市民記者コーナーの「秋葉街道(塩の道)散策vol.1 青田峠~富部ルート」
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秋葉街道(塩の道)散策vol.1 青田峠~富部ルート
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2010年06月01日 21:40
「塩の道」とは相良から秋葉道を経て森町経由で長野に向かう重要な幹線道路でした。
現在では日本海側の現糸魚川市に始まり塩尻市に達する街道を「北塩ルート」、太平洋側から塩尻市までの街道を「南塩ルート」と呼んでいます。



有名な「敵に塩を送る」ということばは、今川氏によって「南塩ルート」を断たれた武田氏に対して、宿敵上杉謙信が「北塩ルート」から塩を供給したという逸話が基になっているようです。
塩の運搬だけではなく、この街道を利用しての生活物資の交易も盛んで特に北遠にかけては秋葉信仰の道としても栄え、文化交流の懸け橋ともなっていました。

またこのルートは偶然にも日本列島の中央構造線上(フォッサマグナ・東経138度線上)に当たります。



上内田方面から青田山(陣場峠)を越えると掛川に入り、市街の途中から東海道と合流しています。



http://a-soviva.jp/shop/GRP10/SGP274/PGE1/001340.html

大池付近から東海道と別れて右に逸れ、秋葉街道と呼ばれている道がその「塩の道」です。
桜木からは更に飛鳥~家代ルート、富部~細谷ルートに分かれ細谷~原谷付近から再び合流し森町に続いて行きます。

富部ルートとしては私の実家の横が正にその街道で子供の頃、表に出ることを「かいど(街道)に出る」と呼んでいました。
もう少し北の方に行くと「とのがいと」といわれている地名があります、これはおそらく「殿街道」から来ているのではないでしょうか?
これら当時の道は荷車がやっと通れるくらいの細い道だった事を覚えています。



いこいの広場方向に抜ける将監坂(しょうかんざか)の峠に素掘りのトンネルが見えてきます。
昨年夏の地震で崩れてないかと心配していましたが全く大丈夫でした。
まだ子供の頃見た通り、幻想的な模様の地層が残っています、まさに自然の芸術ですね!



この道は、現在の県道(掛川→森線)ができるまでは街道として使われていた訳です。
こんな道でも十分用を足していたのですね!

※次は、細谷~原谷に至るルートをご紹介します。

書き込み数は3件です。
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Re: 秋葉街道(塩の道)散策vol.1 青田峠~富部ルート
【返信元】 秋葉街道(塩の道)散策vol.1 青田峠~富部ルート
2010年06月03日 00:08
biglemonさん
掛川と森町の境は、第二東名の工事で本来の塩の道は歩けませんね。
その手前の天浜線:原田駅くらいから既に、
本来の塩の道は、消滅していると思います。
Re: 秋葉街道(塩の道)散策vol.1 青田峠~富部ルート
【返信元】 秋葉街道(塩の道)散策vol.1 青田峠~富部ルート
2010年06月01日 23:17
biglemonです。
こちらこそ初めまして。

よくもこんなに長い間を走りましたね!
感心しました、さすがその名の通り韋駄天さん!
そういえば先日先祖が飛脚だったと言う方にお会いしましたよ。

私の場合は年齢も年齢ですので、このあとも地元の長老の方に昔話を伺いながらそこそこ歩きました。
本来の塩の道はもう通れないところがあります。
掛川と森町の堺などは30センチくらいの幅の道があるけど、今の時期はマムシがいるからやめた方がいいと言われました。
今回は原谷までをレポートして行きます。

コメントありがとうございました。
Re: 秋葉街道(塩の道)散策vol.1 青田峠~富部ルート
【返信元】 秋葉街道(塩の道)散策vol.1 青田峠~富部ルート
2010年06月01日 22:02
初めまして。
韋駄天太郎です。
先日、自宅から秋葉山まで”塩の道”を走りました。
確かに昔はこの道が重要な物資を運ぶ道だったんですね。
下記にその走った様子を書きましたので、
良かったら、見てください。
よろしくお願いします。

・ジャーニーラン:塩の道を激走して、秋葉山詣(その1)
 http://blogs.yahoo.co.jp/runner_taka/61686850.html
・ジャーニーラン:塩の道を激走して、秋葉山詣(その2)
 http://blogs.yahoo.co.jp/runner_taka/61687430.html
・ジャーニーラン:塩の道を激走して、秋葉山詣(その3)
 http://blogs.yahoo.co.jp/runner_taka/61687670.html