塩町にある高塚印刷所。昨年12月に廃業届けを出し、平成22年2月に最後の納品を終え、店を閉めた。
「デジタル製版が可能になり、現在の日本では活版印刷は絶滅に近い」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)といわれる中、昭和初期から活版印刷所を続けてきた。60年近く働いてきた高塚印刷所の職人さんにお話を伺った。
※ご本人の希望によりお名前は伏せさせていただきます。
紙に印刷されるまでの流れを教えてください。まずは、版を組むことからだね。原稿にしたがって活字を選び、インテルで高さをあわせ、平面をあわせる。
インテルとは?活字の組版に使う詰め物だよ。高さをあわせ、平面をあわせ、隙間を埋めないと絵にならないから、様々な厚みを持つ板で調整するんだ。
インテルで隙間を埋めていく……。パソコンの頭脳ともいえる「CPU」を作る会社と同じ名前なのが、不思議ですね。そうかね。私らは、「インテル」「インテル」と当たり前に呼んでいるだけだからね。
で、次に文選箱に、活字とインテルで組みながら組んでいくんだ。基本の大きさが1で、半分が2分(にぶ)、4分の1が4分(しぶん)、8分の1が8分(はちぶん)だ。
だから、8たす8は4になり、4たす4が2になる。
若い頃はスーパーに買い物に行っても、日常生活の足し算と仕事上の足し算が、その場で切り替えられたけど、最近は混乱するんだ(笑)。おつりの計算を間違える。一種の職業病だね(笑)。
職業病といえば、版の漢字は鏡文字になっているだろう。だから、漢字の「へん」と「つくり」を反対に覚えてしまうこともあるんだ。「キヘン(木へん)」とか「ゴンベン(言べん)は分かりやすくていいけれど、距離の「距」とか、駐車場の「駐」の字とか、どっちが「へん」でどっちが「つくり」か忘れてしまうんだ(笑)。
たしかに、それは職業病かもしれませんね(笑)。それにしても、すごいスピードで組み上げていきますね。活字にあわせ、すき間に入れるインテルの大きさを瞬時に判断し、組み込んでいく。目の前で見ると、スイスイ、スイスイと、ほんと職人技です!そんな大層なものじゃないよ(笑)。でも、版を組んでいるときは、やっぱり面白いね。
版もたくさんありますね~。この中から必要なものを探し出すのは、途方もなく大変なような気がしますが。画数順に並べてある。必ず元のところに戻す。落ちたりすれば、欠けてしまうこともあるから、慎重に扱っていた。
でも、去年の地震のとき(平成21年8月の駿河湾沖地震)……。何をさておいても版のことが気になって、見に来たんだ。そうしたら、版がざくっり落ちていた。普通だったら「えらいことになった!」という状況だけど、でも、「もう仕事はやめるんだ」「もう使うことのない版なんだ」と思ったら、気持ちが萎えてしまってね……。だから今は、きちんと入っていない。
12月に廃業届けを出されて、最後の納品を済まされたと聞きましたが。ああ。うちのお客さんを、他の印刷やさんに紹介したり……、それも無事に済んだよ。
おいくつのときからこの仕事を続けているんですか?高校卒業前から、手伝わされていた。家業だからね。
本当は、マンガ家になりたかったんだ(笑)。
今、73歳だから、もう60年近く、この仕事をしていることになるね。
まあ、いろいろ大変なこともあった。
版を組んだあと、紙を入れて何度も何度もためし刷りをする。半日仕事のときもあるよ。
きれいに出るように、紙を貼ったり板を入れたりして印刷具合を微調整するんだ。
こうして手差しのときもある。
5,000千枚も刷っていると、最後の方が太くなってくる。活版印刷の領収書で、これだけ線が揃っているのはすごいと言われるときもある(笑)。
手差しの、紙さばきが素晴らしいですね。手差しということは、5,000枚なら5,000回この作業を繰り返すわけですよね。すごい……。紙を送る作業は、この竹と糸がポイントなんだ。しなりがいいんだ。軽いしね。
ガッシャン、ガッシャンという音が「活版印刷!」という感じです(笑)。匂いも、インクの匂いが充満していますね。そうかい。私らは、もう慣れちゃっているからね。
今、作業されているのは?いやあ、姪っ子に頼まれてね。
昔使った「絵」の木版を見つけてきてね、これで便箋を作りたいと。「絵」と「線」を組み合わせて、版を作り……、このガイコツなんざあ、ためし刷りに2時間もかかったよ(笑)。
姪っ子の文句が多くて、種類は多いのに注文は少なくて、支払いはどうなることやら(笑)。
この先、お店をたたまれたあとは、どうされるんですか?どうするかね(笑)。好きな写真を撮りながら、好きな音楽を聞いて。うん、ぼちぼち考えるかね(笑)。
今日は本当にありがとうございました。[取材を終えて]印刷技術がデジタル化され、一文字一文字版を組んでいくことも、すき間を埋めていくこともなくなった印刷物。手間をかけずとも、複雑なものだってきれいに効率よくできるようになった。文明を、技術の進歩を否定する気はない。
しかし、領収書を見て、たかが線を引くのも職人技だと感じた。線の一本一本まで、人の手が関わっていると知るだけで、印刷物には不思議な味わい、温かさが感じられた。
そんなこと、思い過ごしかもしれないし、気分の問題かもしれない。でも私は、ここで、実際に人の手が加わることの現場を見た。
手で書き写すことから、木版刷り、活版印刷、そしてデジタル化へ。
文明は、科学は、どんどん進歩していく。
活版印刷が普及したときも、「味わいがなくなった」という話題はきっと出ただろう。
そうしたぬくもりは、人の手が加わることが減ることで、どんどん減っていく。
人は結局、効率を追い求める。人の手が加わることで「味わい」や「温かさ」が感じられようとも、結局、人は効率を優先する。発見した技術を、使わないではいられないのだ。
今のデジタル化も、技術を、効率を追い求める途中に過ぎない。
人の手が加わる余地が減り、またひとつ、まちから音と匂いが消えていく。
4月、高塚印刷所からすべての活版と印刷機が取り除かれた。
[取材レポート:いいじゃん掛川編集局/河住雅子]