしいことです。毎日学校から家に帰るとき、学んだ英語を使おう頑張っている学生達に囲まれます。交流を図っている大須賀町とコーニングの間で、今まで会った多くの人々の英語の技術に対しても、とても大きな影響を与えていると信じています。 日本に来てからの、短時間のうちにたくさんのことを既に学んでしまったかのように感じられます。 私は日本とアメリカの教育の違いにとても興味を持ちました。大須賀とコーニングの教育制度はすごく異なっています。それらの違いの面白さに気づきました。コーニングと大須賀はお互いに多くのことを学び、私自身がその過程の一部となっていると思います。 日本に出発する前にケビンと私は日本での生活を固定観念的に想像していました。アメリカ人の考える日本人生活があるか、ないか、その実際を学ぶことは面白いです。日本人は、アメリカの知識の多くが不正確だと知っているようです。このような理由のために姉妹都市のプログラムはとても重要です。私達はお互いに理解する必要があります。 大須賀での生活について苦手なものは暑いことと、蜘蛛に関することです。大須賀はとても暑すぎます。また蜘蛛が異様に大きいです。私はいつも蜘蛛をひどく恐れていましたが、大須賀にいる蜘蛛はコーニングでみたものの5倍もの大きさがあります。 全体的に見てうまくいっています。が、調子の良い日悪い日があります。悪い日はふつうたいてい人とコミュニケーションがとれないという不満がある日です。しかしながら、良い日は悪い日よりはるかに多いです。私は感謝する心と期待を持ってここでのこれからの一年の前途を考えていきたいです。 (大須賀町 国際交流協会だより 平成7年度版 平成8年3月31日、より) Kevin Charles O'Brian 私の日本についての初印象 ケビン・オブライアン 私の心を打った最初のことは、人々がいろいろと助けてくれたということです。これはどんな場合でもそうでした。もし多くの人々の助けがなければ東京駅にすらたどり着けなかったでしょう。そして、30時間の長旅の後掛川駅まで大須賀町の代表の方々が、私達を笑顔で出迎えてくれました。彼らは待っていた車まで荷物を運び私達の住むアパートまで連れていってくれました。 その後日、私達は町内や中学校の見学に連れて行ってもらいました。そして私達の抱えていた大・小の問題を解決してくれました。時々、コミュニケーションを取るのに難しく町の人もどう助けたらよいのかわからないということもありました。そんなコミュニケーションが難しいときでさえ、人々が英語をかなり知っていることに驚きます。 最初の2,3週間の間に2つのパーティのゲストとして迎えられました。ひとつは国際交流協会、もうひとつは大須賀中学校の先生方によるものでした。それぞれのパーティーで歓迎され、敬われていると感じさせられました。私は近頃行った他のどのパーティーよりもこれら2つのパーティーを楽しみました。 私の日本についての最初の印象は人々についてでした。家に書く手紙はいつも人々がとても親切で手助けしてくれるということから書き始めます。そしてそれはたぶん日本や大須賀の良い所をいつも気に留めているから感じられたのだと思います。 (大須賀町 国際交流協会便り 平成7年度版 平成8年3月31日発行,より) 1993-1994 Susan L. Heikkila (U.S.A.) 1992-1993 Susan L. Heikkila (U.S.A.) Susan L. Heikkila 大須賀の皆さんへ スーザン・ヘイカラ 私は大須賀に2年間いました。時の流れは早く、さよならを言うのが辛かったです。ここでの生活にとても慣れました。 日本に来る前、私は日本についてほとんど知りませんでした。だから、毎日私は何か新しいことにチャレンジしてみました。観察して新しいことや変わったことを怖がらずに学びました。 何人か親切な方が私に日本文化を紹介してくれました。琴の弾き方を教わったり、生け花をしたり、習字を練習しました。大須賀のお祭りに参加したり、日本語を勉強しました。多くの方々が私に日本語を教えてくれました。どうもありがとうございました。 アメリカでも日本語を勉強し続けたいです。大須賀は小さな田舎町です。でもとても美しいです。海や茶畑が好きです。春、夏が最良の季節です。 大須賀の人々はとても優しく親切です。多くの良い友達ができました。あなたたちのくらしの一部を共に過ごすことができ、とてもうれしいです。 2年間が過ぎ、ゲストという感じはしなくなりました。地域社会の中の一員になった感じがします。 このように私が感じるようになったのはあなた方の温かい心のおかげです。私は本当に日本に戻り、あなた方にもう一度会いたいです。 皆さんに会えなくてとても寂しいです。私はこの素晴らしい経験を決して忘れないでしょう。 いつもアメリカに友達がいるということを覚えていてください。 そしてそれが私であるということを。 ( 大須賀町 国際交流だより 平成6年度版 平成7年3月30日発行、より) 1991-1992 Paul T. Glover (U.S.A.) The Paul T. Glovers1990-1991 Jane P. Fenn (U.S.A.): The first ALT for Oosuka Jane P. Fenn恩返しに友好の輪広げて・・・ジェーン・フェン ALT第1号 大須賀で過ごした1年は、私達の人生で最大の出来事の一つになっています。異文化を身近に見ることが出来、逆に自分達の文化を見直すことができました。 思い出は数々ありますが、町民の皆さんが歓迎し、親しくしてくださったことが一番印象的です。コーニングから訪れる人、ひいてはアメリカ人全体に対し、誠実で友好的であることが証明されました。写真をはじめいろいろ頂いたり、お茶会やお宅にお招きいただいて、特別歓迎されたことを決して忘れません。 私達は皆さんのご恩をお返しするために、数年たった今も両国の強い絆と友好をアメリカの友に伝えています。1990-91の滞在中お世話になった分、大須賀の人々にお返しができたら、と願っています。 (大須賀町国際交流協会だより 創刊号 平成4年3月30日発行、より) http://e-jan.kakegawa-net.jp/c.phtml?g=135271 |
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