翻訳家という仕事1 ~評論家・翻訳家 清水眞砂子さん~ 【閲覧数】1,395
2011年05月12日 13:10
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掛川市在住で、「ゲド戦記」などの翻訳者、評論家としても知られる清水眞砂子さん。長年、青山学院女子短期大学教授として学生たちと接し、同時に児童文学の翻訳や評論に取り組み続けた清水さんの仕事観、面白さや苦しさも含めた「翻訳家という仕事」についてお話を伺う機会をいただきました。仕事や社会、生きることに対する清水さんのまなざしを、大いに感じ取っていただければ嬉しいです。
翻訳家という仕事 評論家・翻訳家 清水眞砂子さん (掛川市在住) ■職業につくとき、「好き」や「興味」はほんの入口に過ぎない 翻訳の仕事をしていると「好きなことを仕事していていいですね」とよく言われるのですが、そう言われると困ってしまうんです。私は好きだから、興味があるから翻訳の仕事をしているわけではないからです。世の中に好きなことを仕事にしている人がどれだけいるのでしょうか。やっているうちに「案外これは面白いぞ」となるかもしれないけれど、生涯好きになれないまま、でも食べていかなくてはならないから仕事をしている人たちだっていっぱいいると思うんです。ですから、「好き」や「興味」は仕事を選ぶときの一番のキーにはならない、ほんの小さな入口に過ぎない、少なくとも大したことではないのではないか、と思います。 私の場合、翻訳の仕事のきっかけは、「ライフワークというものを持ちたい」という気持ちだったように思います。まだ20代の頃、高校教師になって2.3年がたったときでしたが、職員室の中にいい顔をしている人とそうでない人がいることに、生意気にも気づいたのです。いい顔をしている先輩の同僚は、学校で教える以外に自分のライフワークと呼べるものを持っているらしい。自分は十年後、いい顔をしていられるだろうか。私は怖くなって必死に探しました。自分にできることは何かと。 今思えば、英語で書いた大学の卒論、その卒論を指導教官の高杉一郎先生(英文学者、『トムは真夜中の庭で』ほかの訳者)にすすめられて日本語に書き直し『文芸静岡』に載せていただいたこと、「メアリーポピンズ論」を書き上げ『日本児童文学』に掲載されたこと、日本児童文学者協会の合宿研究会に参加したこと、そうした一つ一つが契機になっていたように思います。 最初の仕事は26歳のときでした。それこそ翻訳の「ホ」の字も知らない、翻訳の勉強など一度もしたことのなかった頃です。合宿研究会で出会った神宮輝夫先生に「やってみなさい」と短編集を渡されたのです。「この中のどれを翻訳するのですか?」と質問したところ、「あなたの本なのだから、あなたが選びなさい」と言われ、いきなり自分の本が出るのかとびっくりしたことを覚えています。 ■前より劣った仕事はしない、という強い意思 そんな調子でしたから、私にとって仕事のイメージは、海にこぎ出す、すると次々と波が来て、それをアップアップしながらとにかく超える、そうしているうちにいつのまにか世間の方が「仕事」と呼んで下さるものをしている。好きも嫌いもない。そんな感じです。 ただ、仕事をするからには前の仕事より劣った仕事は絶対しない、それだけは自分に言い聞かせてきました。私には後ろ盾など何もなく仕事で勝負するしかない、自分にできる最大限のことをするしかなかったのです。「あのときもっと力を出しておけばよかった」と後悔したり、言い訳はしたくない、ただそれだけでした。 本を書いたり翻訳することが特別なことだとも思っていません。本一冊出すのも、農家の方が大根一本作るのも、機織りが機を織るのも同じこと。その場が与えられただけで、与えられたらやるしかない、そういうことなのです。 ただ、私は言葉や文章について考えるのが好きな子どもだったかもしれません。私の父は明治の人なのですが、「ビスケット」のことを「ピスケット」、母は「エプロン」のことを「エブロン」と言っていました。「B」と「P」がしょっちゅう入れ替わる。間違うにも規則があるんだ、それが面白いなあ、と小学校6年生の頃でしたが、ぼんやり感じていました。ですから中学で文法の授業が始まると、とても嬉しかった。私、今も文法が大好きなんです(笑)。日本語も英語も、言葉についていろいろ考えるのが好き。そう、それは確かに好きですね(笑)。 大学で英語史を勉強し、実際に間違いに規則があり、また、最初は間違いだったものが、やがて正しいものとして認められていくことにも心を動かされました。 言葉って、なんて美しいんだろうとよく考えます。本当に論理的で美しいと思います。 よく「翻訳家になりたい」「どうしたらなれますか」と質問をされるのですが、それは逆でしょうと私は思います。ビジネスの場合は違うかもしれませんが、文学の場合は原書を読んで「この言葉を訳したらどんな日本語になるだろう」「この作品を他の人と分かち合いたい」という強い思いが先になくては。そうした作品をどれだけ持っているか、日本語に翻訳したいと思う文章にどれだけ出会っているか、それがないまま「翻訳家になりたい」というのは違うと思うのです。 私自身、「作品中のたった数行でも、この言葉を待っている子たちがいる」「少数かもしれないけれど、こうした問題にぶつかっている少女はきっといる」「その子たちにこの言葉を届けたい」、その思いでずっと仕事をしてきたように思います。大人になってもそうした言葉、作品にこちらが心を揺さぶられているからです。 「ゲド戦記」も、作品を貫く思想、その言葉に心身を揺さぶられ、これこそ自分が求めていたものと思ったからで、先に翻訳という仕事があったわけではないのです。どれだけ訳したいと思う原書に会っているか、ということなのだと思います。 翻訳家という仕事2につづく 取材レポート:いいじゃん掛川編集局/河住雅子 (平成23年3月29日、ご自宅にて) |
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