まち本!の「世界が難局の時代だからこそ、学び、考えること~杉本周造さん(掛川信用金庫 顧問)~」
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世界が難局の時代だからこそ、学び、考えること~杉本周造さん(掛川信用金庫 顧問)~
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2010年06月03日 15:46
掛川信用金庫の理事長として、また掛川商工会議所の会頭として、長年掛川を見続けてきた掛川信用金庫顧問の杉本周造さん。大正10年生まれの89歳だ。
杉本さんに、その生い立ち、思い出話、そして掛川のこれからや、人としてのあるべき道を語っていただいた。

世界が難局の時代だからこそ、学び、考えること
杉本周造さん(掛川信用金庫 顧問)

私は台北の生まれでね。父が役人をしていた関係で、小学校の5年生まで台北にいたんです。
昭和10年頃だったかな、中学といえば「一中」しか知らなかったので府立一中を受けました(笑)。父親から「落ちたら掛川に帰り、掛中に入れ」と言われていました(笑)。そして、一中、一高、東大と進んだんです。
戦争の影響で、昭和17年に東大を繰り上げ卒業しました。卒業後は、海軍の試験を受けて合格し、名古屋の連隊に入ることになっていましたが、海軍短期現役主計科士官に採用され、3年間、海軍に所属し、副官附、副官として庶務を担当して航空隊にいました。



子どもの頃から、父親に「せまい日本にいてはだめだ。海外にかかわる仕事をしろ」と言われていましてね。でも、父の役人ぶりを見て、役人はいやだなと思っていたんです(笑)。それで、横浜正金銀行(現・東京銀行)に入り、外国為替の仕事をしようと思いました。
戦後、父から「帰ってこい」と何度も手紙が来ましてね、叔父に相談したところ「帰って仕事があるなら、そこで仕事をすればいい」と言われました。それで掛川に帰ることになったんですよ。

父は、日坂村で農業をやっていました。茶畑と田んぼがありましてね、私は農業なんてやったことはなかったんですが、お茶も自園自製でやりました。
農業は、昭和23年頃から昭和38年頃までやったかなあ。

その頃、日坂が掛川と合併をし、「日坂から市議会議員に出る人いないので、出ないか」と言われて、市議会議員に出たんです。
実はその前の5年間ほど、教育委員をしていたのですが、農業をしながらでも教育委員はやっていたので、市会議員も農業しながらできるだろうと(笑)。ところが選挙が4月でね、5月のお茶の時期がものすごく忙しいわけでしょう。うちの茶畑だけお茶が伸びっぱなしになってしまったんです。近所の人たちが、自分たちのお茶が終わってから手伝いに来てくれました。100人くらい、来てくれたかな(笑)。
百姓は、市議会議員をしながらではやっていけないなあと思いました。
それで農業をやめて、市会議員としてやっていくことになったんです。



その前に、当時市長をされていた鈴木理一郎さんから「掛川信用金庫の監事をやってくれないか」と頼まれましてね。「月に1回の役員会に出ればいい」と言うんで、それで断るわけにもいかず、やることにしたんです。

昭和43年からは、常務として常勤で信用金庫に勤め始めました。
途中、「東京に来ないか」という話もいろいろあったんですが、「ご先祖様のお墓も掛川にあるし、掛川にいますよ」と断っていました。

それにしても、いろいろやったなあ……。
教育委員、法務省の人権擁護委員、裁判所の調停委員、信用金庫では昭和55年から理事長になり、商工会議所の会頭もやり、税務署の法人会の会長もして……(笑)。

何をやりたい、というのはなかったんですよ。頼まれたら嫌だと言えないだけ(笑)。みんな「頼まれ仕事」です。大学を卒業したときには、さすがに「銀行に行くかな」と思ったけれど、あとは本当に頼まれ仕事。言って下さるのは幸せなことだな、と思いますね。



昭和30年代のアメリカの雑誌に、こんなことが書いてありました。
「人間は報酬のある仕事ばかりやっていてはいけない。ただで働く仕事をやらなくてはいけない」と。

人権擁護委員も商工会議所も法人会も全部無報酬だ(笑)。頼まれてやっている。
私はなまけものだから、自分からやりたいということはないんだなあ。
でも、今までのことを考えてみると、幸せだったと思いますよ。法務省の叙勲で勲章をいただいたときも、「私は何もしていないので、もらうわけにはいきません」と伝えたら、「あなたくらい長く人権擁護委員をやっている人はいないから、あなたがもらってくれなくては困ります」と静岡の法務局に叱られました(笑)。人権擁護委員は、30年くらいやりましたからね。

それにしても、人生というのはわからないものだなと思いますね。
農業をやって、自分でお茶を揉んで、いろいろ失敗をし、「仕事をする」ことがどういうことなのかわかりました。お茶が出ないとき、どうしたら出るかを考えるわけです。肥料を計算してもなかなか出ない。結局、土を良くしなければ出ないということです。基本が何かを考えさせられました。

しかし、農家というのは、人件費を計算してもそれだけの所得がないわけです。大蔵省(当時)の友だちに「農業所得の計算方法は間違っていないか。畑の面積だけで収益があるわけではない。人が働いて初めて作物はできるんだから、自家労力を考えないのはおかしいじゃないか」とつっかかりましてね(笑)、そうしたら「青色申告をやれ」と言われました。それから毎年決算をして、所得を申告しました。税務署の調査もあります。いろいろなことを覚えました。機械をどう償却するとか、在庫の評価とか、資産、負債とか。そこで初めて簿記がわかりました(笑)。

世の中というのは不思議ですよ。人権擁護委員をしたときは、サラ金から借りすぎて、困っている人もいました。いろいろな人の話を聞きました。人生いろいろあるなあと。
1都10県の人権擁護委員の会議があったとき、「あなたのところは信用金庫だが、サラ金にお金を貸すのか」と聞かれて、「家族が出入りしては困るようなところにお金は貸しません」と言ったことを覚えています。

本当に様々な経験させてもらいました。そうした経験は、その場で終わるわけじゃないんですね。自分がいろいろな立場に立って、「考える」ということをさせてもらっている、と思うんです。ありがたいことですね。

高校のとき、ボート部の先輩コーチから「学校の勉強をするよりも、歴史と哲学をやれ。哲学とは哲学することだ」と言われました。
中国の古語に、子曰く、「学びて思わざればすなわちくらく、思いて学ばざればすなわちあやうし」(子曰、学而不思則罔、思而不学則殆)とありますが、学ぶことと考えること、両方をやらなくてはいけないと思います。

今、私たちは、掛川の歴史、会社の歴史、自分の家の歴史、自分の歴史を、知ることをしなければいけません。そして、「どうすべきか」を考えるのです。今でもこの先輩の言葉は生きています。
私は、信用金庫に入ったとき、まず信用金庫の歴史を勉強しました。昭和の大不況と終戦と、掛信には大きな二つの難局がありました。そのときどうなったのか、どうしたか、学んで、そして考えるのです。
そんなふうに今日まで、大きな間違いもなく、来ることができました。

掛川の歴史を考えると、東海道沿線の中で掛川くらい歴史の古いものが残っているまちはないですね。報徳社も、御殿も、駅舎も。歴史を学び、どうあるべきか考えることが大切だと思います。

お茶の歴史を考えても、お茶という産業ほど、お茶に関わっている人が発展させてきた業界はありません。お茶刈り機も、関係者が開発しました。お茶刈りばさみもそうです。現場が、産業を発展させてきたんです。
私はよく言うんですよ。掛川の皆さんは下請けではないと。自分で考えて、製造販売している。決して親会社の下請けではないと。
そこに掛川の製造業の大きな特徴があると思います。信用金庫は、そういう方々のお手伝いをしなければなりません。



今の掛川のお茶ですが、昔は問屋さんが「この土地でとれたものと、この土地で取れたものを混ぜて……」というように、土質の違うお茶を混ぜることをしていました。でも今は、産業が大規模化され、全部、混ぜてしまうほかなくなっています。社会の変化で産業が変わらざるを得なくなっています。
昔の蒸気機関車は、シュッシュッポッポと走り出すまでに時間がかかりました。でも今の電車は、すぐに止まってすぐに走り出すことができます。だから今は、駅の間が近くても大丈夫なんです。社会の変化が産業の変化を引き起こす、ということです。

私たちは、私たちの住むまちの歴史を現場で学ばなければいけません。変化はあくまで事実として学び、その上で、それでいいのかを自分の頭で考えなければなりません。
今、世界中がそれで困っています。自分の頭で考えることをしなければだめなんです。

儲けようと思ってやる仕事は、大抵うまくいきません。こんな難しい時代だから、なおさらです。
自分は何をしたいのか、何をすべきかを考えることです。
それと同じように、
国は何をするのか、
自治体は何をするのか、
個人は何をするのか、
信用金庫は何をするのか、
を考えるのです。

岡田良一郎先生の言葉に、こんな言葉があります。
道徳を根とし
仁義を幹とし
公利を花とし
私利を実とす

自分の利益は結果だということです。



失敗もたくさんあったけれど、今、申し上げたようなことを考えています。
両親のおかげですよ。親父が子どものときからいろいろやらせてくれましたから。親のおかげですね。今日まで、よくまあ、幸せにきて……。

先ほど、学び、思う、という中国の古語を紹介しましたが、もっと普遍するとこうなります。
(博)ひろく之これを学び、
(審)つまびらかに之を問い、
(慎)つつしみて之を思い、
(明)あきらかに之を弁じ、
(篤)あつく之を行う。

疑問に思って考える、判断して実行する、ということです。二宮尊徳はこれを勉強していたのではないかと思います。

世界が難局の時代だからこそ、学んで考えることが必要です。今によくなるだろうと待っていてはだめです。この人はこれをして成功したからと、その人の真似をしてはだめです。
「待ち」と「真似」はだめだということですね(笑)。



平成22年5月27日、掛川信用金庫本店にて


[取材レポート:いいじゃん掛川編集局/河住雅子]

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Re: 世界が難局の時代だからこそ、学び、考えること~杉本周造さん(掛川信用金庫 顧問)~
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2011年05月19日 12:37
もう40年以上も前の話ですが、掛川市伊達方の友人を訪ねました。
友人の祖父が鈴木理一郎氏でした。
氏は矍鑠としておられ、「君は政治家を希望しているのか?そうであれば、日暮綴を読むといい」と言われました。懐かしい思い出です。
Re: 世界が難局の時代だからこそ、学び、考えること~杉本周造さん(掛川信用金庫 顧問)~
【返信元】 世界が難局の時代だからこそ、学び、考えること~杉本周造さん(掛川信用金庫 顧問)~
2010年06月29日 13:23
昨日の商工会議所の総会の杉本さんのご挨拶の中でまち本の話題と河住さんのお話がでました。杉本さんの論語のお話や歴史のお話は、来賓でいらっしゃった衆議院議員も真剣に聞き入っていました。
Re: 世界が難局の時代だからこそ、学び、考えること~杉本周造さん(掛川信用金庫 顧問)~
【返信元】 世界が難局の時代だからこそ、学び、考えること~杉本周造さん(掛川信用金庫 顧問)~
2010年06月06日 18:45
大変面白い内容です。参考になりました。こういった内容は冊子になりませんか。特に会頭が農業をしておられたことが印象に残りました。
              

         graw right
Re: 世界が難局の時代だからこそ、学び、考えること~杉本周造さん(掛川信用金庫 顧問)~
【返信元】 世界が難局の時代だからこそ、学び、考えること~杉本周造さん(掛川信用金庫 顧問)~
2010年06月05日 00:14
雄大で壮大な杉本氏の歩みを興味深く読みました。
インタビューの臨場感を感じるレポートをありがとうございます。
自分でも少しはできるかもしれない。考えればできるんだと希望が湧いてきました。