■[シリーズ]掛川がんばる人の輪大和田の投網名人!中山敏美(なかやま としみ)さん(大和田)杉山季由(すぎやま きよし)さん(大和田)「がんばる人」が「がんばっていると思う人」を紹介し、その紹介された人が、さらに「がんばっていると思う人」を紹介し……、というように次々に掛川のがんばる人の輪をつなげていくシリーズ「掛川がんばる人の輪」。
原野川河川敷の「いいとこ広場」を作った中山伊太郎さんから紹介されたのは……。
「あの衆らは大和田の投網名人だ!」という中山敏美さんと杉山季由さんです。
11月8日(日)、いいとこ広場で開催された「秋の味覚を楽しむ会」で、「ほら、あそこにいる!」とお二人を紹介されました~。
お二人は大和田の投網名人だと紹介されましたが(笑)。ただ子どもの頃からやっているだけさ。ちょうど今は仕事が暇だもんで(笑)、時間が取れるというだけだよ。
今日の「秋の味覚を楽しむ会」では、お二人の捕ったアユが振舞われていますよね。こうして地域でみんなが集まるときに食べてもらえれば嬉しいからね。今日は300くらいあるかな。
投網はいつ頃から始められたんですか?いつ頃って……、小さい頃からずっとしてきているなあ。子どもの頃は親と一緒にね。
この原野谷川では投網以外もいろんな釣りをするよ。川は自由な感じがするね。行けば魚がすぐに釣れた。
投網の楽しさは?網の中でからむのを手で押さえるとき、大きいのがかかっているとやっぱ嬉しいね。きらきら光って本当にきれいだよ。輪を描くように投げるといいんだ。投網は昔からある漁法だから、いろいろ投げ方があるんじゃないかな。
いつもお二人で組んでいらっしゃるんですか?(顔を見合わせながら)ここ数年は、そうかな(笑)。
やっぱり、コンビネーションが大事だからね。息が合わないとだめだよ。
それに……、二人でやると、自慢し合えるのがいいね(笑)。
これからも空いた時間があれば、やっぱり川に来てしまうかなあ。川は気持ちがいいからね。なあ(笑)。
「投網」という言葉は知っていたけれど、取材を通じて初めて「投網」が実態を伴って私の目の前に現れたような気がする。
「投網」は生きるための漁として、また生活の一部として、日本では古くから行われてきた漁法の一つだ。
調べてみると、土佐流、細川流、茜屋流など様々な流派があるという。
土佐投網は土佐藩の長宗我部時代、武士の足腰を鍛錬するために奨励されていた。長宗我部時代といえば、「関が原の戦い」の功績で掛川藩主だった山内一豊が城主になるまでの土佐藩のこと。海とともに暮らしていた人たちにとって、投網は生活の一部だったのだろう。
紀州和歌山の茜屋流は、将軍家(紀州家)にアユを献上するために生み出された漁法だという。
投網にも、歴史があり文化があり、そして生活があるのだと実感した。
小さい頃から川が遊び場であり生活の場であった中山さんと杉山さん。目の前に当たり前にある原野川のこと、投網のこと、釣りのことを話されるとき、本当に嬉しそうな顔をする。川も魚も生活の一部なのだ。川ととも暮らしている人たちが、ここには大勢いる。
さて、そんなお二人が紹介してくれたのは……。
「ほら、あそこにいたいた。おーい!」
ひょえ~! またいいとこ広場で次なる「がんばる人」を紹介されてしまう気配が……。
この「掛川がんばる人の輪」シリーズ、大和田から抜け出せる日は来るのか!
乞うご期待!
[取材レポート:河住雅子]